49 蒔絵の浴衣姿が見たい
今日は既に33℃を超えています。皆さんお体に気をつけて下さい。
「お早うございます」
蒔絵が元気な声で、吉田小百合の家の玄関を開けた。
「あらー。待っていたのよ。先ずは中に入って頂戴」
蒔絵に続いて、菱巻英子、鉄次、銀河、それに根元花子がぞろぞろ入ってきた。
「先ずはお茶をどうぞ」
「二服茶」という言葉があるが、人に勧められたお茶は2杯は飲まないと行けない。つまり、それを飲み終わるまでは、すぐ作業を始めたい気持ちを抑えて、一行は小百合のおしゃべりに付き合った。
「助かるわ。死んだ主人が、母屋の屋根にアンカーも付けておいたから、蒔絵ちゃんが上っても大丈夫よ。でも、海風が当たるから、農機具小屋の屋根は錆びていて、危ないのよね」
鉄次が話が長くなりそうなので、腰を浮かせた。
「じゃあ、そっちの屋根の様子を見てきますよ。みんなはもう少し、ここで話していてもいいよ」
(父ちゃんは逃げたな)
「屋根の灰のこともあるけれど、今日は茶道部の話もあるんでしょ?」
そう言うと、小百合は奥の部屋の襖を開けた。そこには、たとう紙に包まれた着物が数枚あり、それを次々に開いては、英子や花子に見せ始めた。
「生徒さんに貸せそうな浴衣を用意したのよ。後は、汚れてもいい一重ね」
蒔絵が小声で英子に尋ねた。
「お祖母ちゃん。『一重』って何?」
「裏地がついていない、まあ、夏に着る着物って言ってもいいかしら」
大分、ざっくりした説明である。
「お若い人には、着物は縁がないからね」
小百合は、はんなり微笑んだ。
「でも、夕べ花子さんのところから貰った浴衣は、可愛くて、お祭りに着るのが楽しみです」
そう言って、蒔絵は2人の浴衣写真を見せた。
「まあ、よく似合うわね。こういう着物と比べたら、家の着物は地味よね。英子ちゃん」
「小百合さんのところの着物は、お茶の席で着るものが多いから、そんなに派手なものはないかも知れないけれど、シックだわ」
花子の家のタンス部屋とは違って、小百合の家の部屋は実に整然としていた。
「小百合さんの家は片づいているわね」
「しょうがないのよ。お茶のお道具は、季節ごとに変わるから、出し入れに不便がないようにしているの」
「ご主人もお洒落に着物を着こなしていたものね」
「あの人は、『裏勝り』の好きな人で・・・」
再び、蒔絵が英子に尋ねた。
「『裏勝り』って『男勝り』と違うの?」
「蒔絵ちゃんは面白いこと言うのね。実際に見たほうがいいから、こちらにおいでなさい」
蒔絵と銀河が揃って、タンス部屋に行くと、小百合は亡夫の着物が仕舞ってあるタンスを開いた。
ほいっと渡された羽織を、銀河が広げると、裏地の大きな骸骨が目に飛び込んできた。
「小百合さんのご主人って、ヤンキーだったんですか?」
この銀河の質問には、3人の高齢女性のツボに入ったらしく、ひとしきり笑った後、小百合が涙を拭いながらその答えをくれた。
「これは歌川国芳の浮世絵『相馬の古内裏』をモチーフにしたのよ。他にも、私は、鳥獣戯画の黒い長襦袢も持っているわ。こうやって、着物の下からちらっと見えるとお洒落でしょ?羽織も脱いだ時にちらっと見えるのがお洒落なの。どれも、浮世絵のモチーフを使っているの」
「なんか、和風で格好いいですね。夕べ、銀河が結んでいた帯も、裏の赤がちらっと見えて
お洒落だった」
「そうね。蒔絵ちゃんの感覚は、当時の人に共通するわ。江戸時代、倹約を推奨する幕府に対抗して、庶民がこっそりお洒落していたの。これもその一つの流れを組むわね」
そこで、銀河が居住まいを正した。
「こんなお洒落な着物が、タンスに眠っているのは勿体ないですよね。着る機会がないと、着物を着ないし、着物の歴史も知る機会が無い。そう考えて、まだ案なんですが、茶道部に浴衣を着て貰うだけじゃなくて、文化祭の夜、村の人も一緒に、『秋祭り』したらどうかって考えているんです」
「あらー。いいわね。でも、どの家にも浴衣があるとは限らないし、着付けできる人も少ないわ」
「でも、浴衣を持っている人は大体着付けられるんですよね」
「んー。自分で着るのと着付けるのは、少し勝手が違うかも知れないわね」
「銀河、ダンスと同じで、着付け講習会や着付けビデオで、みんなに浴衣を着られるようにして貰おうよ」
「まあ、男子は法被や甚平でもいいし、いざとなったら、家庭科で縫ってもいいよな」
屋根から水を流す音がした。
「あっ、父ちゃんがこっちの屋根の作業に入っている。小百合さん、また、相談に乗って貰えますか?」
体育祭では、見学するしかできなかった高齢者に、秋の楽しみができたのであった。
作業が終わって屋根から降りると、英子達はまだ、手を動かしながら、おしゃべりの最中だった。
「鉄次さん、お昼も食べていって頂戴」
おしゃべりしながら、餃子を作っていたのだ。冷凍しておいた挽肉を使って、キャベツやニラたっぷりの餃子が200個もできていた。そして、何故かホットプレートを2枚並べて、紫苑と更紗が餃子を焼いていた。
「おい、仕事もしないで、なんで紫苑が食べようとしているんだ」
「いや、餃子を焼いているだろう。ホットプレートを家から運んできたのも、俺たちだし。それに、生徒会行事の相談も受けていたんだ」
確かに、生徒会長に相談もせずに話を進めることはできない。その上、台所から穂高も出てきた。
「あれ?お兄ちゃん、帰って来るの早くない?」
「あの2人は、千葉駅で捨ててきた」
銀河が、「さもありなん」という顔をした。
「で?お兄ちゃんはどうして、吉田さんの家にいるの?」
「ん?炊飯器を2軒分持って来いって言われたから・・・」
食卓で英子がニコニコ笑っている。
「まあ、銀河達にとって、『餃子は飲み物』だからね。少しは、ご飯でスピードを落として貰わなくちゃ」
1人暮らしの小百合と花子は、ほくほく顔で、子供達にご飯をよそっていた。
「いいわね。賑やかな食卓は、他のお家に申し訳ないわ」
銀河が、口の中に餃子が入ったまま質問した。
「まだ、灰の掃除ができない家って、多いんでしょうかね?」
穂高が、お代わりのご飯をよそって貰いながら、答えた。
「全世帯で2割近くあるかも知れないな。1人暮らしじゃなくても、屋根に上がるのは、なかなかできないよ」
「そうね。高台移転する時、補助金が出たので、屋根にアンカー付けたけれど、そもそも屋根に上がるなんて無理だわ」
「小百合ちゃん、覚えている?高台避難する前の年に、大雪が降ったもんね。雪下ろしに必要だってアンカーを付けたけれど、灰掃除に使うとは思わなかったわ」
「そうか?それで、ほとんどの家の屋根に、アンカーが着いているんですね。命綱があれば、高校生でも灰掃除のボランティアに来られますね」
「鮫島先生、高校生をボランティアにやるついでに、浴衣の情報や青空市に出せそうな品の情報を集められたらいいですね」
「紫苑、青空市って?」
「花子さんが、ネットで不要品を出品したいって言うから、取りあえず、村の中で不用品を交換したらどうかなって、話になったんだ」
「紫苑、浴衣は不要品じゃなくて、レンタルって話もしたよ」
英子が早速補足した。
「祖母ちゃん、じゃあ、浴衣レンタル情報っていう、データベースを作るのはどう?」
「紫苑は、すぐ俺に仕事を振る」
「銀河だけじゃなくて、他にもデータベースを作れそうな仲間を、募ればいいじゃないか」
蒔絵が手を挙げた。
「はいはい。データベースは私も作る。航平や海里にも手伝って貰えばいいじゃん」
「それは、田邊先生に相談して見ろ。ただし、村のHPにも乗せるなら、うちの母さんにも相談しろ。村役場の広報担当だから」
「そうだね。文化祭だけで終わるんじゃ寂しいね。それから、子ども用品のリサイクルもできるといいね」
銀河は、スマホにブツブツアイデアをうち込んでいた。
「写真や状態、サイズもはっきりさせたほうがいいよな。写真や細かい情報があれば、借りたいとか、買いたいとか思うよな。ボランティアに行く前に、情報を書き込むワークシートを用意しなくちゃ」
「メジャーもいるよ」
「祖母ちゃん。スマホで『計測』できるから、それはいらないけれど、特に着物は、どこのサイズを測ったらいいか、後で教えて」
「そうだね。『裄』とか、『着丈』って言っても分からないだろうから、図を書いて、それをみんなに渡さないとね」
「英子ちゃん、下着は?」
「それは、Tシャツ、ステテコでもいいと思うのよ。祭りは夜でしょ?そこまで見えないじゃない?」
紫苑が渋い顔をした。
「祖母ちゃん。灰が収まらないことも予想して、祭りは、体育館でやるから、結構明るいよ」
「じゃあ、学校や公民館で、何回か着付け講習会をしたほうがいいね。着崩れた人が大量発生したら困るよね」
蒔絵が、終わった食器を片づけながら、尋ねた。
「浴衣は一日着たままなの?」
「そうだよ。汚れそうだったら、割烹着を着てくればいいじゃないか」
銀河が呟いた。
「カフェの女給さんのエプロンもいいな」
どうも、浴衣というより、コスプレの方に妄想が広がってきているようだ。
「まあ、後で、校長先生にも相談しないといけないな」
鮫島先生が、餃子の最後の一個を口に放り込んで、話し合いは終わった。
コスプレって、楽しそうですね。体育祭や文化祭もそうですが、誰か自分と違う人になりたい欲求って、誰にでもありますよね。しかし、コロナが収まっても暑すぎて、浴衣で外出したいって欲求が起きないのは、残念です。百葉村の体育館は勿論、冷暖房完備です。