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48 堪忍袋の緒が切れた

みなさんは、誰が4万円を入れてくれたと思いますか?

 朝、6時。絹子から渡された3人分の弁当を持って、穂高は眠そうな顔で、クロスビーの運転席に座っていた。後部座席には、一応、スコップなども入れてあった。

「お早うございます」

浦瀬姉弟がスーツケースを持って、それぞれの家から出てきた。見送りは誰もいなかった。


 銀河と蒔絵は、父親と一緒に吉田小百合の家で、作業するための準備に取りかかっていて、出かける鯨人(げいと)に手を振っていた。鮫島の家族も、朝食こそ一緒に食べたが、それぞれの出勤の準備に忙しかった。寝間着姿の更紗が辛うじて、玄関先で「頑張って」とエールを送ってくれた。


「じゃあ、行きますか。悪いけれど、途中、つくば未来村の『未来TEC』支社で、うちの父親の用事を済ますから、少し寄り道しますよ。それでも宇都宮駅までは4時間くらいで着くかな?」

「ありがとうございます。電車は、一応折り返し運転で新幹線が運行しているようです」

しっかり運行状況を調べた鯨人が答えた。勿論、穂高も調べてはあるが、実際に乗車する人が調べることが肝心だ。

「そっか、仙台駅で乗り換えだね。青森も遠いよね」


「そうですね。バドミントンを続けていると、県外に出ることもあるんですが・・・」

「鮎子は、本当にバドミントンを辞めて、結婚するの?」

「うん。卒業したらお見合いするよ」


また、内輪の話を始めたと、穂高はうんざりし始めた。

「ねえ、鮎子さんが結婚するように、ご家族の方は命令したのですか?」

鮎子は(しばら)く考えた。

「ん~。直接命令されたことはありません。でも、跡取りは誰かがならなければ」


「それでは、バドミントンを辞めて欲しいと直接あなたに言ったのは誰ですか?」

鮎子は再び暫く考えた。

「誰だろう?あれ?言われてないかな。でも、お金がかかるって言われたような気がする」


「僕は教師の仕事で、保護者対応が一番嫌いなのですが、子どもを連れて移動するので、一応夕べ、あなた達の自宅に電話させて貰いました。お母様と直接話をしたら、お母様は、あなた達が百葉村で事前合宿をしていると思っていらしたよ。ですから、『今までのこと』と、宇都宮まで送る話をお話ししたのですが、ひどく恐縮されていました。もしかして、親に何も言っていなかったんですか?」


鯨人は、「やっぱり」という顔をして、鮎子のスマホを取り上げて、親との連絡の履歴を確認した。


「鮎子、この言葉じゃ誤解を招くだろう?」

そこには、「強化合宿が中止になったから、蒔絵ちゃんのところに、インターハイまでいさせて貰う」とあった。


「それって、いつの送信記録がついていますか?」

「大宮駅に着いた時」

「ふーん。蒔絵達のホテルに一緒に泊まることも、蒔絵達にくっついて、百葉村に来ることもそこでは、計画済みだったんですね」


「計画が変わったら、後で訂正しようと思っていたんです」

「でも、鮎子はその後、親に連絡を一切取っていないじゃないか」

「計画は変わらなかったから・・・」


穂高は首をボキボキ鳴らした。

「計画通りというわけですね。宇都宮まで送って貰うことは、何故、親に連絡しなかったんですか?」

「急いでいて忘れたんです」

「ではどうして、毎日自宅に連絡しなかったんですか?鯨人君もですよ」


 鯨人は、姉はこういうことをする人物だと分かっていながら、姉にすべて任せていたことを後悔した。

「蒔絵だって、そこまでいい加減じゃない」

「蒔絵ちゃんは、いつも銀河君がフォローしているじゃないですか」


穂高は、首をグキッと鳴らした。

「蒔絵の兄の立場から言わせて貰えば、蒔絵は銀河がいなくてもしっかりしています。今回の避難では、銀河が必要以上に世話を焼きましたが、今日も、鯨人さんの代わりに銀河と、屋根の灰を片付けに行きましたよ」


「それだって、昨日からやりたがっていた仕事じゃない?夕べだって、2人で浴衣を着てチャラチャラして」

「鮎子、何言っているんだ。銀河達はインターハイに行けないから、次の目標に向かって切り替えたんじゃないか。それをインターハイに行ける俺たちが、とやかく言える筋合いじゃないぞ」


 車は静かに、駅のロータリーに入った。穂高は涼しい顔で、2人分のスーツケースを降ろした。

「着いたよ。お疲れ」


「ああ、もう着いたんですか?ありがとうございました」

鯨人は、鮎子の手を引っ張って急いで降りた。クロスビーは静かに発進したが、その駅は目的の駅ではなかった。


 穂高は、運転席で大きく肩を動かした。

「やっちまったな。まあ、ここからでも電車に乗れるだろう。それに、あいつらは僕の生徒じゃないし・・・」

 そう呟いて、穂高は。父親の用事を片付けるために、車をつくば未来村に向けた。



 鯨人と鮎子は、新幹線乗り場を探そうとしたが、どこにも新幹線の券売機がなかった。

駅員に尋ねると、不思議そうな顔をして言われた。

「ここは千葉駅ですよ。新幹線は通っていません」


 車に乗ったら、自動的に宇都宮駅に着くと思い込んでいた2人は、改めて、千葉駅から青森駅までの乗り換えを検索し始めた。ただ、動いていない列車も有り、途方に暮れてしまった。


「もう、お金もないし、どうしたらいいの?」

文句を言いながら立ち尽くす鮎子に、鯨人は呆れながらも頭を巡らせた。銀河ができるならば、自分に出来ないはずはない。

「すべて在来線に乗ったら、帰れるかも」


「待ってよ。今日中に帰れないかも」

「そうしたら、駅で寝よう」

「無理!ホテルは?24時間営業の漫画喫茶とかは?」

「金が足りないから、在来線に乗るのに、ホテルなんかに泊れるわけないじゃないか」


鯨人は(こんな時、蒔絵なら文句も言わずについてくるのに)と思った。

「もう、鯨人じゃ頼りない。銀河に電話をしよう」


鯨人は静かに姉に言った。

「銀河は最初から、俺たちを連れて行くのに反対していたじゃないか。鮎子は分からないか?銀河がどんな案を出しても、蒔絵なら、なんの文句も言わずついて行くよ。

 銀河が銀河でいられるのは、蒔絵がいるからなんだ。

 頼むから、鮎子も()(まま)言わずに、俺と一緒に考えてくれよ。そうじゃないと、俺・・・」


 鯨人はもう半分泣き声になっていた。鯨人達を守る「大人」はもうここにいないのだ。鮎子はやっと自分が、しでかしたことを理解した。好意で自分たちに差し伸べてくれた手を、当たり前のものと思っていたのだ。


「分かった。私、今まで鯨人を守っていたつもりだったけれど、足を引っ張っていただけなのね。まず、お母さんに電話しよう」

 深呼吸をして、鮎子が母親に電話した。鯨人は変なことを言ったら、スマホを取り上げようとすぐ後ろで構えていた。


「お母さん?鮎子です。今、千葉駅です。蒔絵ちゃんのお兄さんの都合が悪くなって、ここまでしか送ってもらえなかったの。ちょっと、遅くなるかも知れないかも、うちで待っていてね」


 心配そうな顔をした鯨人に振り返って、鮎子はにっこり笑った。


 2人は必死に考えた。まず、コーヒー店でスマホを充電しながら、Wi-Fiにつなぎ、ルートを考えた。

「鮎子、そっちのスマホの電源をまず切って、交互にスマホを使うぞ、充電が切れたらSOSも出せないから」

鮎子は「えー」と言う声を飲み込んで、スマホの電源を切った。スマホは自分たちの命綱だ。銀河が、紙の地図を買った意味が、今やっと分かった。

 鯨人は運行状況を、確認しながらルートを考え始めた。

「まず、大宮周辺の電車はすべて、『運行見合わせ』だ。千葉駅から動いているのは、・・・」

「西船橋駅に行くか、佐倉駅から成田に行くか?」

「どっちにせよ、常磐線までたどり着けば、『小山駅』まで行ける」


「この案を持って、駅員さんに相談してみよう」


 千葉駅には「みどりの窓口」が、まだ機能していたが、整理券を取らなければならなかった。鮎子はここでも、案内の駅員さんに、我が儘を言い出した。

「すいません。青森まで帰らなければならないんです。西船橋経由と成田経由どっちがいいですか?」

「えー?君達高校生?今日中に帰るの?」

「はい。できるだけ早く青森に帰らないと、広島のインターハイに間に合わないんです」


こういう場所では、積極的な方が得をする。おろおろする鯨人を尻目に、鮎子はまだ続ける。

「でも、お金がもうないので、行けるところまで行ったら、駅で寝ないといけないんです」


既に、駅員の心をしっかり掴んだようだ。駅員は、運行状況を調べ始めてくれた。

「今は、西船橋駅がまだ機能しているから、取りあえず、『西船橋駅』まで行って、武蔵野線に乗り換えて、『新松戸駅』、そこで常磐線に乗り換えて、『龍ケ崎市駅』方向へ行ってください。『友部駅』から、水戸線で、『小山駅』まで、そこから宇都宮線に乗り換えれば、『宇都宮駅』まで行けるね」

そう言いながら、紙の「首都圏エリア」の地図の乗換駅をマークしていってくれた。

「ありがとうございます。ネットで行き先検索しても、みんな東京駅や北千住駅に向かっちゃうんで、困っていたんです」

「そうなんだよね。そこまで着いたら、スマホのお金で新幹線の切符買えば、今日中に帰れるね。でも、降灰の状況で、すぐ、電車が停まるから、申し訳ないけれど、現在の状況だよ」

「スマホのお金?」

「ほら、スマホケースの挟み込んであるお札。落としちゃ駄目だから、気をつけてね」


 駅員が立ち去ると、鮎子は自分のスマホを裏返してみた。マグセーフのリングに隠れて今まで気がつかなかったが、プラスチックのケースを外すと、そこには、1万円札が4枚挟んであった。

 顔を上げて鯨人に見せると、鯨人も「知らない」と首を振った。


「穂高さんかな?」

涙ぐむ鮎子の背中を鯨人は押した。


「誰が入れてくれたかは分からないけれど、まずは、電車が動いているうちに、宇都宮まで行こう」

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