47 鮎子は諦めなかった
9月に九州に行く用事があるんですが、噴火や地震が頻発しているんで心配です。でも、キャンセルはしないぞ!多分。
浦瀬姉弟の夏の計画は、富士山の噴火によって大きく狂ってしまった。
本来の計画では、夏休みが始まって、5日間東京で強化合宿に出る。その後、世界大会に5日間、帰国したその足で、インターハイの開催会場広島まで新幹線で向かう。
東京での強化合宿の往復旅費は、バドミントン協会が出してくれる。帰り分の旅費を使って、広島までの新幹線に乗って、インターハイが終わったら、他の選手が乗ってきた、青森選手団のバスに乗って帰ればいいはずだった。
だから、「もうバドミントンは辞めろ」という祖父母を押し切って東京に出て来られたのだ。しかし、富士山噴火のせいで、新幹線で一端、青森に帰らなければならなくなった。
ところが、その新幹線に乗れず、百葉村に来た2人は、青森に帰ることはおろか、インターハイ会場の広島に向かうこともできなくなったのだ。
百葉村に来た時は、「インターハイ」は中止になるだろうと、予想を立てていたが、中止の連絡は一向に届かず、後1週間で開会式という日になっていたのだ。青森のバドミントン仲間に聞くと、選手一行はバスで日本海側をぐるっと回って、会場に向かうことになっているらしい。
「蒔絵、そんな顔をしても、俺は車を出さないぞ。夏休みは、学校の灰除去で大忙しなんだから」
「お兄ちゃん、お願い2人を広島まで送って」という蒔絵の視線を感じた穂高は、一刀両断にした。
「鮎子、泣いてもしょうがないよ。今回の噴火で、行けなくなった選手は多いんだから、諦めようよ」
鯨人も、泣きじゃくる姉を諦めさせようと必死だった。
「鯨人は、来年も再来年もあるでしょ?私は、『今年でバドミントンを辞めろ』って言われているんだから、これが最後なの」
興奮している鮎子に、穂高は優しい声を掛けた。
「鮎子さんは2年生だけれど、来年は試合に出ないの?」
「はい。父が脳梗塞になったから、バドミントンを辞めて、家の手伝いをしなければならないんです。母は父の介護に忙しいですし、祖父母だけでは農業はできません」
「鯨人君はバドミントンを続けられるのに?」
「本当は2人とも辞めなければいけないんだけれど、鯨人はバドミントンの才能があるんです。私が卒業後、すぐお婿さん貰って家を継げばいいから、鯨人には続けて貰いたいんです」
「ご馳走様でした。鯨人、家に戻るぞ。インターハイに出られないのは、鮎子だけじゃないんだ」
銀河はもうこれ以上、鮎子の我が儘を聞いていられなくて立ち上がった。
しかし、鮎子はひるまなかった。
「ちょっと待って?『みんなが我慢しているから、お前も我慢しろ』って言うの?おかしいわよ。そうやってみんな我慢して来たんだわ。でも、私は我慢したくない。可能性が0じゃないんだから、頑張りたいの。穂高さん、広島まで私達を送って下さい。何でも言うことを聞きますから」
「鮎子さん。『何でも言うことを聞く』なんて物騒なことを言うのを、止めて貰えませんか?僕も教員なんで、他人に誤解を与えるようなことはしたくない」
蒔絵も鮎子の側にやってきた。
「お兄ちゃん、お願いします」
「いやいや、なんで広島まで送らなければならないの?宇都宮まで送れば、在来線を乗り継いで青森に帰れるだろう?そうしたら、青森の仲間と一緒にバスで、現地に行けるじゃないか」
銀河が、穂高の肩を叩いた。
「鮫島先生。墓穴を掘りましたよ」
「ありがとうございます。宇都宮まで送って下さい」
鮎子と鯨人は深々と頭を下げた。
穂高は、自分の言葉で自分の首を絞めてしまったのだ。
「しょうがないですね。宇都宮からの接続をしっかり確認して下さいね。どこかが停まっていても、そこまでは迎えに行けませんから。明朝、6時には出ますから、荷物をまとめて下さい」
穂高は、ここまで一気に言って、大きなため息をついた。
鯨人が鮫島家を勢いよく飛び出していったのを追うように、銀河も自宅に戻ろうとした。
「未来TEC」のマンションを出たところで、蒔絵に呼び止められた。2人はマンション前の公園で話し始めた。
「お兄ちゃん、結局は車出したね」
「蒔絵はどうして、鮎子さんと鯨人に同情的なんだ?」
「えー。もし、自分がその立場だったら、誰かに手助けして欲しいじゃない?」
まっすぐな蒔絵の目から、銀河は視線を逸らした。鯨人に焼き餅を焼いていたことは、隠したかった。そんな銀河の顔を、蒔絵は覗き込んだ。
「2人にもう少しここにいて欲しかった?」
「はぁ?何言っているんだ。あ!鯨人がいなくなったら、明日の吉田さん家の灰除去、俺が1人でやるんだ」
蒔絵がニコニコして、自分の鼻を指さした。
「私がいるじゃない」
「いや、危ないだろう。父ちゃんに頼まなきゃ」
「なんで、私のことを信用してくれないの?」
「信用していないんじゃなくて、心配しているんだ」
河豚のように膨れる蒔絵の顔を見て、銀河はあることを思いだした。
「あー。そうだ。根本さんが、蒔絵に金魚の柄の浴衣くれたんだ。取りに来るか?」
2人はそのまま、菱巻家の玄関先までやってきた。そこにたとう紙に入った浴衣が置いてあるのだ。玄関に出てきた鈴音が、たとう紙を指さした。
「これ、蒔絵ちゃんにあげるのだったのね。灰が収まったら、祭りに2人で着て行けるね」
「え?男用の浴衣もあるの?」
「別にいらなかったけれど、花子さんが付けてくれた」
ぶっきらぼうな銀河に、鈴音が呆れた。
「じゃあ、中に入って。ちょっと2人とも着付けて上げるから」
居間で、蒔絵はウキウキしながら、鈴音に浴衣を着付けて貰った。蒔絵の肌は、どちらかと言うとブルーベースなので、真っ白な浴衣がよく似合った。赤い兵児帯を華やかな蝶結びにすると、蒔絵の豊かなヒップが隠れて、銀河はほっとした。真っ赤な金魚が蒔絵の背中を昇っていく。
蒔絵がくるっと振り替えると、銀河はじっと見ていたことを隠すように視線を逸らした。
「銀河、感想は?」
「いいんじゃね」
それでも、耳まで赤い銀河に、蒔絵はご満悦だった。
次に、銀河の浴衣の着付けが始まった。青く細い縞の小千谷縮の着物に、黒と赤のリバーシブルの角帯だ。鈴音は「なるほどね」と言って、黒を面にして帯を締めた。
「いいわね。ちらっと見える赤がお洒落ね。2人並んでご覧」
「あー。分かった。銀河の着物は水を表わしているんだ。そして私の金魚がそこを泳ぐ。2人でコーディネートされているんだね。花子さんのお嫁さん、残念なことをしたね。お姉ちゃん、写真撮って」
2人の浴衣姿の写真は、後日、花子の家に飾られたが、正月に帰省したお嫁さんは、その写真を見て、大層後悔した。
さて、浴衣を着た2人は、折角なのでそのまま鮫島家に戻った。鮎子はちらっと2人を見て、再び遠征の準備に戻っていった。
「お兄ちゃん、似合うでしょ?金魚に水の流れの組み合わせなんだよ」
「馬子にも衣装とはよく言ったもんだ。銀河は、もう少しするともっと似合うようになるぞ」
「鮫島先生、どういう意味ですか?」
「もう少ししたら、銀河の腹が元に戻るだろう?ウエストが細いと、着物は似合わないんだな。今日はタオルなんか腹に巻いてないから、少し不格好だが、文化祭頃には、ちょうど良くなるよ」
蒔絵は、はしゃぎすぎて崩れてきた自分の胸元を見た。
「えー。じゃあ、私も文化祭には胸を潰して着付けして貰おうっと」
「おい、蒔絵、茶道部でもないのに、どうして文化祭で浴衣を着るって、決めているんだ?」
蒔絵は、兄の方に振り返った。
「鮫島先生、今度の文化祭は、盆踊りも最後に体育館でやりませんか?村の人みんな、未来TECの人も呼んで・・・」
銀河と鮫島先生は、顔を見合わせた。
「有りだな」