46 「働かざる者食うべからず」です。
昨日はお話をアップできませんでした。新しい展開に入る前は、少し構成に苦労するので、サクサク話を書くことができません。そろそろ秋の学校行事に入ります。乞うご期待。
「おい。起きろよ」
泥のように眠っていた鯨人は、銀河にタオルケットを剥がされて、布団から転げ落ちた。
「朝ご飯食べたら、洗濯だからな、早く用意しろ」
食堂のテーブルには、焼き魚に味噌汁という和食が並んでいた。飯は玄米。
「いただきます」
鯨人はお代わりが欲しくて、台所に入ると、銀河が食器を洗っていた。
「お代わり・・なんて、ないよね」
銀河は黙って、今洗っている釜を見せた。鯨人は寂しく川柳を詠んだ。
「二杯目をそっと出しても飯はなし」
「何を、ブツブツ言っているんだ。玄米なんだから、よく噛めよ。富士山の灰で、新米の収穫高が減ることは目に見えているから、どこの家でも飯はそんなに多く食えないよ」
「分かりました。すいません。他の人はもう仕事に行ったの?」
「ああ、祖父ちゃん祖母ちゃんは、葉物についた灰を落しに行った。まあ、焼け石に水かも知れないけれどな。
紫苑は、図書館で勉強をしている。昨日まで学校の灰除去作業で受験勉強ができなかったし、家にいると何かと手伝わされるからな。
うちの母ちゃんは食堂で働いているから、朝は早くて、夕方も遅いよ」
「じゃあ、朝ご飯は鈴音さんが作ってくれたんだ」
「なんで?姉ちゃんと義兄さんは、『未来TEC』に顔を出しに行った。姉ちゃんは一応育休なんだけれど、被害状況を確認しに行ったし、義兄さんは東京の本社とのリモート会議があるらしい。という訳で、朝飯作ったのは俺だよ、ありがたく食べろ。」
「お父さんは?」
「屋根に登って、灰を水で流している。命綱をしているけれど、たまに確認しないとな。その作業は、1人でしないように村から言われているから。俺は学校に行かず、子守りしながら、父ちゃんの安全確認をしている」
「俺は何をすればいい?」
「まず、自分の洗濯をしろよ。昨日脱いだ服が、車庫の中に金だらいの中にあるから、そこで、灰を落としてから洗濯機に入れろ。洗濯が終わったら、干す場所を教えるから」
「銀河の洗濯は?」
「合宿中の服の洗濯は、昨日ホテルで終わらせてある。昨日着たものはもう洗って干した。鯨人の洗濯の後は、家族の洗濯物を洗うから早くしろよ」
「家族のって?」
「俺以外の家族9人分の洗濯だよ」
「それって、俺も手伝ったほうがいいよね」
「そうだな。紫苑や父ちゃんが昨日着ていた服も、まだ金だらいの中にあるから、灰を落としてくれると助かる」
「毎日こんなに洗濯しているのか?」
「灰を落とす作業がなければ、もう少し楽だけれどな」
「夏休みの宿題とかはないのか?」
「海外遠征するつもりだったから、そんなもんは終業式前に全部終わっているよ」
「そうだったな」
「お早う」
縁側から蒔絵が、鮎子を連れてやってきた。
「おう、蒔絵は洗濯終わったのか?」
「まぁだ。更紗や私の灰がついた服を洗うのに、車庫の金だらいを借りようと思って」
「じゃあさ、鯨人も金だらい使うから、一緒に洗ってくれないか?」
「オッケー。ところで、銀河の家は洗濯物をどこに干している?」
「父ちゃんが、ビニールハウスに目張りをして灰が侵入しないようにしてくれたから、そこで男物は干している。双子の服と女物は、客間があるだろう?あそこで、乾燥機とクーラーを使って、干すよ」
「いいなぁ、うちは使ってない部屋がないんで、うちら兄妹の部屋すべて、洗濯物がぶら下がっている」
銀河は女子高生3人が、洗濯物の下で眠っている、シュールな絵を想像した。
「大変だな。はいはい、分かったよ。下着以外の女物は客間に干していいぞ。もし、洗濯物がなくなったら、犯人は鯨人だから」
「おいおい、俺は変態じゃないぞ」
そんな話をしているところに、屋根から声がかかった。
「おーい。銀河いるか?屋根に上がって手伝ってくれ」
「うへ。ちょっと屋根に上がってくるわ」
蒔絵に梯子を支えて貰って、銀河が屋根の上ると、日に照らされて真っ赤な顔をした鉄次が、ホースを抱えていた。
「このホースを支えてくれないか?屋根から灰を落としたいんだ」
銀河は、命綱をアンカーに固定しながら、鉄次に質問した。
「でも、水を流すと、灰がそのまま雨樋に落ちないか?」
「いや、雨樋に落ちたら、そこから一気に水流を当てて流すんだ。流す時は堅樋を外すから大丈夫」
「了解」
銀河と鉄次が、母屋と車庫の屋根の灰を落とすのと、蒔絵達が洗濯を終わらせるのはほぼ同じくらいの時間だった。そして、夕べのように車庫で、体中の灰を落として、パンツ一丁で風呂に向かうと、洗濯物を干し終わった蒔絵達がちょうど客間から出てきた。
鮎子は、鉄次と銀河の裸から目を反らした。
「銀河、まだ、お腹が出てきてないね」
蒔絵は、銀河の腹を叩いて、ケラケラ笑いながら、台所に向かった。
「おい、蒔絵達も昼ご飯はこっちで食うのか?」
「うん。さっき、鈴音お姉ちゃんからお昼に誘われた」
銀河は小さくため息をつきながら、鉄次と入れ替わって風呂に入っていった。
昼食には、鉄次と祖父母の銀次、英子。それに鈴音と蒔絵、浦瀬姉弟に銀河、図書館から帰ってきた紫苑の8人が、食卓についた。
「あれ?蒔絵ちゃん、こっちで食べるの?更紗も呼べば良かった」
銀河は、紫苑の言葉に頭を抱えた。
「紫苑は、弁当を持っていったんじゃないか?」
「ああ、サンドイッチ作っていったけれど、頭使ったら、腹減ったので、家に帰って来ちゃった」
「あのさ、それじゃ。2食分食ったから、紫苑は夕飯を抜くか?」
「勘弁してくれよ」
昨日から食費の心配をしている銀河の気持ちが分かる、鈴音は声を和らげた。
「銀河、心配しなくていいよ。この素麺は、会社の倉庫にあった賞味期限切れの備蓄品だから」
「えー。賞味期限切れ?」
紫苑の言葉に、銀河が「『消費』期限切れじゃないから、有り難く食えよ」
「そうそう、俺が戻ってきたのは昼飯のためだけじゃないんだ。昨日学校掃除の時使ったタンク式高圧洗浄機が、1台残っていたから借りてきたんだよ」
「遅いよ。もう、屋根の掃除は終わった」
「えー。重かったのに」
そこに、英子が口を出した。
「銀河、午後は暇かい?うちの隣の、根本さんのうち、お年寄り1人じゃないか。灰落とし手伝ってやってくれないか?」
「あー。うちの遠い親戚なんだっけ?確かに、屋根にこんもりと灰が積もっていたな」
「銀河、良かったな。高圧洗浄機が役に立つぞ」
「紫苑も手伝いに行くんだろう?」
銀河の言葉を聞き終わらないうちに、紫苑は食器を持って台所に逃げ出した。
鯨人が、遠慮がちに口を開いた。
「俺が手伝うよ」
蒔絵も手を挙げた。
「私も!」
銀河は眉をひそめた。
「じゃあ、鯨人頼む。蒔絵は洗濯を頼む。朝干したのは、結構乾きだしたし・・」
蒔絵が口を尖らせているので、銀河は、蒔絵の機嫌を取りだした。
「タンクに水が入った高圧洗浄機は重いから、蒔絵より、鯨人のほうがいいんだよ。それに、家の中のどこに何があるか分かっているのは、蒔絵だろう?」
そう言うと、銀河は、英子の方を向いた。
「祖母ちゃんは、根本さんのところに一緒に行ってくれよ。俺たちだけで行くと、新手の詐欺だと思われるから」
ツボに入ったらしく、鮎子がケラケラ笑い出したので、蒔絵の機嫌も直ったようだ。
「花子さん?いる?菱巻です」
英子は、玄関を開けると、案内もないのに、ずんずん居間に入っていった。田舎はそういうところがある。根本花子は、ちょうど、昼食が終わった時間のようで、台所から出てきた。
「あら?英子ちゃん。久し振り。今日はいい男を2人も連れて、どうしたの?」
「いやだぁ。銀河よ。忘れちゃったの?もう1人は、銀河のお友達で、えっと?」
「浦瀬鯨人って言います。『鯨』に『人』って書いて『鯨人』です。家は青森なんですけれど、列車が動くまで、銀河君の家に居候させて貰っています」
英子は、来客用に出されたお茶と煎餅を前に、話を始めた。
「花子さん、朝、畑で屋根の灰を落としてくれる人がいないって、言っていたじゃない?家の孫を使ってくれない?」
「え?いいの?助かるわ。特に農機具小屋の屋根のトタンが、灰の重みで昨日からミシミシ言っているのよ」
花子と英子が、そのまま話し続けたので、銀河は鯨人に目配せした。
「じゃあ、祖母ちゃん。作業してくるよ」
高圧洗浄機の威力は素晴らしかったが、後半は、充電が切れて、箒やホースを使わなければならなかった。
「昨日使った後、しっかり充電しなかったみたいだな」
銀河は、鯨人と大分打ち解けたようだった。
「そうだな。最初に、ざっと掃いた後、水で流したほうがいいみたいだな」
どの屋根にも、アンカーがあるわけがないので、作業をする銀河の命綱を、屋根の反対側で鯨人が支えていた。いがみ合っているわけにはいかなかった。
作業が終わった2人は、頭に巻いた手ぬぐいを解いて、体を叩いた後、遠慮して縁側に座った。灰をこれ以上家の中に持ち込まないようにしたのだ。
花子は、縁側に冷たい麦茶を用意してくれた。
「鯨人君は、お姉さんもいるのね。菱巻さんの家も、大変でしょ?そこの段ボールに野菜や米が入っているから、持っていって頂戴。私1人じゃ食べきれないから」
「あらぁ、悪いわ。そんなつもりじゃなかったのに」と言いながら、英子は銀河に目配せをした。最初からそのつもりだったようだ。
「花子ちゃん、さっきの話、教えてくれる?」
「銀河君、若い人って、家にある不要品をネットで売るんでしょ?死んだお父さんの物や、私の若い頃の着物、息子達が置いて行った物とか、捨てるより売った方がいいかと思って、やり方教えてくれない?」
銀河が、途端に遠い目をした。「面倒くさい」という気持ちを苦労して隠しているようだ。
「物に寄りますが、まず、売れる物か確認しないと行けないし、今は、宅配業者が百葉村まで来てないんで、売れても発送できないんですよ」
「銀河、ものだけでも見て上げて」
銀河は鯨人に耳打ちした。
「鯨人は、ネットで売買したことあるか?」
「あるよ。小さくなったスポーツウエアとか、読み終わった漫画とかすぐ売っちゃうな」
「じゃあ、一緒に物を見てくれよ。俺は買うことはあっても、売ったことないんだ」
「ああ、一応、見てみますか」
花子に案内された部屋は、側面に巨大な婚礼ダンスがずらっと並んでいた。そして、タンスの前の空間にさまざまな物が所狭しと置いてあり、タンスの扉が開けられないようになっていた。まあ、物置になっていたのだ。
「あのー。夕飯まで、あと1時間くらいなんで、今日はざっとしか見られないんです。すいません」
しかし、比較的新しいチャイルドシートと、ほぼ新品の子供用の靴や服が見つかったのは収穫だった。
「あら、それは鈴音ちゃんのところの子にあげてもいいわよ」
「ありがとうございます。後で、姉ちゃん達を寄越します」
銀河は、自分の趣味ではない子ども服に、鈴音が拒否感を持っていることを知っていたので、答えを濁した。
子供服があった山をどかすと、桐箪笥の前が開いた。
「これも開けますよ」
英子が、開けたタンスには、様々な和服がしまわれていた。
「あら、花子さん。樟脳臭くないのね」
「そうよ。樟脳は一旦入れたら後はなかなか匂いが消えないから、20年前くらいから使っていないの。その辺は浴衣でしょ?」
「そうね。家族全員の浴衣みたいね。いやだ。仕付けがついているのもあるじゃない」
「うーん。お嫁さんが気に入らなかったの。だから、1回も着ていないのよ。白い浴衣は、下が透けるじゃない?」
そこには、白地に赤い金魚が、大胆にあしらわれている浴衣だった。キラキラ光るラメが入った兵児帯も一緒に、たとう紙に包まれていた。確かに、少し若向きの柄ではあった。
「銀河、見てご覧なさい。蒔絵ちゃんに似合いそうよ」
「浴衣って、サイズはないんですか?」
「あるけれど、背が高ければ、対丈で着ればいいのよ」
「蒔絵は、横幅もありますよ」
花子がニコニコしながら、聞いた。
「銀河君の彼女?いいわね。家のお嫁さん、子供が生まれてから作ったから、幅はかなりゆとりがあるのよ。まあ、着ては貰えなかったけれど」
寂しそうな花子の顔を見ると、姑の方も、嫁との付き合いに悩んでいることが分かる。
「あの、この浴衣だけは持ち帰ってもいいですか?」
銀河には似合わない言葉が口をついた。
「いいわよ。タンスの肥やしにするには、勿体ない着物よね。男物もあるから一緒に持って行きなさい。2人でお祭りに来たらいいわ」
花子は売りたいわけではなかったのだ。誰かの役に立つなら、それがいいと思っていたのだ。
英子は、まだ着物タンスを漁っていた。
「ねえ、花子さんって、他人に着付けはできるかしら」
「勿論、できるわ」
「私ね。百葉高校の文化祭に行ったことあるんだけれど、茶道部が制服でお点前するの。違和感があるのよ。3年生だけでも、着物を着せたらいいのにね」
「茶道部の指導に言っているのは、小百合さんでしょ?1人で生徒全員の着付けなんかできないから、制服のまま、お点前させているって聞いたことがあるわ」
「銀河、茶道部って、3年生は何人くらいいるの?」
「全員でも5人くらいじゃないのか?その他に、1年の男子で、和菓子だけ食べに行くのが2人くらいいるらしいけれど」
「そのくらいなら、私達も手伝いに行けば着られるんじゃない?」
花子は顔を楽しそうに輝かせた。
「誰が着るか分かっていたら、作り帯にしておいてもいいわね。普段の所作は、浴衣で練習を何回かすればいいし・・・」
銀河と鯨人は、盛り上がっている2人を横目に、立ちながらも半分うとうとし始めた。
「いいわね?」
「え?何が?」
「明日は、吉田小百合さんの家の掃除に行くって話よ」
「え?話が見えないんだけれど」
「明日、私達は百葉村の文化祭の打合せに行くから、その間、2人で、灰を除去しなさい」
夕飯は、銀河と鯨人が、鮫島家で食べることになった。鮫島政成と穂高・更紗が先に食べて、ソファーに移った後、残りの4人で夕飯を囲んだ。
「おじさん、すいません。夕飯をゆっくり食べられませんでしたよね」
「いやぁ、銀河君気にしないでくれよ。蒔絵が昼食はそっちでご馳走になったし、何より、洗濯物を干して貰って助かっているよ」
蒔絵の母絹子も、花子の家から来た野菜を貰ってほくほくしていた。
「根本さんは野菜作るのが上手いのよね。灰が降るって言うんで、少し早めに収穫したって言うけれど、玉蜀黍も茄子もお店で売ってもいいくらい。有り難いわ」
食卓には、茹でた玉蜀黍が山盛りに積んであった。
鮎子が申し訳なさそうに話し始めた。
「青森の家にも、去年の米がいっぱいあるんですけれど、宅配は無理ですよね」
「穂高は、千葉県の北部の、流山市や柏市辺りの降灰も見てきたんだろう?どうだった?」
父親に聞かれて、穂高は記憶をたどり始めた。
「うーん。流山市辺りはほとんど降灰はなかったかな?もっと北の野田市辺りなら、もう普通に車は走れるんじゃないか?父さん何考えているの?」
「宅配の中継地になりそうな市町村があったら、そこの役場に百瀬村宛ての荷物を預かって貰えないかと思って・・・」
「でも、千葉県宛ての宅配はすべて止まっているから、預かって貰うなら、茨城県だよ」
「ああ、盲点だった。つくば未来村があったな。そこに『未来TEC』の支社があるじゃないか」
村役場に勤めている絹子も賛同した。
「お父さん、いい考えだわ。支社長に話を通して貰って、宅配が止まっている間、そこに『百葉村』宛ての宅配の中継地点を作って貰えればいいのね」
銀河は、玉蜀黍を丁寧に1列ずつ剥がしながら聞いた。
「毎日、つくば未来村に往復してくれる人がいりますね」
「あぁ、それは難しいな。1週間に1度だったら、俺が行けるけれど」
「パパは、忙しいから無理よ」
銀河が、もう一本の玉蜀黍に手を伸ばそうとして、手を止めた。
「いたよ、忙しくない人が。うちの父ちゃんが今、無職だ」
「銀河君、それはいいアイディアだ。鉄次さんに頼んでみよう。軽トラがあるから、荷物を運ぶのにいいな」
穂高が、食後の缶酎ハイを取りに、台所に行こうと席を立った。
「ところで、鮎子さんや鯨人さんは、インターハイが後1週間後にあるけれど、会場までどうやって行くつもりなの?」
それを聞いて、鮎子の目から大粒の涙が流れてきた。