45 「旅は道連れ 世は情け」です
前回の作品「桔梗学園子育て記」でも、ブックマークや評価ポイントが始めてついた時は非常に嬉しかったです。頑張って、毎日話をアップしようという励みになります。ありがとうございました。
台風一過。台風の後は、青空が広がるはずだが、大宮市の上空にも富士山からの火山灰が飛んできているので、薄暗い朝がやってきた。暗い中での運転は、道路状況が分からないので、百葉村からの2台の車は、日が昇った早朝5時に出発した。
「鉄次おじさん、何を詰め込んでいるんですか?」
「お早う。穂高君、朝から済まないね。灰でスタックした時用のスコップや、倒木を切るチェーンソー、牽引用のロープなんかを、一応詰めている。穂高君のクロスビーは、ウインドウウオッシャー液は満タンかな?」
「あー。少し足りないですね。補充します。あと、ワイパーの換えですか?」
「今から、買ってくるわけにいかないから、雪用ワイパーでもいいよ。灰の重さで、ワイパーブレードが切れたら悲惨だからね。後は、箒や水・・・かな?」
茉莉は、こういう時の夫が頼もしくて好きだ。そして「日常でポンコツ過ぎなければ、いい男なのに」と残念に思った。
「お父さん。お弁当と飲み物。気をつけて行って来てね」
「鉄次さん、穂高と蒔絵をよろしくお願いします」
鮫島の両親も差し入れを持って、見送りに来た。百葉村の中高生は、朝から学校の灰の除去に駆り出されているので、紫苑と更紗は朝食の最中だった。
「すいませんね。穂高君、学校の仕事もあるのに・・・」
穂高からすれば、灰の除去より運転の方がずっと楽だと思っていたので、渡りに船だった。
鉄次と穂高は、なるべく降灰の影響が少ないと思われる海岸線を北上し、流山市周辺から大宮に向かう計画だった。風向きや山陰の影響で、道路上の灰の量は変化したが、台風の影響で、かなりの灰が側溝に流されていたので、運転はしやすかった。
途中、何カ所か台風の影響で、倒木が道を塞いでいたが、鉄次がチェーンソーで木を細かく切り分け、道を作っていったので、大きな遅れもなく、大宮に着くことができた。
大宮ではホテルの前に、8人が並んで待っていた。手ぬぐいを頭に巻き、薄汚れた作業着姿の鉄次を見て、鈴音や銀河は、簡単に大宮まで来たわけではないことを、理解した。
「頑張ったな。父ちゃんが来たから大丈夫だ」
自信たっぷりの鉄次に頭を撫でられて、「大丈夫って何よ」と思いながらも、鈴音は不覚にも涙が出そうになった。
「父ちゃん。フロント回りの砂を1回落とす?」
銀河は、帰りまでの道のりも長いことを理解していた。
「おう。車の中に箒があるから、フロントや屋根の砂を落としてくれ」
「いや、ホテルの前じゃ駄目でしょ?どこかの河川敷脇の公園で落とそう」
「河川敷は増水していて、危ないな。まあ、適当なところで落とそう。風向きがまた、変わってきそうだから、早く出発しよう」
鉄次のワゴン車には鈴音達家族が、穂高のクロスビーには高校生4人が乗り込んだ。車同士の連絡は、春二と銀河が、助手席でスマホを持って行った。
「銀河君、じゃあ、そっちも出発してください。1時間走ったら、休憩を取ります」
「了解です」
兄の車に乗った安心感からか、蒔絵はすぐ後部座席で眠り始めた。
鮎子と鯨人は、流石に眠ることはできないので、背筋を伸ばして、後部座席に収まった。
「緊張しなくていいよ。疲れていたら寝てもいいよ。僕は、蒔絵の兄の鮫島穂高って言います。一応、高校の理科の先生なんだ。君達の名前は・・・」
「初めまして、私は浦瀬鮎子、高校2年生です。弟は鯨人、高校1年生です。蒔絵さんには本当に助けていただいて、感謝しています」
「あー。蒔絵達のライバルダブルスだよね。うちの母親達が、『お姉さんはうちに、弟さんは銀河のところで預かろうか』って話をしていたけれど、それでいい?2人一緒がいいなら、家に2人一緒に来てくれてもいいけれど」
銀河が渋い顔をした。
「鮫島先生。2人一緒に預かることを、おばさんはいいって言っていたんですか?確認しないで話を進めちゃ駄目ですよ」
「いいって言ってないけれど、大丈夫じゃないかな。鯨人さんは僕の部屋に泊まればいいし」
「勘弁してくださいよ。ちゃんと両家の財務相に話を通さないと、後で怒られますよ」
大宮を出発して30分ほどした時、突然、クロスビーの車体が大きく傾いた。
「うわ。落輪したか?」
銀河が、急いで連絡を入れて、すぐ先行するワゴン車に停まって貰った。それから、発煙筒を取ると、寝ている蒔絵を跨いで、後部座席の右のドアから外に出た。
「鮫島先生、ハザード出して。三角表示板はリアにありますよね。鯨人、上着を持って、車に気をつけて、右のドアから外に出ろ」
何度も跨がれて、流石の蒔絵も目を覚ました。
「お兄ちゃんどうしたの?」
「左の路肩が崩れていて、そこに後ろの車輪が落ちた。2人とも、シートベルト外して、右側に寄っていろ」
「銀河達は?」
「この灰で視界が悪いから、後ろから追突されないように、後続の車に合図を出しに行った」
「私も」
「蒔絵!」
今まで聞いたことがない兄の怒鳴り声だった。
「お前達は、この車の『重り』なんだから、動くんじゃない。鉄次さんが牽引ロープを今結んでいるから、そのまま動くな」
窓の外から、鉄次が顔を覗かせた。
「間一髪だったな。左の法面は、増水した川に削られたんだろうな。行きは大丈夫でも、反対車線には注意がいるぞ。じゃあ、このまま、蒔絵達を、誘導と交代させて、銀河達に車体を持ち上げさせて、脱出するぞ」
「銀河ぁ―。誘導交代するね」
銀河は蒔絵の頬を、がしっと掴むと、蒔絵に言い聞かせた。
「蒔絵、絶対に!道路に出るな!それから、路肩の下の土は、ぐずぐずだからすぐ崩れる。崩れたら、下の川まで落ちるからな」
銀河は蒔絵が夢中になって、車の前に飛び出すことが心配だった。
そして、鮎子の方を振り返った。
「蒔絵を後方に立たせますから、ここで、無理をしないで上着を振っていてください」
春二と銀河と鯨人の3人は、クロスビーを持ち上げながら押した。車体の重い車であるが、どうにか脱出できた。特にラガーマンだった春二の力は、ものすごかった。
車が無事脱出するとすぐ、銀河は、蒔絵のところに戻って、三角表示板と発煙筒を回収した。そして、鮎里に一声掛けて、蒔絵の手を掴んで引き戻した。
「鮎里さんも、気をつけて歩いてきてください」
路肩の大きな穴をそのまま放置することはできないので、鈴音はすぐに警察の通報した。警察の到着後、2台はようやく出発できた。時計を見ると、かれこれ1時間はたっていた。
「銀河君、次の道の駅で、休憩をします。双子もオムツを買えなければならないし、ついでに俺たちも泥で汚れた服を着替えよう」
春二の電話の向こうで、双子の泣き声二重唱が聞こえた。
「はい。了解しました」
吹き出しながら、通話を切った。蒔絵も笑ったわけが分かったらしく、
「あの泣き声はうんちだね」
「まさしく」
銀河のこわばっていた顔が、蒔絵との会話で緩んだ。鮎子はそんな2人のやりとりが羨ましかった。
休憩は、道の駅で取ることにした。母親達の愛情弁当もここで食べた。しっかりトイレ休憩をし、双子も、チャイルドシートから放して、道の駅内の「子ども広場」で遊ばせた。外は灰が飛んでいるので出すことはできないのだ。
銀河と大人達が、これからの道について話し合いをしている間、蒔絵と浦瀬姉弟は、食堂で、かき氷を食べていた。
「銀河君って、大人ね」
鮎子が、大人と対等に話し合っている銀河を見ながら呟いた。蒔絵は、にやっと笑った。
「もう少しすると、体形もおじさんになるよ」
「え?どういうこと?」
「銀河は、練習量を落とすとすぐ太るの。お腹がぽっちゃりするんだ」
「食い過ぎなんじゃないか?さっきも、お握りじゃ足りないって、ラーメン食っていたぞ」
「一緒にラーメンを食べていた家のお兄ちゃんは、そんなに太らないんだけれどね」
「鯨人は太らないよね」
「いや、俺はちゃんとカロリーを気にしているんだ。『いつでも脱げる体』っていうのが、俺のキャッチコピーだから」
鮎子は自分の弟ながら恥ずかしい弟だと思った。
「見た目より、私は触り心地を優先するな」
「蒔絵ちゃんって、たまにエッチな言い方するよね」
「そう?私は、銀河のお腹が枕にちょうどいいって、言っているんだけれど。トトロのお腹みたいで、ふかふかなんだよ」
浦瀬姉弟は、蒔絵の言葉に二の句が継げなくなってしまった。
「おーい。蒔絵、出発するからトイレに行っておけ」
穂高に促されて、蒔絵と鯨人がすぐに席を立った。残った鮎子は、穂高に話しかけた。
「蒔絵さんと銀河君って、仲良しですね」
「ん?気になりますか?」
鮎子は、穂高に自分の心の奥を覗かれたような気がした。それでも、口から出る言葉を止められなかった。
「いいえ、夕べも抱き合って眠っていたから」
「へー。外でもそんなことやっているんですか。2人は、釘を刺しておかないといけませんね」
「あの。『私が言った』って、2人に言わないでください」
「それは無理ですね。目撃者はあなた達、姉弟しかいないんですから」
「あっ」
鮎子は、穂高が学校の先生だと言うことを思いだした。穂高は急に真顔になって、静かに言い放った。
「銀河を好きな気持ちは、別に止めないけれど、家に泊めるからには、そういうトラブルを持ち込まないで欲しいな」
鮎子は、穂高の顔が見られなかった。そんな鮎子に、穂高はもとの優しい声で囁いた。
「鮎子さんも、トイレに行ってくださいね」
帰宅の旅の最後は、一番の困難が待っていた。流山市から房総半島を南下すると、今度は台風の爪痕がそこここにあった。川が氾濫して橋が渡れなかったり、強風や灰の重さで垂れ下がった電線があったり、結構なサバイバルだった。自宅近くは、噴火の灰が町を覆い、ホワイトアウトのように視界が悪かった。それでも、夕陽が沈む前に、2台の車は自宅に着くことができた。
銀河の家の灯りが見えると、今まで緊張していた鉄次も穂高も、急に口が軽くなった。
「田邊先生に借りたチャイルドシートは、今日中に帰したほうがいいかな?」
鉄次に、鈴音が答えた。
「明日、学校に行く時、鮫島先生に持って行って貰うわ。ああ、何もお土産も買わなかったね」
「無事に帰ったのが、何よりの土産だよ」
クロスビーの中でも、銀河が浦瀬姉弟に話しかけていた。
「母ちゃん達に確認したら、取りあえず、鯨人は俺の部屋に、鮎子さんは蒔絵と更紗の部屋に泊って欲しいそうだ」
「鮎子さん、狭い部屋で勘弁ね」
銀河の強い視線を受けて、穂高はその先を言わないで置いた。
「学校の灰の除去作業は、一応今日で終わったらしい。明日は、家庭の灰の除去をするため、補習も部活もないそうだ」
穂高は、田邊先生からのラインの内容を、生徒達に伝達した。
「マンションはいいよな。俺の家は、屋根、それから車庫のトタン屋根からも、早めに灰を除去しないとならないなぁ」
「洗濯は?」
蒔絵の質問に銀河はため息をついた。
「明日のことは、明日考えよう。今日は眠る」
銀河の家の庭に2台が到着すると、茉莉がホースを持って仁王立ちしていた。
「お帰り~。菱巻家の男性諸君、頭を出しなさい」
そう言うと、茉莉は頭からホースの水を掛けて砂を流し始めた。
「はい、水を被った人は、下着以外の服を脱いで金だらいに置いて、玄関のバスタオルを取って1人ずつ風呂場に行ってください」
春二は、思いも寄らない菱巻家の洗礼に、立ちすくんでしまった。
「僕もですか?」
「はい、『僕』もです。この人数が風呂場で砂を流したら、配水管が詰まるでしょ?鉄次さん、シャワーだけですよ。3人が入ったら、赤ちゃんを風呂に入れるんですから」
鮎子は「男じゃなくて良かった」と思っていたが、菱巻家の庭先にはもう1つ関所が用意されていた。
そこには、蒔絵の母絹子が立っていた。足元には、ブルーシートが広がっている。
「はい。流石に女の子を脱がすわけに行かないけれど、こっちも状況は同じ。このブラシで、体中の灰を落としてからマンションに入って頂戴」
特に交通誘導をした蒔絵と鮎子の髪からは、面白いように灰が落ちた。
そして、鮎子は自動的に蒔絵の家に泊まることになった。
銀河と鯨人は、パンツ1枚でふざけ合っていた。それを見ている鮎子に、穂高がスマホの画面を見せながら、優しく声を掛けた。
「これが鮫島家と菱巻家の連絡先です。ここに暫く泊まると、お家の方に連絡してください」
声は優しいが、灯りを背にした穂高の表情は、鮎子には見えなかった。