43 私達は離れません
大昔、まだ私が学生の頃、台風?で都内の交通機関が麻痺したことがありました。都内から脱出しようとしても、あらゆる河川が増水して、次々と電車が止まりました。私はたまたま、一緒に行動していた友人が、都内に親戚がいるというので、その家にお邪魔してゆっくりTVを見ながら時間を過ごし、電車が動き出したタイミングで帰宅することができました。びしょ濡れの地下鉄の通路で、ずっと1人で時間を過ごした友人もいたとのこと。持つべきものは友人です。
合宿3日目の夜、ロビーのTVの前に強化合宿の参加者が集まっていた。それは合宿最後の夜に交流を深めようという理由からではなかった。
「巨大台風が上陸するって、明後日に成田空港直撃じゃないか。世界大会に出発できないよ」
鯨人が大きな声を上げた。姉の鮎子が沈んだ声を出した。
「発表前に、もう選手に選ばれたって思えるって、余裕だね。多分、選ばれてない私も、帰りの新幹線が動かなければうちに帰れないよ」
中学生達も不安そうだった。
「うちの地元も、土砂崩れで新幹線が不通です。帰れないかも」
「まあ、暫くHTCで泊まっていたら?協会の人も未成年を放り出して帰ったりしないんじゃない?」
「蒔絵、下手な慰めを言うなよ。協会の人も自宅に帰るんだから」
楽観的な蒔絵を注意する銀河のスマホに、突然着信が入った。
スマホの画面を見ると、鈴音からの着信だった。
「はい。姉ちゃん、何?え?おい、NHKにチャンネル変えろって」
蒔絵が素早くTVのチャンネルを変えると、そこには富士山が黒煙を上げて、噴火している映像が流れていた。
富士山が、300年振りに巨大噴火を起こした映像が映し出されている。
「これって『ライブ』映像だ。今富士山が噴火しているってことは、その後に、巨大台風が追いかけてくるのか?千葉県はかなりヤバいぞ。多分、飛行場は閉鎖されるな。
え?姉ちゃん何?うん、分かった。蒔絵も一緒に動くよ」
「銀河、鈴音お姉ちゃんはなんて言っているの?」
「今からHTCを出て、大宮まで移動しろって。姉ちゃん達が、大宮のホテルを2部屋取ってくれたって。姉ちゃん達も、双子がいるから至急千葉に避難するって」
「なんで、大宮に泊まるの?」
「今は9時近いんだぜ。赤ん坊がいるのに、夜中電車が止まったらまずいだろう?」
「鈴音お姉ちゃんのところ、マンションでしょ?台風とか大丈夫じゃないの?」
「姉ちゃん達は、噴火の灰を心配しているんだ。火山の灰は、細かいガラスみたいなものだから、赤ちゃんの目や灰を傷つける」
「銀河もコンタクト外さないと」
「眼鏡に替えて帰るさ。蒔絵も靴は運動靴を履けよ。電車が止まったら歩くから。でも、兎に角、荒川は電車で越えたいな」
「ここから大宮まで全部歩くと・・・」
「まあ、4時間?いやもっとかかるな。スーツケースもあるから。だから、早くここを出たい。蒔絵は至急荷物をまとめろ。俺は会長さんのところへ事情を話しにいって、帰らせて貰う」
サッと動く2人を見て、他の選手達も慌てて親に連絡を取り始めた。会議中の協会スタッフはまだ、事情を正確に捉えていなかった。
勝手に帰宅させるわけにはいかないと、談判に来た銀河を止めたが、「では、ここに台風が収まるまで全員を泊めて、帰りの足まで確保してくれるんですね」と詰め寄られ、しょうがなく、銀河達の帰宅を許可した。
その直後から、選手の保護者から、次々に電話がかかってきて、スタッフ全員がパニックに陥ってしまった。
TVには、首都圏を脱出する人々が、駅に殺到する映像が流れていた。
浦瀬姉弟も、親と連絡を取った。至急、東北新幹線に乗って帰宅するように言われた。
「新幹線のチケットは取れるかな?」
「自由席なら買えるでしょ?銀河達と一緒に大宮まで行こう」
浦瀬姉弟は残念ながらその時、新幹線の運行状況を確認していなかった。もう既に、東京駅から発着する新幹線が運行していないことを知らずに、大宮に向かうことを決めてしまった。台風がもたらす強い風の影響で、富士山からの灰を運んできて、電気系統があちらこちらでトラブルを起こしているのだ。
銀河と蒔絵の後について、浦瀬姉弟がHTCを出ると、銀河達は駅とは逆方向に向かっていった。
「どうしよう。2人についていく?」
「いや、まず、俺たちは駅に向かおう。最終目的地は違うんだから」
蒔絵も、銀河の考えが分からなかったが、黙ってついて行った。銀河が進む方向にあるのは、コンビニだった。
「蒔絵、水と2食分の飯を買ってこい。トイレにも行けよ」
そう言うと、銀河は、都内や埼玉県の地図、絆創膏、懐中電灯、裁縫道具、雨具、透明ゴミ袋、新聞、ライターなどを買い込んで、有料のビニール袋に詰め込んだ。
赤羽駅に着くと、そこは多くの乗客でごった返していた。銀河は気がせくが、蒔絵とはぐれるのが嫌なので、慎重に前に進んだ。女子トイレの列に鮎子が見えたが、銀河は見ないことにした。高崎線のホームまで、混雑の中、スーツケースを担いで上がった。そこには、鯨人がうろうろと鮎子を探していた。
銀河は深くため息をついて、鯨人に手を挙げて声を掛けた。
「おーい。鯨人。階段降りたところの女子トイレの列に、鮎子が並んでいたぞ-」
「ありがとう。悪いけれど、荷物見ていてくれないか?」
「嫌だ。次の列車に乗るから」
銀河は、後ろから服を引っ張られた。蒔絵が口を尖らせていた。
「おい。電車はいつ運行中止になるか分からないんだぞ」
それでも、蒔絵は河豚のように頬を膨らませて、抗議の目で見ている。
銀河は再度、大きくため息をついた。
「早く戻って来いよ」
銀河は並んだ列から少し横にそれると、恨めしそうに、後ろに並んでいた人を先に通した。
鮎子を連れて、鯨人が合流したのは、それから15分もたってからだった。
「ありがとう。列を取ってくれていたのね」
鮎子が嬉しそうに、蒔絵に話しかける。蒔絵は、その言葉が銀河の神経を逆なでしていることが分かっていたが、鮎子に笑顔を返した。
先頭に並んでいても、やってきた列車は既に、満員でスーツケースを抱えた4人組は乗客から嫌そうな顔をされた。それでも銀河は後ろ向きに列車に入り、背中でどんどん乗客を押し込んでいった。中に入ると、2つのスーツケースの上に蒔絵を座らせて、他の乗客から自分の体を使って蒔絵をガードした。
蒔絵が物言いたそうに、銀河を見上げる。銀河は顔で「もういいから・・・」と拒否した。
蒔絵は乗客の中でもみくちゃになっている鮎子を心配していた。その内に、誰かに体を触られているようで、体を必死にくねらせている。
蒔絵は視線では銀河が動かないので、次の作戦に出た。掌で銀河の腹を触りだしたのだ。
「やめろよ。やめろってば、あー、わかった」
銀河は3度目のため息をついて、くるっと振り返り、鮎子の方に手を伸ばして、その腰を掴んで引き寄せた。そして、蒔絵の隣に座らせた。
蒔絵はニコニコして、鮎子を見つめた。鮎子は急に腰を抱き寄せられたので、赤くなって、下を向いてしまった。銀河の後方では、鯨人が必死に2人分のスーツケースを支えていた。
浦和駅について、かなり多くの乗客が降りたが、列車は一向に発車しようとしなかった。車内案内が流れた。
「ただ今、高崎線は噴火による電気系統の故障の影響で、運転を停止しております。運転再開の見通しはついておりません」
「ほらぁ。止まった。蒔絵、行くぞ」
「銀河君、どうするの?」
銀河は、鮎子の質問に答えることなく、スーツケースから、2人を下ろして車外に出ていった。蒔絵が申し訳なさそうな顔をして、鮎子に小さく「さよなら」と手を振った。
鮎子は鯨人と目配せすると、黙ってずんずん歩く銀河達について行った。改札を出ると、銀河は2人に向かって振り返った。
「ついてきたのかよ」
「だって、銀河君答えてくれないじゃない」
「あそこで、降りて歩くって言ったら、他の乗客も降りちゃうだろう」
そこまで言って、銀河はスマホを取りだした。
「やっと通信が回復した。人が多くてスマホが使えなかった。姉ちゃんからラインが入っている。向こうはホテルに着いたって、ホテルの名前と地図も送られてきた」
そう言うと、銀河はコンビニで買った紙の地図を開いて、懐中電灯を使って、目標のホテルを確認した。
「少し、駅から離れているけれど、大通り沿いだからわかりやすいな」
浦瀬姉弟も、スマホで新幹線の運行情報を確認始めた。
「うそ、東北新幹線、停まっている」
(だから、HTCにいれば良かったのに)
銀河は2人の動揺を見なかったことにして、道路沿いのバス停のベンチに座った。
「蒔絵も座れよ。歩き出す前に、エネルギー補給するぞ」
それを見て、鯨人が動き出した。
「鮎子、待っていて、何か食べ物買ってくるから」
バス停前のコンビニは、泥棒に入られたように空の棚が並んでいた。
「鮎子、こんなのしかなかった」
鯨人はシーチキンの缶詰を買ってきて、2人で分け合った。
銀河が、お握りを口にくわえたまま立ち上がった。荷物から雨具とゴミ袋を持ち出し、スーツケースにかけ始めた。
「銀河、どうしたの?まだ、雨が降っていないよ?」
「雨の匂いがする。すぐ降り出すぞ。早く移動しないと」
スーツケースのタイヤの音を響かせながら、4人は黙って歩き出した。ホテルに着く直前に、雨は突然降ってきた。雨具を着ていない浦瀬姉弟は、頭から足の先まで、濡れ鼠になってしまった。
ホテルに着くと、春二がロビーで待っていてくれた。
「銀河君、蒔絵ちゃん。歩いてきたんだね。電車が停まっていて大変だっただろう」
「お義兄さん達がついた時は、列車は動いていましたか?」
「うん。凄い混雑だったけれど、大宮まで動いていた。じゃあ、部屋に行って、シャワーを浴びたらいいよ。明日は電車が動いていたら、それに乗って帰ろう。駄目なら、お義父さんが車で迎えに来てくれるそうだ。あれ?そこの高校生は、知り合い?」
服から水をしたたらせた浦瀬姉弟の、縋るような視線に春二は気づいてしまった。
無視を決め込もうとしていた銀河を尻目に、蒔絵が春二の問いに答えた。
「さっきまで、一緒に合宿していた浦瀬姉弟です。2人は家が青森なんで、大宮から東北新幹線に乗ろうとして、一緒に来たんです。でも・・・」
「ああ、新幹線は多分明日も動かないね。駅で一晩過ごすわけにも行かないよね。部屋があるか聞いてみて上げる」
当然のことだが、部屋はすべて満室で、エキストラベッドもないようだ。ただ2人が高校生ということもあって、銀河達と同じ部屋に寝るなら、タオルや部屋着を追加で貸してくれると言うところまで、春二は交渉してきてくれた。
「ちょっと、お義兄さん。俺たちと一緒って?」
「マンションでも、蒔絵ちゃんと銀河君は、同じ部屋で寝ても大丈夫だっただろう?そっちは姉弟だっていうし、ベッドはセミダブルが2つ入っている部屋だから大丈夫だよ」
まだ、文句を言おうと銀河が口を開いたところで、鮎子が盛大にくしゃみをしたので、取りあえず、部屋に上がろうということになった。
ホテルの最上階に上がると、エレベーターホールから、雷と共に車軸を流すような雨が降っている様子が見えた。
「良かったね。噴火の灰も、雨で流れるよ」
ここまで不機嫌な銀河を見たことがない鮎子は、どうにかして空気を和ませようと、一生懸命、蒔絵に話しかけた。
しかし、銀河は今日4度目のため息をついた。
「鮎子さん。噴火の灰は、草木を燃やした灰じゃないんですよ。雨が降れば粘土状に固まって、除去するのにも重くなるし、側溝に詰まれば水が溢れるし、今回の噴火に台風が加わるのは、複合災害なんですよ。車で迎えに来るにしても、灰はガラス状なので高速で走るとフロントガラスが割れるし、道路がどういう状況になるかも分からないですよね」
そう言う銀河の背中を、蒔絵は軽く叩いた。銀河は深呼吸をして怒りを収め、今晩の手順を考え出した。
「じゃあ、雨に濡れた2人が先にシャワーを浴びてくれ。俺たちは、隣の部屋で姉ちゃん達と、明日の話をしてくる」
先にシャワーを浴びた鮎子は、ベッドに寝転ぶとそのまま泥のように眠ってしまった。
打合せが終わって戻ってきた蒔絵は、鮎子を少し動かして掛け布団を掛けた。
「怖かったんだろうね」
「俺が頼りなくて、申し訳なかったよ」
風呂上がりの鯨人が、頭を拭きながら呟いた。代わりに蒔絵がシャワーを浴びに行った。
「鯨人、親に連絡を取ったのか?」
「うちはさ、母ちゃんの軽しか車がないんだよ。迎えに来られないって」
「おいおい、青森で使っている車なら4輪駆動だろう?大丈夫じゃないか?」
「火山灰の中を走ったことがないから、『無理』だって」
「じゃあ、お前達どうするんだ?300年前の、宝永大噴火は2週間も噴火が続いていたらしいけれど、今回の噴火の規模もほぼ同じくらいだっていうから、そのくらい噴火が続くと思うよ。電車もなかなか動かないんじゃないか?後は、高速バスだな」
「バスが動くまで、ホテル住まいとか無理なんだけれど」
鯨人の泣き言に、銀河が冷たく答えた。
「勘弁してくれよ。家の車だって、ワゴン車で7人しか乗れないぞ」
寝ている鮎子がすすり泣き始めた。
「鮎子だけでも乗せてくれないか?俺はヒッチハイクでもして帰るから」
「チャイルドシートは、2つつけると3人分の座席を取るんだ。俺たち6人に、運転してきた父ちゃん1人で7人。どんなに頼まれても車には乗せられない」
シャワーから出てきた蒔絵が髪を拭きながら、話に入ってきた。
「うちも車出して貰うように頼むよ。夏休みだから、穂高兄ちゃんが運転できるよ」
「蒔絵の家のワゴン車って、4輪駆動だっけ?」
「いや?FFだな。でも穂高のクロスビーは4駆だったと思う」
「なんか、赤の他人のために鮫島先生に頼むのは、悪いな」
「大丈夫。明日、『電車が動かなかったら、迎えに来て』ってメールしておくね」
そう言うと、蒔絵は鮎子と反対のベッドに潜り込んでしまった。
「ちょっと、俺たちに床で寝ろって?」
鯨人の愚痴を聞いて、銀河は肩をすくめて、シャワーを浴びに行ってしまった。
部屋のソファーでうとうとしていた鯨人は、銀河に肩を叩かれて目を覚ました。
「おい、そんなところで寝ていたら、疲れが取れないぞ。ベッドをくっつけるから、こっちを押せ」
セミダブルのベッドを2つ、壁側に押しつけて連結すると、銀河は鯨人に壁際を指さした。
「そっちで寝ろ。真ん中に女の子2人。俺はこっちの端で寝るから」
そう言うと、銀河は蒔絵を腕の中に抱え込んで、ベッドに横になった。
「お前ら、そんな格好で寝て大丈夫なのか?」
銀河は1つあくびをして、片目を開けた。
「いや、俺は、この太い腕で殴られたり、ベッドから蹴り出されたりしたくないから、最初から押さえ込んでいるんだ」
よく見ると、銀河は、両足で蒔絵の両足を挟み込んでいた。
(本当に高校生の男女が、それでいいのか?)と鯨人は悩んでしまった。
しかし、そんな鯨人も、長かった今日1日の疲れで、静かな眠りの底に落ちていった。