2 田中先生は予定が狂った
本日第2話をお送りします。毎日、1話ずつアップすることを「目指して」います。
田中彼方は、受付にやってきた生徒を見て目を疑った。
今日は、百葉村立百葉高校の新入生登校日だった。例年、付属の中学校からそのままエスカレーターで上がってくる生徒ばかりで、田中先生も中学の生徒を把握している。だから、いつもの通り、いつもの生徒の「子守り」をする1日だと高をくくっていた。しかし、今年は違った。
受付では大きな笑い声が起こっていた。
そこにはおんぶ紐と抱っこ紐で、2人の赤ん坊を体にくくりつけ、スーツケースを引いた少年と、組み立て式ベビーベッドを抱えた少女が立っていたのだ。
「銀河、いつお前ら結婚したんだよ」
「蒔絵、春休みに子供産んだの?」
「海里!ふざけないで、ベビーベッド作るのを手伝って」
田中先生の息子、海里が、蒔絵の命令で、ベビーベッドを組み立てていた。
銀河は、先に受付が終わっらせて、蒔絵とバトンタッチした。そしてそこで、ベッドの組み立てを手伝わされている海里に謝った。
「悪いな。うちの姉ちゃん、東京の義兄さんのところに行って、まだ帰ってきていないんだ。
今日1日賑やかだけど、勘弁してくれよ」
その後、銀河は双子を体にくくりつけたまま、「未来TEC」社員の子供達のところに行った。百葉村中学からそのまま上がってきた生徒の中で、外進生の彼らは数人で固まっていた。
「こんちは。俺、菱巻銀河、よろしく。一緒に登校してきたのは、うちの隣に住んでいる鮫島蒔絵。今日は無理を言って、手伝いを頼んだんだ。
今日さぁ、うちの姉ちゃんの子供を預かる人がいなくて連れてきちゃったんだ。今日1日、迷惑かけるけれど、勘弁な」
銀河はこういうところが如才ない。
「理由は分かったけれど、学校に連れてくるって、非常識じゃない?数学のテストの時も、教室にいるの?」
「未来TEC」社員の息子、上村航平が、思いっきり嫌そうな顔をした。
「そうだよね。泣き出したら、うるさいよね。そうしたら、すぐ連れて出て行くか、誰か先生に頼むから大丈夫だよ」
「数学のテスト、クラス分けに使う大切なテストなんでしょ?」
「あー。2クラスに分けるだけだからね。あんまり神経質にならなくてもいいと思うよ」
航平は、この脳天気な男の言い草に、皮肉の一つも言いたくなった。
「そうだね。君は試験を受けなくても結果が分かっているんじゃない?だったら、今日休めば良かったのに」
「まあ、試験は俺にとって重要じゃないかもね。でも見たとおり、俺って特殊体形だから、制服の採寸をしないといけなくてさ、今日は休む訳にはいかなかったんだよ」
そう言って、銀河は少しボタンが弾けそうになっている、中学の制服の腹を叩いた。
蒔絵と、親友の山賀里帆は、そのやりとりを見ていた。
「なんかあの子。言い方に棘があるね」
里帆も、銀河や蒔絵と保育園の時からの幼なじみである。普段は、美術室で黙々と絵を描いている静かな生徒だが、自分の意見は曲げない強さがある。
里帆が怒ってくれると、蒔絵は少し冷静になった。
「ありがと。でも、今日1日だから、申し訳ないけれど、里帆も我慢してね」
「えー。我慢なんてしてないよ。後で、双子ちゃん、抱かせて」
「勿論」
新入生登校日の最初のプログラムは、教科書代他の支払いだ。田中先生は、集金場所の机の前で、思いっきり渋い顔をして、蒔絵と銀河を睨みつけた。
「菱巻銀河。紫苑の弟だよな。今日は紫苑には頼めなかったのか?」
「補習に毎時間出席しないと、学校の推薦枠から外れると言って、朝早く出かけて行きました」
補習参加者にその理不尽なルールを課したのは、他ならぬ田中先生だった。そう言われると田中先生も、それ以上文句は言えなかった。
「うー。そうか。子供を連れてくるのは、今日1日だけだからな」
「俺もそう願いますが、我が家も震災や津波で、色々なことが変化しましたので、今日のような非常事態が起こらないとは限りません。その節は宜しくお願いします」
銀河は言うだけ言って、田中先生の返事を待たずに教科書を受け取るコーナーに足を運んだ。
教科書を渡すコーナーの担当は、鮫島先生が担当だった。
「すいません。蒔絵まで巻き込んで」
「しょうがないね。蒔絵も『協力する』って言ったんだろう?」
「いつものように土下座しました」
優しい鮫島先生は、困ったような笑顔を浮かべた。
「しょうがないついでに、鮫島先生。数学の試験の時に、あの双子を見ていてくれませんか?」
「えー?僕は独身なんで、子供の扱いには・・・」
「いいえ、ただ見ていてくれればいいんです。泣き出したら、試験会場の外で合図を下さい。俺は、試験を終わらせて、双子のところに行きますから」
「試験始まってすぐ泣いたら?」
「その時はその時です。ほんとにお願いします。土下座しましょうか?」
「いや、土下座なんかしないでください。近嵐教頭から、隣の教室の使用許可を貰っておきましょう。許可が下りたら、赤ちゃんの見守りをしましょう」
「ありがとうございます」
銀河は小さな声で、鮫島先生に礼を言った。鮫島先生が巻き込まれたことは、田中先生の耳に入れたくなかったからだ。
蒔絵の兄、鮫島先生は気は弱い半面、とても優しい先生だった。
「でも、銀河君、赤ちゃんの荷物もあるんだろう?こんなに多くの教科書を一緒に持って帰れるの?」
「はい。スーツケースを持ってきましたので」
スーツケースの中には、2人分のおむつと着替えなども入っていた。
「銀河、教科書入れるついでに、おむつ替えちゃおう。手伝うよ」
双子は生後2ヶ月もたっていないので、まだ首も据わっていない。辛うじて、こちらの動きを目で追う仕草をする程度だ。
「藍」は男の子で、母親譲りの大きな目で周りをキョロキョロしている。
女の子の「茜」は、父親譲りの高い鼻、一重の目で、指が細くて長いところが女の子らしい。
「うわ。うんちもしている」
「臭いぞ。奥様」
双子の赤ちゃんに興味津々の海里が、また寄ってきた。
「あらー。海里君いいところへ。藍の足を持っていて。男の子はおむつ開けた瞬間、おしっこ飛ばすんで油断できないのよね。おい!逃げるな」
蒔絵から凄い目で睨み付けられて、海里は藍の細い足を掴んだ。
「赤ちゃんの足って細いな。折れちゃいそうだぜ」
「双子だから、少し小さいよね」
鈴音が病院から帰ってから、連日赤ちゃんを見にやってきては手伝いをしていた蒔絵は、実に手際が良い。
「銀河ぁ。教室の床でおむつ替えたら痛いでしょ」
蒔絵がベビーベッドを使っているので、銀河は床で茜のおむつを替えようとしていた。
「いや、机の上で落ちても怖いから・・・」
そう言って、銀河は少し考えて、自分の学ランを脱いで床に敷いた。
「私のブレザーも使っていいよ」
里帆が、その上にブレザーを敷こうとすると、銀河は手で押しとどめた。
「ありがとう。うっかりうんちがついたりすると悪いから。俺、午後に使うタオルがあるからそれを敷くわ」
銀河はスーツケースの中から、バドミントンのラケットの下に押し込んだスポーツタオルを引っ張り出した。里帆はラケットが入っていることに驚いた。
「銀河、まさか、午後に高校の部活に出るの?」
「普通出るでしょ?兄ちゃんに許可を貰ってあるし」
銀河の兄紫苑は、バドミントン部の部長だ。
里帆が銀河の耳に口を寄せた。
「大丈夫?バドミントン部の顧問って、田中先生だよ。赤ちゃんなんか連れて行って怒られない?」
「大丈夫、大丈夫、兄ちゃんの話だと、顧問だけれど、いつもは進路指導室にいて、大会の前後しか出て来ないんだって」
その頃、集金作業が終わった田中先生は、進路指導室に戻っていた。
「さて、どうするかな」
田中先生は、新1年生の担任になることが決まっていた。今年度は、息子の海里だけではなく、「未来TEC」の子供にも、また、東京から避難してくる予定の子供にも、学力が高い生徒が多い。そのまま、国立大学進学者の数を倍増させることが出来るし、優秀な子供に囲まれて海里の成績が上がることも期待できる。
銀河に対しても、今日まで田中先生はかなり期待していた。3年生の紫苑の弟で、中学時代はバドミントンの全国大会にも出場している。進学にも部活動にも貢献できる生徒だと読んでいたのだ。
それが、今日実際に見てみると、ぶよっとした体形の上に、脳天気な性格、頭の方も兄とは比較にならないほど悪いことが予想できる。
どうにかして、銀河を自分のクラスから追い出すことは出来ないか。
暫くして、田中先生の頭にある妙案が浮かんだ。