198 クルーザーに乗って
大学が夏休みに入った週、英子を連れて菱巻家の男性陣は、房総半島沖に出港した。
未谷家のクルーザーは、5人で乗るのには広くて、それぞれが思い思い過ごすことが出来た。
鉄次はクルーザーに興奮して、操縦に夢中だった。銀次は、英子と二人で最後の時を過ごしていた。
英子は癌の治療を拒否したので、自宅療養をしていたが、病状の進行は、想像以上に早く、軽い痴呆も入ってきた。茉莉と鈴音が交代で看病していたので、今日は2人を解放するためにも、男性陣だけで英子のお守りを買って出たのだ。
「祖父ちゃん、疲れないか?」
「ああ、紫苑。気を使わなくていいよ。自宅療養を許したのは、俺なんだから、今日くらいは俺が看病するさ。茉莉や鈴音にも迷惑かけて、申し訳なく思っているよ」
「いや、もっと早く海に来られたら、祖母ちゃんも楽しめたのに」
「大学のテストがあったんだろ?しょうがないさ」
そう言うと、英子が何か話し始めたので、銀次はそれに耳を傾けた。
「しゅういち」
「え?祖母ちゃんなんて言っているの?」
「ああ、秀壱兄さんの名前を呼んでいるんだろう?海で死んだから、思い出したんじゃないか?」
「それで、海に来たいって行ったのかな」
銀次はそれに答えず、風で乱れた英子の髪を優しく撫でつけていた。
そこへ、飲み物を持ってきた銀河がやってきた。
「祖母ちゃん、ずっと甲板にいると暑くないか?祖父ちゃんもこれ」
そういって、2本のペットボトルを銀次に渡した。
銀河は、紫苑の隣で海を見つめ始めた。天気は良かったが、潮風はかなり強かった。
「紫苑、髪を伸ばしたね」
紫苑は、最近髪を伸ばし始めた髪を、風で乱れないように一本にまとめていた。
「ああ、金がなくてな。銀河も、また太りだしたな」
「ああ、蒔絵が勉強時間を作れるように、すべての家事をやっているから、暇がなくてな。紫苑は長岡に戻ってから、松本には、なかなか行けないんだろう?子育ては更紗一人でやっているのか?大変だな」
「今は諏訪邸に圭子さんだけじゃなくて、菊子と潔人もいるから、協力して子育てしているらしい」
そんな話をしているところへ、鉄次がやってきた。
「クルーザーの操縦は、面白いぞ。お前達も早く、船舶の免許取れ」
そう言って、トイレに向かって行った。
「海に出ると、父ちゃん生き生きしているな」
「紫苑も、本当は船の仕事をしたかったんじゃないか?」
「家族が出来ると、何ヶ月も海に出る生活は嫌だな」
首都直下地震で、志望していた東京海洋大学への受験を諦めたことを、紫苑はもう気にしてはいなかった。
「ところで、このクルーザー。未谷家では誰が乗っているんだろう?銀河は知っているか?」
「未谷家の婿さん達が、釣りに使っているらしいな」
「未谷家って、男は来都さん一人で、姉と妹がいるんだっけ?」
「長女の星来さんの旦那は、リサイクル部門の責任者。次女の来海さんの旦那は、LRT部門の責任者だ」
「へー。逆玉の輿か」
紫苑の言葉に、銀河は無表情に答えた。
「そうでもないみたい。製造さんと隼人さん。2人に会ったことがあるけれど、かなり仕事が出来る人だよ。釣りも多分、調査を兼ねているんじゃないかな」
「何の調査だ?」
「百葉村と海原町の沖に巨大人工島を作るらしいから、その海洋調査も兼ねているらしい」
「ドバイの『パーム・ジュメイラ』みたいだな」
「ここで作る人工島は、観光地ではないみたいだ。その島で、巨大な入江を作って、中に出来た湾の内部を浄化をするらしい」
「もしそれが出来たら、父ちゃんのゴミ拾いは終わって、子供達が遊べる浜辺が出来るな」
「ああ、そのために人工島を作るとは思えないけれど・・・お、そろそろ、飯の支度をしようか」
銀河は、鉄次がトイレから出たのを確認して、紫苑を連れて台所に向かった。
「昼食の準備っていっても母ちゃんが、持たしてくれたクーラーボックスから、弁当を出すだけだろう?」
紫苑はブツブツ言いながら、後についてきた。
銀河は台所に入ると、紫苑に椅子を勧めた。クーラーボックスから、ペットボトルを取りだして紫苑に渡した。
「久しぶりに会ったから、少し込み入った話もしたくてさ」
「そうだな。俺も、今年に入って長岡の地下街で、大学の授業が始まったから、なかなか会えなかったもんな。で、その話は親父達には聞かせられない話か?」
銀河は、それには答えず、ペットボトルの栓を切って、一口飲んだ。
「なあ、英子祖母ちゃん達がしていた仕事について、紫苑は何か知っているか?」
「いや、知らない。でも、角張宗輔先輩が、有馬秋治さんに誘われて、柏崎で就職したんだ。何か、『地下都市建設とか言って、実際は、ただの穴掘りだ』って、文句言っていたけれど」
「やっぱりな。紫苑も大学が始まらなければ、誘われるはずだったみたいだ」
「やばい仕事なのか?」
「掘っている場所は、柏崎原発の下なんだよ」
「なんでそんな場所を掘っているんだ?放射能を浴びてしまうだろう?」
「うん。何かボケてから、英子祖母ちゃんが色々、口走っているのを総合して考えると、あの地下に重要鉱物があるらしい」
英子さんは、鉱物が「レアアース泥」だとは気がつかなかったようだ。
「だからって、命を賭けて掘る意味・・・あー。放射能騒ぎのどさくさに紛れて、重要鉱物を掘っている訳か」
「でもな。祖母ちゃん達が採用される時に5年間という期限があっただろう?そんなに多くの鉱物が、あの地下にあるのか?穴を掘る自体に、何か目的があるんじゃないか?」
紫苑は、こめかみに指を当てた。
「穴を掘って、原発を埋めてしまう・・・とか?」
「そう思うよな。俺もそう思うんだ」
紫苑は、もう1つ記憶を辿った。
「そう言えばさ、俺が乗っているエルグランド。長岡から有馬さんが持ってきてくれたんだ。放射能の除染は完璧に済んでいた。それって、未来TECに高度な除染技術があるってことだよな」
銀河は、眉間に拳を当てた。
「もし、柏崎で成功したら、隕石落下で被害を受けた美浜、大飯、高浜の原発も、地下に埋めてしまえばいいよな。そして、地上部分の除染が済めば、現在、人が立ち入れない広大な日本海側の土地が利用できることになる」
「まあ、俺が大学卒業するまでには、無理だろうが・・・」
銀河は眉根を寄せたまま、手を振った。
紫苑は、この工事の危険性を、紫苑に理解させるべきだと考えた。
「まあ、宗輔に会うことがあったら、それとなく情報を探った方がいいと思う。それから、諏訪邸に、新たな人の出入りがないようにした方がいいな」
「銀河、怖いことを言うなよ」
「いや、今、日本海側は誰でもが、自由に侵入できる危険な場所になっている。侵入するのは、技術を盗もうとするスパイだけじゃない。できれば、桜子には、GPSをつけて、居場所を絶えず確認した方がいいかもしれない」
柏崎で働き始めた宗輔の彼女、桜子にも危険が及ぶかも知れない。
「更紗は?」
「百葉村の村民は、すべてGPSで居場所が確認できるじゃないか。ただ、百葉村でも常時確認しているわけじゃないから、紫苑のスマホで、更紗の居場所が把握できるようにして置けばいい」
銀河はそう言うと、iPadを開いて、村民の居場所を確認し始めた。
「ほら、更紗は今、俺の家で、蒔絵と鈴音姉ちゃん、母ちゃんと一緒にいるぞ。あれ?ちょっと待って」
銀河は、柏崎の宿泊施設に、新たな人物のGPSがあることを発見した。
「なんで、里帆がいるんだ?」
銀河はすぐに衛星電話を使って、梨華に連絡を入れた。
梨華の返事は想定外のものだった。
「ああ、山賀里帆って子でしょ?秋治から『家事手伝いに1人雇いたい』って、申請が出たから、許可しておいたわ。山賀がどんな子かは、うちの誠光が、ちゃんと教えてくれたわよ。勿論、その子が何をしたかは、秋治には教えていないけれど」
「なんだ。承知していたんですね。でも、里帆は口は軽いし、嘘は言うしで、情報漏洩の危険性があると思うんですが」
「社長と秋治が監視しているはずだけれどね。それに、新しく雇用した若い連中は、全く別の施設で仕事しているから、彼女には会えないと思うんだけれど」
「それならばいいんですが」
梨華からすれば、夫の大蔵誠光から、里帆が離れている方が有り難かったのだが、銀河はどこか煮え切らない気持ちがした。
「おーい。昼はまだか?」
無線から、鉄次の声がした。紫苑が鉄次のところへ、急いで昼食を運んでいった。銀河は、衛星電話を切って、銀次と英子のところに弁当を持って向かった。
「じいちゃん。遅くなった。ばあちゃんの様子はどう?」
銀次は、英子の手を握って泣いていた。
「じいちゃん。ばあちゃんは?」
「英子は、海を見ながら天国に向かったよ」
英子の顔は、珍しく優しい笑顔を浮かべていた。
数日後、火葬された英子遺骨は、今度は家族全員が乗ったクルーザーから、海に散骨されたのだった。
鉄次さんの兄、秀壱さんについては、99「長男の悲劇」をご参照下さい。




