15 銀河は冷静だった
出血の描写が苦手な人は、気をつけてお読みください。
今年の高校3年生は、震災や津波の影響で、最後の大会がすべてなくなってしまった。そのためどうしても、上手く受験勉強に切り替えが出来ない。
進路指導部の田中先生もそれは気づいていた。補習をしても、「これから気持ちを切り替えよう」という意欲が感じられないのだ。
高校3年担任の出口将先生も、それをひしひしと感じている。
「田中先生、ここはいっそ、中間考査後の球技大会を今年限り復活させませんか?」
「えー。中間考査の勉強をそっちのけで、球技大会の練習をするから、廃止した行事じゃないですか?高校3年生にとって、調査書の成績に関わる1学期の成績が、球技大会なんぞやることで下がるなんて、本末転倒も甚だしい」
「それなら、体育祭だって1学期にやっているじゃないですか」
田中先生は、体育祭も廃止させたかった。しかし、百葉村にとって、村の大切な行事である上に、「未来TEC」社との交流行事なので、高校の都合で廃止することは出来ないのだ。
「鮫島先生、僕たち、高校時代に中間考査の勉強そっちのけで、球技大会の練習なんてしましたっけ?」
鮫島先生は、田邊先生の発言の意図をしっかりくみ取って、返答した。
「まさか、体育の時間に充分練習させてくれたから、そんなことしなかったよ」
少し、語尾がわざとらしかった。
「私も、中間考査最終日の午後だけの行事ですもの、いいと思いますよ。体育の時間は、参加競技の練習をさせましょう」
体育の教師でもある近嵐教頭先生の「鶴の一声」で、今年限りの球技大会が復活してしまった。
その日の昼休みに急遽、生徒会が集められ、球技大会の種目が決められた。
種目には、百葉高校に部活動がないものが、選ばれた。「バレーボール」「ドッジボール」「卓球」の3種目だ。時期も梅雨時のため、屋内競技に限定された。
学年ごとに、男女比もバラバラなので、どの種目も男女混合で行われる。そして、学年対抗で勝敗を決めるのだ。
ここで問題になるのは、高校1年には「特進クラス」「普通クラス」の2クラスがあることだ。
そこで、選手決めだけは、高校1年の2クラス合同で行った。話し合いしようにも、お互いの名前もよく分からないので、後で禍根を残さないように、選手決めは、田邊先生の係決めアプリを使った。
生徒は参加したい順に種目に番号を入れる。どの種目でもいいものは、何も入力しなくていいのだ。
航平は、どの種目になっても、補欠に回るつもりだったので、みんなに人気のありそうなバレーボールを1番に選んだ。選手が集まれば、補欠に回れるからだ。
蓋を開けると、バレーボールを選んだ生徒は思いの外少なく、両クラス合わせて6人しかいなかった。
メンバーも、航平にとってはあまりも白くないものだった。
「特進クラス」から航平と海里の2人、後の4人は銀河と蒔絵、里帆に翔太郎だった。海里は勿論、銀河達がバレーボールを選ぶことを読んで希望したのだ。
「上村君、バレーボールの経験はある?」
海里は悪気もなく、航平に尋ねた。
「中学は、バレーボール部にいた」
「良かった。僕は、バスケット部だから主にブロックぐらいしか出来ないんだ」
航平は、海里に個人的に話しかけられたのはこれが初めてだった。だから「実質幽霊部員だった」と軽いのりで付け加えることが出来なかった。
「普通クラスのあと4人は、バレーボールできるの?」
「中村翔太郎君は野球部だから、運動神経いいらしいね。問題は山賀里帆さんなんだ。中学からずっと美術部で、そこまで運動は得意じゃない。だから、実質5人でやっている感じになるかな?」
「女子がもう1人いるよ」
海里は流石に、(あれは女子枠ではない)などと言って、蒔絵の耳に入るとまずいので、少し言葉を濁した。
「蒔絵?蒔絵と銀河は別格だから」
「別格って?」
「バドミントンのスマッシュと同じ感覚で、あの2人はアタックを打つんだ。多分3年生でも、あの2人のアタックは受けられないかも知れない」
航平は、自分の計算が間違っていたことを知った。あの2人がいると言うことは、高校1年チームは優勝候補だ。つまり、自分が下手なせいで負けると、全校中の注目を浴びると言うことだ。しかし、メンバーは6人しかいないので、当日休む訳にはいかない。
そして、体育の時間はすべて球技大会の練習に代わってしまったので、逃げ場がない。
「久し振り。みんな、名前呼びだから、上村君も『航平君』でいいよね」
蒔絵は、同じ保健委員の航平に最初に声をかけた。海里も同様に、翔太郎に声をかけた。
「翔太郎君。級長会議で会ったよね。こちらは上村航平君。バレー部だったんだって」
(止めろー。余計なことを話すな)
「じゃあ、練習は航平君に計画立てて貰おうか」
銀河は、航平に花を持たせたつもりだった。航平はすぐさまそれを却下した。
「えー。普通クラスの方が人数が多いから、学級委員の翔太郎君が練習計画を立てたほうがいい」
翔太郎は「学級委員」という音の響きが大好きだった。成績では振るわないが、体育ではみんなに貢献できると張り切った。
「まあ、しょうがないな。じゃあ、まず、2人組で対面パスをやろう」
蒔絵と里帆、銀河と翔太郎、海里と航平が組んで、対面パスを行った。
銀河と翔太郎は、対面パスでも、すぐにレベルを上げ、スパイク・レシーブに変えていた。
蒔絵と里帆も、蒔絵が一方的にスパイクを打つが、いつも同じ位置に打つので、里帆はかなりいいリズムで、レシーブができていた。
しかし、海里と航平の組は悲惨だった。
航平のオーバーハンドパスは、まあまあだったが、アンダーハンドパスはまっすぐ飛ばない。そもそも、前腕を絞りながら組むことも、膝の屈伸を使うことも全く出来ないのだ。海里は、球拾いに追われた。
海里は、「バレー部にいた」というのは嘘でないかも知れないが、「バレー部で練習していた」という点については怪しいと思うようになった。
海里は銀河に目配せを送った。銀河も思っていることは同じだった。
「翔太郎君、今度は相手を変えようよ」
「じゃあ、俺が動かなくて、他のみんなは右回りに回って、相手を替えて」
蒔絵と航平、里帆と翔太郎、海里と銀河の組ができあがった。
一見、蒔絵と翔太郎と銀河が、相手をリードする理想的な組み合わせだった。
海里も、銀河に打ちやすい玉を返して貰って、気持ちよく練習が出来ていたが、事故はそんな時起こるものである。
「きゃーーー」
蒔絵が顔を押さえて、フロアに倒れ込んだ。
航平は、自分が何をやったか理解できず、小さい声で「僕が悪いんじゃない」と呟きながら、立ちすくんでいた。
床にぺたんとトンビ座りをして、眼から大粒の涙を流している里帆に、海里が尋ねた。
「里帆、何があった?」
里帆の代わりに翔太郎が答えた。
「航平君が蹴った球が、蒔絵さんの顔に・・・」
1995年から、バレーボールでは、足も含め、全身どこでボールを触っても良くなった。ただ、対面でボールを打ち合っている時に、至近距離でボールを蹴ればどうなるかは、小さい子供でも分かる。
「翔太郎、蒔絵は頭打っていないんだな?」
「うん」
「蒔絵、大丈夫か?」
銀河に抱き起こされた蒔絵の顔は一面血だらけだった。銀河は、鼻を押さえた手をゆっくりはずし、ボールが鼻を直撃したことを確認した。
「蒔絵、俺の顔を見ろ。見えるか?」
蒔絵は涙まみれの瞼を瞬かせた。
(幸い、眼球にはぶつかっていないかも・・・)
翔太郎が、近嵐教頭先生を呼びに走り出した。
近嵐先生は体育館のギャラリーで、卓球台の設置の手伝いをしていた。
「俺、近嵐先生を呼んでくる」
海里も保健室に走り出した。
「俺も養護教諭の栗橋先生を呼んでくる」
「海里、鼻を折っているかもって、言ってくれるか?タオルや水の入った洗面器も持ってきてくれ」
「里帆、ステージにおいてある、俺のタオルや上着を持ってきてくれ」
里帆も、銀河の指示に従って、涙を拭いもせず走り出した。
里帆に持ってきて貰ったタオルを受け取ると、銀河は蒔絵を後ろから抱え上げて、自分の膝に乗せた。
「蒔絵、口の中の血液は飲み込むな。いいよ。これは俺のタオルだから、ここに血を吐き出して」
銀河は、鼻から大量に流れる血液を、自分のタオルに吐き出させた。
ダッシュで2階から下りてきた近嵐先生は、様子を見て、すぐ救急車を要請した。
「(銀河、痛い)」
「うん。痛いな。救急車が来るから、少し我慢な。痛かったら、俺の腕を掴んでいいから」
田邊先生も体育館に走ってきた。
「あー。凄い出血だな。教頭先生、救急車に乗るのは、担任の自分ですか?」
「そうね。救急車には、この姿勢のまま、銀河君に乗って貰って、帰りは田邊先生の車で連れて帰って貰えますか?」
震災後、救急患者は隣町の病院まで運ばれるので、帰りの足が必要だ。
近嵐教頭はふと鮫島先生が、蒔絵の兄であることを思いだした。
「あのー、そういえば、鮫島先生の方がいいですね、お兄さんについて行って貰いましょう」
「近嵐先生、覚えていませんか?僕が、鼻を折った時のこと」
「あー。そうでしたね。では、田邊先生にお願いして、鮫島先生にはご自宅に報告して貰いましょう」
田邊先生はテキパキと、その場にいた生徒に指示を出していった。
「山賀さん。この2人の着替えって、用意できますか?後、海里さん、高3の紫苑さんとは面識ありますか?」
「はい。良く知っています」
「では、双子のことをお願いしに行ってくれますか。2人は耳鼻科で処置が終わったら自宅に直接送り届けますから」
隣町からの救急車は来るのにも、耳鼻科に向かうにもかなり時間を要した。その間、蒔絵は痛みに耐えきれず、何度も銀河の腕や背中に爪を立てたので、銀河も血まみれになってしまった。
折れた鼻の整復は、U字型の器具を両の鼻に差し込み、グッとまっすぐに直す。局所麻酔が打たれるが、蒔絵はもう痛くて、痛くて、半分気絶しているような状態なので、相変わらず、銀河の膝の上で、処置が行われた。
蒔絵の鼻の中にはガーゼが詰められ、鼻は外からプレートで押さえられた。
蒔絵は、局所麻酔でよだれを垂れ流してた。そんな蒔絵の頭を、銀河は優しく撫でた。
「よく頑張ったな」
車の前で、田邊先生が一言。
「銀河さん。君も腕の傷の処置をして来て貰ったら?それから、着替えもあるんでしょ?」
「いや、蒔絵も血まみれなんで、着替えても無駄です。先生の車が汚れないように、タオル敷きますから、このまま乗せて下さい」
「家の後部座席は、防水のシートカバーが掛かっているから大丈夫ですよ。気にしないで乗ってください」
田邊先生は、チャイルドシートを外し、下にこぼれているお菓子などの食べこぼしを拭いて、後部座席の準備をして置いてくれた。
銀河は、慣れた手つきで「よっこらしょ」と蒔絵を抱き直して、田邊先生の車に乗り込んだ。
「慣れていますね」
「こいつ、よく家に来て、居眠りしていますから」
「よそのお宅で、寝ちゃうんですか?僕には信じられない感覚ですね」
田邊先生は、通信ゲームでは多くの友人がいるが、生身の友人の家に遊びに行くことはなかった。だから、友人の家で眠るという状況が想像できなかった。
「最近は、双子が見たいからって、土日も家に来ていますよ」
「双子の世話もしてくれるんだから、有り難いね」
「そうですね。でも、これからの1週間は蒔絵のありがたさが身にしみるでしょうね」
そう言うと、銀河は自由になっている手を、蒔絵の脇の方に滑らせた。