14 双子は行方不明になった
最後に反省会が開かれました。みんなで子育ての、問題点が浮かび上がりましたね。
SHRが終わると保健委員は、誰よりも早く、体育館に入って先に検診を終わらせた。その後、検診の手伝いをするのだが、鮫島姉妹は一番仕事が煩瑣な歯科検診に回された。
消毒済みの舌圧子などを、袋から出して並べ、使用後の器具はまとめる。
消毒盤に、カンカンと投げ込まれる器具をタイミングを見て、交換するのは、大人でももたつくのだが、2人は阿吽の呼吸でこなしていく。
視力検査の場所で、遮眼子を消毒しながら、航平は「姉妹は、意外と似ているかも」と思い直していた。しかし、あまりに見とれていて、視力検査担当の田中先生に怒られた。
「上村君、消毒が間に合っていないよ」
医者による検査が行われる一方、先生方は、身体計測を体育館の反対側で行っていた。
栗橋養護教諭から、「身体計測用紙をまとめるのが大変だ」という話を聞いて、田邊先生がすべてiPadに入力する形に改めたので、身長や体重測定で、生徒によるデータの改ざんが行われなくなった。
そして測定結果が読み上げられなくなったので、体育館はいつもにもまして静かだった。
毎年、「いやー、太ったぁ」と叫ぶ声や、「もう一回、測らせて」と懇願する声が飛び交っていたが、記録が本人にも他人にも聞こえないので、粛々と計測が進んで行く。
静かなのは、医師にとっても、教師にとっても有り難いのだが、紫苑にとっては大変困った状況を引き起こした。
それは、藍の泣き声が体育館中に響くことだ。
茜は、いつも世話をしてくれている銀河の匂いに包まれ、安心して眠っているようだが、藍は嗅ぎ慣れない匂いと、硬い筋肉質の体が気に入らないようで、猫のように「ニャーニャー」と泣き続けている。
2ヶ月の赤ちゃんはまだ肺活量が低く、大きな泣き声ではないのだが、静かな体育館では、そのか細い泣き声が響くのだ。
「フニャーフニャー」
「え?猫?」
「赤ちゃんだろ」
「菱巻んとこの赤ちゃんだよ」
「可愛い。どこにいるのかな」
穴があったら入りたいとはこのことだ。銀河は要領よく、列の前に割り込ませて貰って、さっさと検診を終わらせたようだ。
「兄ちゃん、俺、検診も身体計測も終わったから、先に茜のミルクあげてくるね」
そう言って、紫苑の肩を叩いて体育館を去って行った。
「堂々としていればいい」と、自分に言い聞かせても、人の囁きを耳が拾ってしまう。
クラスの友人達も、気を利かせているのか、敢えて泣き声には触れないが、それが返って紫苑を孤立させる。
「紫苑先輩。交代します」
突然、紫苑の前に手が差し伸べられた。
「高1普通クラスの山賀里帆です。私、検診がすべて終わったので、愛君を預かってミルクをあげてきます。先輩も早く検診を終わらせて、体育委員の仕事に向かって下さい」
そこに立っていたのは里帆だった。紫苑は、里帆に後光が差して見えた。
(確か、銀河の幼なじみで、うちにも遊びに来てくれたこともあるよな)
背中のバックルを外すと、途端に藍は機嫌を直した。里帆は慣れた手つきで、藍を抱きかかえると、藍の親指を、藍の口にぎゅっと押し込んだ。
「はい、暫くしゃぶっていてね。今、ミルクのみに行くよ」
そう言うと、里帆はさっさと体育館を出て行った。
ほっとした紫苑が時計を見ると、体育委員の集合時間が、間近に迫っていた。
3、4時間目は、各階の多目的室で、体力テストが行われる。と言っても、50m走やハンドボール投げは体育の時間に行うので、本日行うのは握力や上体起こし、反復横跳びなどだ。準備は中学生がやっていてくれたので、体育委員は、その説明をしたり補助に着いたりするのだ。
菱巻兄弟の分担は「反復横跳び」。もう既に、銀河は先に来た体育委員の測定を指示していた。
「2回目始めま~す。『始め』」。そう言って銀河は真剣な顔をして20秒をストップウォッチで測る。
「やめ。パートナーの人、iPadに測定結果を入力して下さい。はい。次のグループ、線を跨いで立って下さい」
銀河は1年生とは思えない落ち着きで、上級生に指示を出していく。
「紫苑兄ちゃんも、中に入って一緒に計測を済ませて。俺は計測終わったから」
2回の計測が終わって、紫苑はやっと銀河の隣に座った。
「里帆って子に、藍を預けたんだけれど」
「え?里帆はさっき蒔絵と一緒に、反復横跳びしていたけれど、藍は連れていなかったぞ」
「じゃあ、藍は1人で教室にいるのか?」
「まさか。じゃあ、更紗が1年の教室で2人を見ているのか?」
銀河は少し考えて、ストップウォッチを紫苑に渡した。
「校内に多分いるはずだけれど、心配だから双子の現在地を確認してくる」
銀河はまず、高1普通クラスまで戻ってみたが、誰もいなかった。次に、里帆を探したが、中々見つけられなかった。職員室から出てきた鮫島先生に、声をかけてみた。
「あっ、鮫島先生。うちの双子は見ませんでしたか?蒔絵が面倒見ているはずなんですけれど」
「えー?見ないよ。蒔絵はさっき計測を終わって、里帆さんと一緒に体育館方向に向かっていったけれど」
(体育館では、今、中学校の検診をしているはずだよな。やっぱりいないな)
体育館の確認を終えて、廊下に出た銀河は、遂に蒔絵と里帆の後ろ姿を捉えた。
走って行って、二人の肩に手を置いた。
「あれ?銀河、どうしたの?」
蒔絵と里帆は、後ろから走ってきた銀河に肩を抱かれる形になった。里帆は突然のことにびっくりした。
「銀河君、なにかあった?」
「双子は今どこ?」
「ああ、銀河ご免。言ってなかったね。小町技術員さんが、「預かってくれる」って言うから、甘えちゃったんだよ」
技術員室は、体育館の脇にあった。
「すいませ~ん。いい子にしていましたか?」
「いやー。いい子だね。また、困ったことあったら預かるよぉ」
小町技術員は、小学1年生を筆頭に3人の子供がいるお父さんだ。以前から、双子の赤ちゃんが気になっていたが、今日、よく寝ている双子を抱えている蒔絵と里帆にばったり会い、つい、日頃思っていたことを口にしてしまったのだ。
「よく寝ているね。1時間くらいなら、技術員室で預かってあげようか?」
事務や技術員は、12時から12時45分まで、校時とは違う時間で休憩を取る。つまり、休憩時間なので、子守をしてくれたのだ。技術員室を覗くと、学校事務員の女性も、赤ちゃん見学に来ていた。
銀河は2人に頭を下げた。
「すいません。折角のお休み時間なのに、ご迷惑をかけて」
学校事務員の女性が、柔らかな笑顔で答えた。
「いいのよ。双子の赤ちゃんなんて、中々見られないんですもの。『眼福』だわ」
「そうだよね。ほら、指を吸って」
「おい、藍、それは茜の指だぞ」
赤ちゃんは、寝ている時は天使なのだ。
放課後、保健委員の片付け作業が終わった後、高1普通科のクラスで、反省会が行われた。
「本当に私が悪いんです。銀河君の許可も得ず、小町技術員さんに、双子ちゃんを預けちゃって、ごめんなさい」
紫苑が、里帆の肩に手をやった。
「里帆ちゃんが、謝ることはないんだよ。『報連相』をしっかりできなかった俺が悪いんだ」
更紗も、自分の落ち度を思い出した。
「私も、3時間目は、茜ちゃんの面倒を見るはずだったのに、連絡が来ないからそのまま、スポーツテストに行っちゃったんだよね」
銀河が手を叩いて、みんなの発言を止めた。
パンパン
「はーい。反省会は終わり。全員スマホを出して、里帆も出して。双子に関わる人のグループライン作るから。これからは、こまめに連絡しよう」
里帆は、菱巻兄弟と鮫島姉妹のグループラインに加われることが嬉しくて、口元が少し緩んだ。
「姉ちゃんも入れたほうがいいよな」
「うん。鈴音お姉ちゃんも入れたほうがいい」
銀河と蒔絵はすぐ息が合った。
「春二義兄さんは、いれなくてもいいかな?」
銀河は、紫苑の感覚がどうも理解できなかった。
「良くないよ。夫婦で、子育てするんだ。夏に帰ってきた時に、双子がどうやって成長してきたか分からないと、その後困るだろう」
「田邊先生みたいになっちゃいますよね」
教室の入り口に、いつの間にか立っていた田邊先生から、疑義が申し立てられた。
「里帆さん。『田邊先生みたい』ってどういう意味かな?」
里帆は赤面しながら答えた。
「あの。おむつ替えたことがない・・・とか」
「里帆、田邊先生は子育ての『エキスパート』じゃないのか?」
田邊先生は少し咳払いをして、教室に入ってきた。
「おむつは替えたことがないが、双子のためにこんなアプリを作ることはできる」
そう言って、タブレットを開いた。
そこには、既存の子育てアプリに似た「多胎児用子育てアプリ」があった。
銀河は、それを暫くいじってみて、その素晴らしさを理解した。
「すごいです。うんちの時間や、ミルクの量や時間を、2人分同時に記録できるんですね」
「いいだろう?妻にも、珍しく褒めて貰ったんだ」
「『珍しく』?ですか」
「まあ、そこは気にせず。このアプリに、ここにいる5人を招待するよ。銀河さんが後で、お姉さん夫婦も招待しておいて。そうすれば、これを共有している人みんなが、月齢も、ミルクの量とあげるタイミングも、うんちの回数もわかる」
「素晴らしい。離乳食が始まった時も、どこまで食べさせているのか分かっていいですね」
紫苑が、会話についていけなくて質問をした。
「離乳食の心配って、薬局なんかで売っている何歳児用って、離乳食を食べさせておけばいいんじゃないか?」
「紫苑兄ちゃん。アレルギーがあったらもっと複雑なんだよ。例えば、紫苑は生卵で湿疹が出るだろう?家族にアレルギーがあったら、慎重になるよね。春二義兄さんの家族のアレルギーは、俺たち分からないから、義兄さんにも離乳食を確認して貰わないといけないんだ」
「田邊先生、こいつの知識って異常ですよね」
「いや、人間は生物の中で、最も未成熟で生まれる生き物ですよね。生まれて2ヶ月たっても、寝たきりです。それを育てるのには、それなりの知識がないといけません」
里帆は、おむつも替えない田邊先生が偉そうに話しているので、少し突っ込みたくなった。
「田邊先生も、子育ての勉強をしたんですか?」
「かなり勉強したが、『畳の上の水練』で、風呂に入れるのも、おむつを替えるの、毎回失敗して、指揮官に怒られて、後方支援に回されています」
紫苑は、全く子育てに協力しない田邊先生が、胸を張っていることが不思議でなかった。
「田邊先生は、子育てに関してこのままでいいんですか?」
「僕は戦線から離脱したことはありません。後方支援に徹しているだけです。紫苑君も『指揮官』は選びなさい」
紫苑は、ちらっと蒔絵に目を向けたが、銀河と更紗から冷たいレーザービームを撃ち込まれ、あえなく撃沈した。