13 航平は鮫島姉妹に振り回された
「一日検診デー」の話を、今日は2話ともアップします。
春の学校は、保健関係の検診が目白押しだ。
身体計測、歯科検診、耳鼻科検診、眼科検診、内科検診、それに加えて、スポーツテストもある。その度に、授業は中断するし、震災で交通手段が寸断されているので、校医もなかなか診察の合間に学校に顔を出すことは出来ない。
近嵐教頭は、その問題をすべて解決する妙案を考えついた。
近嵐先生が考えた「1日健診デー」の朝、いつも茜を連れて行ってくれる蒔絵は来なかった。いつもの時間に、いつものように歯磨きをしている紫苑を、銀河が急かしている。
「紫苑兄ちゃん。早くしろよ。今日は蒔絵は来ないんだぞ」
「なんで?あー。保健委員だっけ」
「そう、だから蒔絵と更紗は、保健員の仕事で先に行ったんだよ」
「2人とも保健委員なのか?じゃあ、保健の健診の間、俺たち、赤ちゃん連れで検診するのか?」
「子連れで、スポーツテストやるよりいいだろう?医者の前で、口を開けたり、眼を見せたりするだけなんだから」
紫苑は、体育館で、赤ん坊を抱いたまま、診察の列に並ぶ自分を想像してみた。
「クラスのみんなに、構われそうだな」
「はぁ?何を恥ずかしがっているんだ。東京では、スーツに抱っこ紐で通勤する男の人がたくさんいたぞ」
紫苑と銀河は、昨年、鈴音の結婚式で東京に行った時、電車の中で、子連れの男性をたくさん見てきたのだ。
「でも、制服で抱っこ紐は・・・」
「今日は一日、体操着だから汚れないよ。それに、紫苑兄ちゃんはもう、成人なんだろう?」
ここまで、言い負かされては、紫苑も黙るしかなかった。諦めて、藍を抱き上げた。
「藍。今日はうんちもゲボも、禁止な。頼むぞ」
一方、蒔絵は体が軽いので、自然と小走りに学校に向かった。
「ちょっと、走らなくても間に合うわよ」
「更紗も、最近運動不足だから、走ったら?」
走りながら、蒔絵は今日の手順を考えていた。
「もう1人の保健委員って、上村って言ったな。あー。あの数学の試験の時、クレームをつけた人だ。
今日は、双子もいないし、文句も言われないだろうな」
保健室に着いた蒔絵は、既に登校していた航平に、元気に挨拶した。
「お早う。今日はよろしくね」
「今日は赤ちゃんを連れていないの?」
「体育委員の紫苑お兄ちゃんに頼んだ」
「ふーん」
航平は、「紫苑」が誰だか分からないので、曖昧に返事をした。
予定の時間になり、各学年2名ずつの保健委員が、保健室で、今日の準備について説明を受けた。
近嵐教頭の計画は、隣町から内科医、耳鼻科医、歯科医、眼科医すべてをマイクロバスに乗せて連れてきて、今日1日で、村全体の健康診断を終わらせてしまおうというものだった。
「1,2限は中高校生、3,4限は小学生、午後は村の人の健康診断を、体育館で行うので、保健室から、検診関係のすべての道具を体育館に運び出します」
栗橋養護教諭から、保健委員に手順が説明された。
航平が、すぐさま尋ねた。
「準備は高校生ですが、片付けは誰がやるんですか?」
栗橋弓子は、一昨年採用されたばかりの養護教諭だ。今年の新しい計画は、まだ充分に理解しきっていなかった。もたもたと新しい要項を見直して、答えた。
「えっと、片付けも高校生ですね。村民の健康診断が終わったら放送をかけますので、その時、体育館に集まって下さい」
「それって、村民の検診が終わるまで待機しているってことですよね」
困っている栗橋養教を前に、更紗が助け船を出した。
「栗橋先生。普通は、授業をたくさん潰して検診を行うのに、今回は1日で行うんですもの。いい計画ですね。そうよね。上村君」
更紗は体操着の胸の名前を読みあげ、キラースマイルを向けて、上村の口を封じた。
航平は、それに抵抗できるほど大人ではなかった。
「じゃあ、分担しましょう。お姉ちゃん達3年はどれを運ぶ?」
「なんか、ガチャガチャした道具が多い、歯科検診の道具を運ぼうかな」
「じゃあ、細かいのは2年に頼んで、1年は内科検診用の衝立をまず運びますか、いいよね。上村君?」
そう言うと、蒔絵は、更衣スペースを作るために衝立を2つ、肩に担いで、スタスタと歩き始めた。航平も慌てて、衝立を担いで、蒔絵の後について行った。
歩きながら、航平は蒔絵に話しかけた。
「鮫島さんって、何人兄弟がいるの?」
「お兄ちゃんとお姉ちゃんの2人だよ。鮫島先生はお兄ちゃん。さっきいた3年生はお姉ちゃん」
「え?体育委員の『紫苑』お兄ちゃんは?」
「あれは、銀河のお兄ちゃん。家が隣同士で、小さい頃から一緒に遊んでいたから、紫苑先輩も、私にとっては『お兄ちゃん』なんだ。上村君は兄弟がいないの?」
突然、自分に対する質問が戻ってきたので、航平はドギマギしてしまった。
「え?俺?もう社会人の兄弟がいるけれど・・・」
「みんな、お家を出て行っちゃったの?」
「そうだね。東京にいる」
「大変だね。寂しくない?」
航平は、兄たちと年が離れているので、あまり遊んで貰った記憶もなく、ほとんど一人っ子のような暮らしをしてきたので、「兄弟がいなくて寂しい」という感じがよく分からなかった。
「いや、別に」
体育館に着くと、蒔絵はさっさと衝立を並べて、保健室に戻ろうとした。
「また、戻るの?」
「まだ、運ぶものがあるかも知れないじゃない?」
「でも、自分の仕事は終わったから」
そう言って教室に戻ろうとする航平の腕が、体育館から戻ってきた更紗に、強引に引っ張られた。
「上村君も手伝って。机と椅子が足りないの、会議室から運ばなくっちゃ」
腕を掴まれた航平は、逃げることも出来ず、鮫島姉妹と一緒に何往復も机と椅子を運んだ。
(片付けの時も、これを運ぶのか)
そう考える航平の頭の中を読んだように、更紗が上目遣いに話しかけた。
「上村君って、力があるのね。片づけの時も頼りにしているわ」
最後の道具を体育館に運んで、教室に戻る途中、航平は蒔絵に尋ねた。
「お姉さんと蒔絵さんは、あまり似ていないんだね」
それは性格か顔か、蒔絵はしばし考えた。だが、夕方の片付けまで、上村とは友好な関係を気づかなければならない。
更紗のように「あざとい」真似は、蒔絵には出来ないが、微笑むことくらいは出来る。
「お姉ちゃんは、選手を辞めて髪を伸ばしたから、雰囲気が違うように見えるかも知れないけれど、顔はよく似ているらしいよ」
航平は、部活紹介で、更紗がバドミントンのマネージャーとして紹介されたことを思い出した。
「お姉さんも、バドミントンの選手だったの?」
「うん。でも、高校2年の時、膝の靱帯を手術して、マネージャーに代わったんだ。それまでは、私とダブルスを組んでいたんだよ」
「手術したんだ」
「うん。だから、長い時間歩くと痛いんだって、片付けを手伝ってね」
更紗の手術から半年はたっているのだが、ここは航平の同情を買おうと蒔絵は考えた。
SHRの鐘が鳴ったので、「じゃあ」と言って、蒔絵は普通クラスに向かって走っていた。
「やっぱり、全然似ていないよ」
航平はそう思った。