12 蒔絵は眠ってしまった
新生児の入浴って凄く大変なのですが、2人を入浴させるなんて・・・。大変さを想像してみました。
日曜日、銀河の母、茉莉は病院に出かけていた。英子の腰の手術も無事に終わったので、見舞いに行くためだ。紫苑は部屋で受験勉強をしている。
その静かな環境を生かして、銀河と蒔絵は、現在動画撮影中だった。
東京にいる鈴音に双子の成長を知らせてやろうという、弟心だ。
(生後2ヶ月って、泣き声も猫みたいで可愛いよな)
銀河は、藍のほっぺを人差し指で軽くつついた。藍はその方向に一生懸命に口を向ける。
「悪いね、そこにあるのは俺の指だよ」
あまり必死に口を向けるので、銀河は自分の指を藍の口に突っ込んだ。藍は銀河の小指を乳首と思い、舌を丸めて必死に吸う。
「おー、吸う吸う。ゴメンな。何も出なくてな」
「何やっているのよ。原始反射があtるって、鈴音お姉ちゃんに見せたいの?」
「それ、いいね。最初のが『探索反射』次が『吸啜反射』」
「止めなよ。お姉ちゃん。自分でおっぱいあげたかったんだから」
産後1ヶ月、鈴音は、苦労して双子に母乳をあげていたが、ようやく上手く母乳が出るようになった時に、東京に行ってしまった。
「じゃあ、こんなのはどうだ?」
銀河は藍の脇を支えて、藍の背中を蒔絵に向けた。
「蒔絵、藍の背骨の外側を上から下にさすってみろよ」
「なに?」
「ガラント反射。さすった側のお尻がプリッと上がるんだ」
「全く・・・。いやー、お尻ふりふりして、可愛い」
蒔絵も面白がって、原始反射の動画を撮影し続けた。
暫くして、撮影に飽きた銀河は仰向けに寝て、腹の上に藍を乗せた。
蒔絵は、仰向けの銀河が「トトロ」のようだと思った。
腹の上で、芋虫のようにうごめく藍の髪を撫でながら、銀河がぼそっと言った。
「原始反射って、2ヶ月くらいでなくなるんだよね」
「そこに悲哀を感じるっておかしくない?私は、首が据わるとか、寝返りするとか、歯が生えるとかに喜びを感じるんだけれど」
「いやー。例えばさ、歯のない笑顔って可愛いじゃないか。こういうのは、今の時期しか見られないんだぜ」
「まあ、可愛いけどさ」
そう言って、蒔絵も腹の上に茜を乗せて仰向けに寝転び、背中をトントンと叩いた。
「何、真似しているんだよ。まるで、トトロじゃないか」
(銀河に言われたくない)
そう反撃したかったが、蒔絵はうとうとしている茜を起こしたくないので、静かに話し始めた。
「双子ってさ、一人で育てるのは大変だよね」
「そうだね。姉ちゃんが育休を取ったとしても、被災地にこの2人を連れて行って、ほぼワンオペで育てることを考えると、ここで育てたほうがいいって考えるかもね」
蒔絵はぎょっとして、銀河の方を向いた。
「え?銀河はこのまま2人を育てるつもり?」
「俺1人で育てられる訳ないじゃないか」
里帆はその後に続くはずの感謝の言葉を待っていたが、代わりに銀河の寝息が聞こえてきた。
「はぁ?そこは『君のお陰』とかいう場面じゃない」
そう言うと、里帆は体を90度横に回して、自分の頭を銀河の腹の上に乗せた。
「藍く~ん。私の枕を返してね」
最初に起きたのは藍だった。トトロのような柔らかい銀河の腹の上で、藍は芋虫のようにもぞもぞ動き始めた。
「おい。藍、起きたのか?うん。重い。また、里帆が俺の腹を枕にしている」
銀河は、自分の腹に乗せられた蒔絵の頭を手慣れた動作で、畳に下ろした。
(蒔絵も疲れているな。感謝していますよ。蒔絵さん)
銀河は、蒔絵の腹からもう少しで落ちそうな茜を抱き上げて、ベビーベッドに寝かせて、ミルク用のお湯を沸かしに行った。
蒔絵は涼しい風を顔に感じて目が覚めた。
洗濯物を取り込むため、銀河が窓を開けたのだ。
「うわ。今何時?起こしてよ」
「まあ、よく寝ていたね。もう4時だよ」
「おばさん、まだ帰って来ないの?」
「ああ、病院で祖父ちゃんと夕飯食べてから帰るって」
銀河が、洗濯物の中から、双子のスワドルとタオルをより分けていた。双子の入浴準備だ。
双子は睡眠時間が早いので、夕方になるとすぐ入浴させなければならない。
「お風呂は、紫苑お兄ちゃんが手伝ってくれるの」
「兄ちゃんは、この間、風呂上がりの藍に、おしっこかけられてから、入浴補助は嫌がるんだよな」
「赤ちゃんのおしっこなんて、きれいなのにね。じゃあ、私が、双子のお風呂手伝おうか?」
「蒔絵が風呂に入れてくれるか?」
「勘弁してよ。なんで銀河にヌード曝さなきゃいけないの」
「じゃあ。脱ぐのは俺か?」
「腰にタオルを巻いていればいいじゃない」
「えー。一々面倒くさい」
銀河は少し考えて、水着をタンスから引っ張り出して着てみた。去年、海外遠征があった時、乗りで買ったトランクス型の水着だ。
「どうだ」
「いや、お腹が水着の上から、はみ出しているよ。海外のビーチにいる中年おじさんみたい」
「里帆のお陰で、放課後集中して部活できたから、少し腹は締まったんだけれど、おかしいな」
「誤差の範囲内だね」
首の据わっていない赤ちゃんの入浴は、中々大変だ。風呂の中で、水着の銀河が待ち受けていて、1人ずつ渡された赤ちゃんの体を洗う。左手で首を押さえながら、右手で器用に体を洗う。
「おーい。藍が終わった。次、頼む」
銀河の合図で、藍を受け取った蒔絵は、一端、バスタオルに藍を乗せて、代わりに裸の茜を風呂に運ぶ。
ここからも大変だ。
藍を受け取った蒔絵は、バスタオルで体をしっかり拭いて、乾燥対策のローションを塗って、スワドルに着替えさせる。スワドルは、モロー反射による驚きを軽減する効果があるが、蒔絵は「クリオネ」みたいで可愛いと思っている。
ほっとする間もなく、「茜も終わった」という声が聞こえた。
茜を受け取る時、蒔絵はひんやりした銀河の裸を見た。
「銀河は、ゆっくり湯船に入ってきていいよ」
「助かるぅ」
風呂上がりの双子はいつもにもまして、可愛かった。
「はぁ。気持ちよかったですか~」
ぽかぽかの双子は、ご満悦の表情だった。
白湯を両手で飲ませた後、蒔絵は両腕で、双子を縦抱きにして少し揺すった。
風呂上がりの銀河が腰にタオルを巻いたまま、腰に手を当てて、台所で牛乳を飲んでいるのが見える。
「何を見ているんだ?」
そう言って、銀河が腰のタオルを外そうとするので、蒔絵は銀河に背を向けた。
「随分自信があるのね」
「上から見ると、小さく見えるらしいが・・・」
蒔絵は、(下ネタは勘弁して欲しい)とため息をついた。
「おい」
銀河が肩を触った。
蒔絵が振り返ると、銀河がすぐそこに上半身裸のまま、立っていた。
「な・・・」
「いやいや、藍がまた吐いているんだよ。蒔絵の服の背中がびっしょりだ。俺の服を貸してやるから、風呂入ってから帰れ」
「やられたー」
蒔絵は素直に銀河の家の風呂に入った。子供の頃、子供達4人が一緒になって入った風呂は、今は1人が体を横たえるだけの大きさでしかない。
「風呂の外に、俺の長袖のTシャツ置いておくからな」
「大きい」
「悪かったよ。デブサイズで」
蒔絵はダブルスでは前衛なので、女子としては小さい人間ではないが、銀河のTシャツは蒔絵の尻の下まで届く程大きかった。微かに、銀河の匂いがする。
憎まれ口を叩きながらも、銀河は藍を膝に乗せて、iPadで教科書を眺めていた。隙間時間に勉強するのが、銀河流だ。
「じゃあね。明日」
「風呂上がりなんだから、風邪引くなよ」
銀河はちらっと蒔絵を見て、すぐ背中を向けた。銀河の使い古した白いTシャツは、少し生地が薄くて、蒔絵の体の線を拾っていたのだ。
「お休み」
幼なじみ以上、夫婦未満の2人の休日であった。