119 おっぱいとの格闘
銀河と鯨人が、インターハイで準優勝して帰った日に合わせて、蒔絵も退院した。
10日経つと真珠の姿は、見違えるように可愛くなっていた。目もうっすら開くようになり、身体中の毛もほとんど消えていた。
「蒔絵、あの毛はどこに行ったのか?脱皮でもしたのか?」
「なんか、お風呂で擦っているうちに薄くなったんだって」
本当は、圭子がガードのついた剃刀で、背中だけさっと撫でたようだが、色黒なので、言われないとわからない。
「あー。退屈。3時間おきの授乳のせいで眠いけれど、ずっとゴロゴロしていたら、痩せられないよ」
そう言う蒔絵を横目で見ながら、銀河はせっせと洗濯と食事の準備をしている。
その一方、インターハイで準優勝だったのは、やはり悔しいようで、朝のランニングと鯨人との打ち合いは、欠かさなかった。今は紫苑も帰省しているので、大会前の時より、充実した練習ができている。
また、銀河は隙間時間を見つけては、受験勉強をしている。
ただし、自宅でiPadを開いている時は、必ず膝に真珠を乗せている。
まだ、親の顔は認識できてはいないが、その黒い瞳に自分の顔が映ると、その日一日の辛いことなど、すべて吹き飛んでしまう。歯のない笑顔で笑いかけられると、いつもは仏頂面の銀河の口元が緩む。
「銀河は真珠が好きだねー」
「蒔絵の次にね」
「ありがとう。こんなおデブの私も好きでいてくれて」
「1ヶ月過ぎたら、徐々に運動始めるんだろ?」
「うん。1月の大会は出るよ」
「その時は鯨人と組むのか?それともシングルスで出るのか?そろそろ決めないとな」
「え?ああ、そうか。高校も混合ダブルスの部を作るんだよね」
オリンピックで混合ダブルスのメダリストが出たことで、協会も強化に本腰を入れ出したようだが、なかなか男子と組めるレベルの女子が育たなかった。しかし、最近になって、全県で出場選手が出せるようになったので、高校でも新しいカテゴリーが加わったのだ。
「銀河は11月には受験だもんね」
「一発目で決められなかった時のために、個別試験も受けるから、2月までは勉強をし続けるよ」
銀河は混合ダブルスの導入の情報を聞いた時、高校ではもう蒔絵と組むことはできないと、気落ちした。だからこそ、蒔絵の動きに近づけて、鯨人と練習するようにした。
まあ、そんなことを考えて練習しなければ、楽にインターハイ制覇できていただろうが‥。
「ねえ、そろそろ私もランニングしたいんだけれど」
蒔絵は、出産した子供の体重と羊水の分だけ、楽に痩せると思っていたのだが、お腹の膨らみは、すぐには凹まなかった。走ればお腹は凹むと思っていた蒔絵だが、1ヶ月の休養が必要なわけは別のところにあるのだ。
「蒔絵、子宮の内壁に張り付いていた、あのでかい胎盤が剥がれたんだぞ。傷が治るのに1ヶ月は掛かるんだよ」
「でも、子宮って拳大に縮むんだよね?」
「次の出産の時、また子宮は膨らむだろ。大体、出血多量で輸血までしてもらったんだから、『安静』も仕事だ」
しょうがないので、蒔絵も銀河と一緒に勉強することにした。入院していた10日間は流石に、問題集に取り組む余裕はなかった。
しかし、産休中の1ヶ月もなかなか勉強に集中できなかった。初めての母乳育児は思いの外、体力を奪うのだ。
蒔絵の大きな胸は、妊娠中、さらに大きくなった。それに、真珠の「おっぱい欲しい」という、甘ったれた「ふにゃー」という泣き声を聞くと、胸は見る間に青筋を立て膨れ上がる。胸の奥がキュンと痛み、真珠に吸われて、やっとその膨張は治る。
真珠は女の子にしては、吸う力が強いようで、「ちゅごー、ちゅごー」を吸われると、蒔絵の胸は見る間に萎んでいく。銀河は、蒔絵の体の変化を見ると、自分達は「哺乳類」なのだと実感した。
吸われる力が強いということは、出てくる母乳も多いということで、うっかり、唇から乳首が弾け飛ぶと、顔いっぱいの母乳シャワーが真珠の顔にかかってしまう。
ところが、反対の胸を吸わせようとすると、真珠はにやにや笑いながら、乳首を舐めるだけで、一向に吸おうとしない。かといって、おっぱいをそのまま吸わせないでおくと、蒔絵も苦しいし、左右の胸の大きさも変わってしまう。
蒔絵はどうしても、利き腕を勉強に使いたいので、左側から授乳を始めてしまう。そうすると、右胸が吸われないまま残ってしまう。蒔絵は鏡に映る自分の姿に、愕然とした。
「銀河ぁー。おっぱいが片っ方だけ、下がっているぅ〜」
搾乳があんまり大変そうなので、一度、銀河が代わりに吸い出そうとしたが、吸い出すことはなかなか出来なかった。そればかりか、母乳は水で薄めた牛乳のような味がして、飲めたものではなかった。
「あんなに美味そうに飲んでいるから、もっと美味しいかと思ったのに・・・」
そんな毎日が続き、おっぱいとの格闘で勉強をしている暇がなかった。
ただ、そんな苦労も1ヶ月も経つと慣れてきて、蒔絵はおっぱいを吸わせながらも勉強ができるようになった。
夜も、真珠が泣くと、蒔絵は半分眠りながら、真珠の口に乳首を突っ込んで、そのまま眠ってしまうようになった。
ただ、おっぱいの水溜まりに真珠が顔をつけたまま寝てしまうので、銀河が、蒔絵の乳を拭き、胸を服の中に入れ、真珠にゲップをさせてから、口を拭いて寝かせるようになった。
夜中のオムツ交換も銀河がした。
銀河は、蒔絵が産休を取ったのと同じ期間、育休を取ろうとしたが、放課後、部活動に出るために、2学期の始業式から、学校に登校することにした。授業中や昼休みに眠り込むことが増えたが、先生方も生徒も、静かに彼を寝かせてあげることにした。
男子は、「子供を持つのは大変だ」と思った。
一方、蒔絵は、始業式が始まった後は、リモートで授業を受けながら産休を過ごし、きっかり産後6週間を過ぎた後、高校に通学を始めた。体育や部活動にも普通に参加し、休み時間に、保育園に授乳に行く以外、蒔絵は、ごく普通の高校生活を送った。
女子は、「子供を産んでも普通に学校生活が送れるのだ」と思った。
明日はいよいよ手術です。6時からの夕飯を食べたら、明日は一日、食事ができません。入院中にダイエットできるかと期待していましたが、ベッドでゴロゴロしているので、なかなか痩せません。返ってお腹はぽっちゃりと。大会が終わったので、そろそろ銀河も太る時期なのですが・・・。代わりに蒔絵が太っています。