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112 青天の霹靂

 ウエディング・フェスティバルが、終わった後、紫苑と更紗は、百葉村役場に結婚届を出しに行った。役場で更紗の母絹子が、嬉しそうな顔をしていた。


「あんた達、ついているわね。マンションが当たったんだって?」

更紗が力こぶを作ってみせた。

「すごいでしょ。この間の展示会でオープンルームにした部屋を、そのままくれるんだって。今晩から泊まっていいでしょ?後でタオルとか、うちに取りに帰るね」

「家具も全部置いてあるんで、助かります」

紫苑も控えめだが、泣くほど嬉しかった。


「蒔絵達みたいに、希望の間取りじゃないけれどね」

「贅沢言うなよ。まあ、(うち)の両親もハワイ旅行が当たったのに、『新婚旅行は日本の温泉がいい』なんて言っていたけれどね」

どうも、茉莉は「ハワイの新婚旅行」が当選したようだ。


「今から、パスポート取るのは面倒なんでしょ?」

「でもさ、母さんは、大学も結婚式も新婚旅行も、全部諦めたんだから、これくらい当たらないと」


 今日は、両家にとって、本当に幸せな一日だったが、更紗の一言がなければ・・・。

「それで、フェスティバルの時に、後閑医師に診察を頼んだんで、この後、2人でついてきてくれるといいな」


絹子は、背筋に冷たいモノを感じた。

「後閑医師って、産婦人科の?」

「そう、ここ2ヶ月くらい生理が来ないので、診て貰おうと思って」

紫苑は確かに、卒業式の時に、心当たりのある行動はしたが、しっかり避妊はしたはずだった。狼狽(うろた)える紫苑に向かって、更紗は涼しい顔で告げた。

「100%の避妊って、難しいね」


 今は涼しい顔をしている更紗だが、最初に生理が来なかった時は、結構悩んでしまった。ただ、蒔絵の話を、桜子と菊子にしているうちに、蒔絵ができるのなら自分もできそうな気がしてきたのだ。姉としての意地もある。そして、紫苑も、銀河に対して対抗心があることを知っている。


 フェスティバルの最中に、芦田編集長にも相談してみた。

「編集長、読者モデルって、妊婦になったら(クビ)ですか?」

「まさか。更紗ちゃんも?でも、出産までの経緯も含めて、記事にさせてもらえるなら、応援するよ。まずは、大学に、百葉高校並みの産休と育休を認めてもらうところからかな?」

「どこへ、申請すればいいんですか?」


「更紗ちゃんは動かなくていいよ。私が、マスコミの力で、動かしてみせるから」

 少なくとも、信州大学には学生への産休や育休の規定はなかった。まして、百葉高校のように、その間の成績や授業を受ける保障など、あるわけがない。それが分かっている芦田編集長は、マスコミの力を使って、この状況を打破しようと考えたのだ。


 目を輝かせている芦田編集長を見て、更紗は話す順番を間違えたかと思ったが、後には引けなくなってしまった。

「あの、今日産婦人科に行くんで、妊娠しているか、まだ分かりませんよ」

「何言っているの、マンションも当たったじゃない。こっちも当りに決まっているわ」


 他人が自分以上に自信満々なのを、更紗は不思議な気分で見つめていた。


 そして、紫苑も、更紗が平然としていることが不思議だった。

更紗に言われるままに後閑産婦人科に行くと、まだ、髪のセットがそのままの佳美が応対をしてくれた。

「ごめんね。こんな格好で」

「いいえ、休診のところすいません。明日は松本に帰るんで、入籍と診察を済ませて帰りたいんです」


 後閑医師も、笑顔が引きつっていた。

「初めまして、蒔絵ちゃんのお姉さんですね。こちらは、銀河君のお兄さんですか」

「はい。4人揃ってお願いします」

更紗が涼しい顔で答えた。後閑医師は、その言い方が蒔絵によく似ていると思った。


 絹子は、引きつった笑いをした。

「すいません。兄妹揃って、ご迷惑をおかけしています」

佳美が、絹子に向かって、お腹を叩いてみせた。

「お義母(かあ)様、私も負けじと頑張ります」

後閑仁志(ひとし)医師と、美佳(みか)助産師が声を揃えて、娘を叱った。

佳美(よしみ)!」


 更紗の出産予定日は12月半ばだった。冬休みに出産できると知って、更紗は胸をなで下ろした。

診察の最後に、仁志医師が2人に尋ねた。

「出産はどこでするのかな?」

後閑産婦人科で出産すると思い込んでいた更紗と紫苑は。顔を見合わせた。

「ここでは出産出来ないのですか?」

「大学を休学するなら、こちらでのんびり産めばいいけれどね」

「休学する気はないです」


「そうすると、信州大学で診て貰うって、選択肢もあるかなって思って。来月は悪阻(つわり)で辛い中、前期試験があるでしょ?出産は暮れだけれど、産休明けてすぐ、2月に後期試験があるよね。信州大学には知り合いもいるから、相談してもいいよ」


 


 翌朝、悠仁(ゆうじん)靖仁(やすひと)小児科医に付き添って貰って、更紗が松本に帰っていった。

それを見送る紫苑に、誰かが声を掛けた。

振り返ると、軽トラに乗った鉄次が、駅脇の駐車場に立っていた。


 紫苑は、百葉LRTの駅から駐車場まで戻って、鉄次に話しかけた。

「父ちゃん、突然の話で、申し訳ない。俺にとっても、更紗が妊娠しているなんて、知らなくて」

「まあ、心当たりはあるんだろう?」

紫苑の沈黙はその答えだった。


「紫苑はもう免許取ったんだろう?」

雪国の生活ではバイクだけでは生活できないと、寮の仲間に教えられたので、紫苑は、3月に長岡で自動車免許を取ったのだ。


「じゃあ、今日は電車で帰らず、軽トラで長岡に帰らないか?ガソリンは満タンにしたし、ETCカードも挿しておいたぞ」

「うちで車は使わないの?」

軽トラを使って、鉄次は日常の仕事をしていたはずだ。しかし、鉄次はそれには答えず、話を続けた。


「車があれば、松本まで3時間もかからないぞ。これから何度も行くんだろう?顔を見るだけでもいいんだぞ。毎週会いにいってやれ」

 紫苑には毎週会うという発想がなかった。確かに、蒔絵はいつも銀河が側にいて支えてやっていたが、更紗にはそういう人がいない。


 鉄次と運転席を替わって、ETCカードを抜いて名義を見ると、それは鉄次のカードだった。

「俺からの餞別だ。高速代は不足がないようにいつも入金してやるよ。

メールじゃ届かない気持ちがあるんだ。妊娠中の嫁さんに出来ることなんて、側にいてやることしかないんだから、6時間かけて、1時間しか会えなくてもいいんだぞ。

そうしないと、その後何10年も恨まれるんだからな」


 茉莉にいつも、文句を言われ、離婚まで突きつけられていた鉄次だが、最近やっと、夫婦仲が修復されてきたようだ。普段、アクセサリーなど一切しない鉄次の指には、昨日交換した指輪が光っていた。

信州大学の名前を、便宜的に使わせていただいていますが、信州大学の学則も調べておりませんし、あくまで、創作上の都合の設定です。この後も大学関係者の名前が出てきますが、架空の人物であることをご了承ください。

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