106 読者モデル初体験
「未来TEC展示会」当日、妊婦が人混みに出てはいけないと言うことで、蒔絵は更紗とマンションの8階にいた。
「ごめんね。更紗。展示会を見て回りたかったでしょ?」
「どうかな?渋谷のスクランブ交差点並み混雑だよ」
「そこまではひどくないだろうけれど、駐車場は駐車待ちの長い列が出来ている。あの背が高い人は、穂高かな?」
「そうみたい。野球部とバスケ部が駐車場係だから、多分穂高だね。
バドミントン部は、昨日まで銀河の全国大会で田邊先生が引率で出て行ったから、代休なんだ。有り難い」
「顧問不在につき、銀河はトミカの抽選に並べたわけだ」
「それがなくても、銀河なら適当な理由をつけて、トミカの抽選に参加したと思うよ」
2人は、8階ベランダから、百葉町を見下ろしていた。
「まだ、鈴音お姉ちゃんから連絡来ないね」
「多分、渋滞に巻き込まれて、出版社の人の到着が遅れているんじゃない?」
「ねえ、読者モデルって、どんな雑誌に出るの?」
「なんか、新しい若い女性向けのライフスタイル誌を発行するんだって、名前は『日経ウーマン プラプラ』? あれ、違っているかな。忘れた」
そんな話をしているうちに、やっと玄関のチャイムが鳴った。今日は、打合せに相応しい場所がどこも取れなかったので、蒔絵達のマンションを借りて打合せをすることになったのだ。
蒔絵が玄関を開けると、意外な人が立っていた。
「あー。虹恋さん。びっくりした。お久しぶりです」
そこには、銀河と蒔絵のウエディングフォトを撮影したカメラマンの藤田虹恋が立っていた。後ろには鈴音、そしてその後ろから、鈴音達と同じ年ぐらいの女性が入ってきた。
女性は居間に入るとすぐ、更紗と蒔絵に名刺を手渡した。
「始めまして、私『日経ウーマン』の編集をしております芦田千翔です。今日は貴重なお時間を頂きありがとうございます」
蒔絵は、予定より多い人数に少し首を捻ったが、居間で自分が使っている昇降式の机を下げ、ソファーの前に置いた。
テーブルには更紗と千翔、ソファーには鈴音と虹恋が座った。
「蒔絵ちゃんも、更紗と一緒にお話を聞きなさいよ。勉強になるよ。お茶は気にしなくていいから」
鈴音に言われて、客用コップを出す手を止めて、蒔絵もテーブルに座った。好奇心もあったので、少し嬉しかった。
口火を切ったのは鈴音だった。
「急に、虹恋を連れてきてごめんね。実は、今日は打合せだけのつもりだったんだけれど、新刊の雑誌に、今日の展示会を取り上げてもらえることになって、早速、今日撮影をすることになったんだ」
更紗は、急な話に戸惑った。打合せという話だったので、そこまで服にも化粧にも気を使って来なかったのだ。そんな更紗の戸惑いを見て、千翔はにっこり笑った。
「大丈夫よ。うちはファッション誌じゃないから、そこまで、バッチリ決めなくてもいいわよ。しかし、鈴音の義理の妹さん達は、本当に綺麗ね。化粧しなくて、このクオリティってすごいわ」
「千翔、フライング。まだ、2人は、弟達とは籍を入れていないんだから」
そう言うと、鈴音はソファーを立って、更紗と蒔絵の後ろに立った。
「実はね、千翔は私の大学時代の同期なの」
思わず、蒔絵が尋ねた。
「鈴音お姉ちゃんって、バリバリの理系女子ですよね。芦田さんも理系なんですか」
「そう、今、理系視点がないと、出版業界やっていけないのよ。そうそう、時間がないんだったね。説明を続けさせてください」
そう言うと、千翔は更紗と蒔絵の前に、新雑誌の企画案を開いて見せた。2人で、千翔のiPadを覗き込んだが、少し見えにくいので、蒔絵が立ち上がった。
「うちのホワイトボードとBluetoothでつないでください」
蒔絵の言うとおりつなぐと、ソファーの後ろの白い壁に、iPadの画面が映し出された。
「うわお。ここはオフィスですか?」
「未来TECハウスのオプションにあるんです。うちにもスクリーンになるホワイトボードあるよ。ただ、子供のお絵かき用になる予定だけれど」
ホワイトボードに映し出された、企画案を前に、千翔が雑誌の説明を始めた。
「新しい雑誌名は『日経ウーマン++』。『日経ウーマン』の今までの読者層は20代から40代の働く女性だったけれど、創刊から40年もたつと、ターゲット層が変ってきたんだ」
更紗と蒔絵は、「++」の意味を考えながら話を聞いた。
「お二人もそうだと思うけれど、今、若い人は紙の雑誌を買わなくなったよね」
更紗がすぐ返事をした。
「はい。ネットで情報を得るので、百葉村に本屋がなくても、困らないです」
「そうなんだよね。ただ、この本からしか得られない情報を流せば、見に来てくれるよね」
蒔絵が眉をひそめた。千翔は、鈴音の知り合いだが、少し拒否感を感じた。
「それは、例えば、どんな『情報』ですか。ウーマン・オブ・ザ・イヤーで取り上げるような、働く女子の成功例ですか?」
千翔は首を振った。
「地域の小さな成功事例。でも、『子育てするなら流山』じゃないけれど、その成功事例を流すことによって、女性に選ばれる地域をつくるの。蒔絵さんが、高校生で妊娠しても、お医者さんになる夢を持ち続けられるのは、百葉村だからだよね」
「まあ、それにいいパートナーに恵まれていたってこともあります」
「そう、そういうパートナーも増やさないと」
そこへ突然、玄関のドアが開いて銀河が入ってきた。
「ただ今。お昼まだだろう?父ちゃんの焼きそば貰ってきた」
鉄次は今日、駐車場脇で、焼きそばの屋台を開いていた。
銀河は、もう客が帰った後だと思って入ってきたので、5人の女性に見つめられて固まってしまった。
蒔絵は急いで銀河の側に行って、打合せが長引いた事情を説明した。
「ああ、百葉村の周辺はすごい混雑だからね。しょうがないよ」
「抽選どうだった?」
銀河は肩をすくめた。残念ながら、落選してしまったようだ。
奥から虹恋が玄関に出てきて、銀河に挨拶した。
「久し振り。銀河君、蒔絵ちゃんの赤ちゃん、順調そうだね」
「あっ、どうも」
銀河の表情は硬いままだった。
「鈴音の家が汚すぎて、撮影が出来ないから、今日、この部屋借りて、雑誌の撮影したいんだけれどいいかな」
「駄目です。お客さん1人だけの打合せって話でしたよね。なし崩しに話を進めないでください」
銀河の性格を知る蒔絵と更紗は、当然の反応にあきらめ顔をした。しかし、実の姉は弟の弱点を知っていて、準備万端だった。
「ちょっと聞いて。これは未来TEC案件なので、一応、話くらいは聞いてくれないかな」
銀河は不承不承室内に入って、蒔絵が勉強に使っているゲーミングチェアに腰を下ろした。それは調度ホワイトボードの前だった。
「俺はまだ、未来TECの正式な社員じゃないからね」
そう言いながらも、銀河はホワイトボードに目を走らせ、今日の話の内容を理解しようとした。
千翔も銀河がそれを読み終わったタイミングで、新雑誌の目次を表示した。
巻頭インタビュー 「災害を乗り越えて」 つくば未来村支社長 未谷来海
特集記事1 「未来TEC展示会」 高校生起業家 村田恭子
特集記事2 「未来TECハウスの将来」
特集記事3 「百葉LRT開業」 自動運転路面電車
銀河は、目次をざっと見て、感想を述べた。
「更紗1人で、特集3本の撮影をするんですか?」
芦田千翔は、銀河にも名刺を渡して、自己紹介をして、説明を始めた。
「未谷支社長と村田さんへのインタビューは、更紗さんと私が行います。この部屋の撮影は、鈴音さんと虹恋さんにお願いします。
最後の撮影なんですが、LRTの終業後、特別にライトアップして、外装と中の撮影するんですが、今日人気だったトミカも使って、撮影するんです。鉄道が好きな男の子がモデルになってくれるといいんですが、夜なんで、小学生は撮影に使えないんですよ」
鈴音が、サッと銀河の前の机に、百葉LRTのトミカを置いた。
銀河が「あっ」といって手を伸ばそうとすると、鈴音はそれを持ち上げてにっこり笑った。
「駄目よ。撮影用に、プロトタイプを貰ってきたんだから」
銀河は顔を覆って、暫く考え、声を絞り出した。
「顔出しなしでもいいですか?」
銀河は「貰ってきた」という姉の言葉から、撮影終了後はトミカが貰えると理解した。
鈴音は容赦なかった。
「銀河、もう1つ頼みがあるんだけれど。この部屋の撮影で、蒔絵と一緒にモデルをやってくれない。顔出しなしでいいから」
銀河は、顔を上げて蒔絵を見た。
「もう、お昼を回っているから、早く撮影しちゃおうよ」
蒔絵がこう言い出したら、銀河に止める術はなかった。
「はい。ありがとうございます」
そう言って、虹恋が化粧バックを、バサッと開いた。千翔も持ってきた衣装を、サッと広げて確認を始めた。どれも、ナチュラルなテイストの、2人によく似合う衣装だった。
「更紗も蒔絵も、この衣装、貰っていいそうよ」
銀河は、薄化粧をして、白シャツにスリムなパンツをはいた蒔絵から目が離せなかった。
白いシャツは襟元が大きく開いているが、それが返って、大きくなり始めた胸とお腹をすっきり見せた。
準備が出来た更紗と千翔がインタビューに向かうと、今度は銀河がつかまった。
「虹恋さん、顔出しなしなんですよね。化粧いらなくないですか?」
「眉と寝癖を整えるだけ」
銀河の準備をしている間に、鈴音が藍と茜を連れてきた。
「よーし。子育てカップル完成」
鈴音は、本当に弟の扱いに長けている。
藍と茜は、今、よちよち歩きの真っ最中で、動く銀河と蒔絵の足につかまろうと、どこへ行っても追いかけてくる。
銀河は、藍を片手で抱えると、藍に顔をいじられるが、それがまた微笑ましい風景を描いた。
茜は、蒔絵の膨らみかけたお腹に、耳をつけて喜んでいる。それを見つめる蒔絵の横顔には、広い窓から差し込んで、聖母子像のような趣だった。
双子を前にすると途端に、2人はいつもの姿に戻り、子供に邪魔されながらも、仲良く家事をこなす夫婦の写真が何枚も撮影された。
夕方になると、銀河は、帰宅途中の会社員風の服装に着替えさせられた。
藍がどうしても銀河と離れたがらなかったので、撮影は急遽、子連れ出勤から帰る若い父親という設定に変った。
「小学生はいけないのに幼児はいいのか」と、銀河はまたゴネたが、鈴音の「寝ている子供は仕事中にはならない」という変な理屈に押し通された。
蒔絵も撮影に同席したが、厚手の白いTシャツの上に、抱っこ紐で藍を抱いている銀河の後ろ姿から、目が離せなかった。
虹恋が蒔絵の耳元で囁いた。
「まだ、体型維持しているんだね」
「昨日まで、全国大会だったんで」
「それで、髪もまだ刈り上げたばかりなんだ。いいね、あの襟足」
「坊主が好きなんですか?」
「いやーだぁ。ハーフブロックのあの刈り上げた部分に、大人の色気を感じるのよ。あれでジャケット着たら、そのまま、IT企業の仕事ができる会社員みたい」
「それが、トミカをいじっているって、ギャップありすぎませんか?」
「ギャップ燃えぇー」
結局本誌に採用されたのは、ぐっすり眠った藍を抱えた銀河が、トミカを窓の前で走らせている1枚だった。子連れで仕事から帰る男性の写真が、始めて女性誌に載った歴史的1枚だった。
銀河の顔は、暗い窓ガラスにしっかり映っていたが、「顔出し」に反対する銀河を蒔絵が説得して、この1枚が採用された。
撮影の帰り道、銀河は鈴音に一言。
「次の撮影には、紫苑を使ってくれよ。撮影って疲れる」
「後で、蒔絵の可愛い写真を送るから勘弁してよ」
最後まで、弟を掌で転がす姉であった。
昨日、2話ほど書き進めたのですが、どうも上書きをしっかりせずに終了したようです。トホホ。