1 銀河は蒔絵に土下座した
前回の作品が一応終わりました。今回は、銀河という少年に絞って、作品を描きたいと思っています。すらっとしたイケメンばかりが、恋愛対象ではないというお話です。是非、お楽しみください。
菱巻銀河は、明日の新入生登校日を前に、おむつの準備をしていた。
「おはよー。茜ちゃーん、藍くーん。お元気でちゅかー」
「おい。手を洗ってから、触れよ」
縁側からいつものようにやってきた鮫島蒔絵の声を聞いて、ほっとした。今頼れるのは、蒔絵しかいないからだ。
「明日、新入生登校日だよね。今日で宿題終わらせなくちゃ」
「俺はもう終わっているから、心配せず、残りをやってくれ」
そう言って、麦茶を持ってきた銀河を見て、蒔絵はいぶかしげな顔をした。
「ちょっと待って。なんで、麦茶なんか持ってきたの?いつもだったら、私を馬鹿にして、さっさと高校に部活をしに行くのに」
(ちっ。感づかれた。もう本題に入るしかない)
銀河は、ぽっちゃりした体にしては素早い動きで、蒔絵の前に土下座をした。
「蒔絵様。一生のお願いです。俺を助けてください」
蒔絵は、銀河の生まれた時からの幼なじみなので、いつもの経験から、「一生のお願い」が出る時は「本当に困った頼み事」が来ることが分かっていた。
「嫌だね。まず、『頼み事』の内容を話してくれないと、うんともすんとも言えないよ」
(よし。ここで泣き落としだ)
銀河は、ゆっくりと顔を上げた。
「実は、今、家に俺と茜と藍の3人しかいないんだ」
「見れば分かるよ。鈴音お姉ちゃんは?」
鈴音は、東京の会社に勤めていて、今、里帰り出産のため帰省している。茜と藍という双子を出産して、1ヶ月半ほど立っているので、最近やっと床上げをして、外を出歩けるようになった。
「鈴音は、今日、父ちゃんと一緒に、会社と義兄さんの様子を見に行った」
「大丈夫?東京は地震の影響で、交通網が寸断されているって」
「だから、父ちゃんの軽トラで支援物資を持って、義兄さんや会社、むこうの家族の様子を見に行ったんだ」
「そっか、流石に双子を連れて行けないよね。で?お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは?」
「鈴音はさ、祖母ちゃんに預けるつもりで、出かけて行ったんだけれど、夕べ、祖母ちゃん張り切って、双子の面倒を見て、朝、腰痛を起こして、朝から祖父ちゃんに、診療所につれて行って貰っているんだ」
「え?大変じゃない。でも、お母ちゃんがいるでしょ?」
(よしよし、この調子)
「うちの母ちゃん、3月から『未来TEC』の社員食堂で働いているんだ。今日も朝から夕方まで勤務だよ」
「まさか」
「その『まさか』なんだ。さっき祖父ちゃんから電話があって、祖母ちゃんはしばらく入院するって。鈴音と父ちゃんは、多分すぐには帰って来られない」
「ということは、明日の新入生登校日を休むって言うことだね」
「なんで、そう考えるかな?俺はこいつらを連れて行くから、蒔絵に手伝って欲しいんだよ」
「へ?お姉ちゃんか、お祖母ちゃんが帰ってきたら、その時、高校に行けばいいじゃん」
「ん~。そうもいかないから、頼んでいるんだな。
まず、明日は制服の採寸がある。俺は普通サイズじゃないんで、既製品が入らない。
次に、明日は数学クラス分けテストがある。今までの宿題を頑張った成果が試される」
百葉村立百葉高校は、小規模校なので各学年1クラスずつなのだが、英語と数学だけは、2展開授業が行われる。銀河は親友の田中海里と同じクラスになりたいのだ。
「別に、元々クラスは1クラスしかないんだから、数学だけ我慢すればいいじゃない」
「そうもいかない。特進数学クラスは、新しく来る数学の先生に教えて貰える。普通数学クラスは、中学の先生だ。そこは譲れない」
2人が通うことになる百葉村立百葉高校は、中高一貫なので、教師も双方の生徒を教えている。
中学の数学教師はかなり高齢で、耳も遠い上、板書の計算もよく間違える。中学時代は、海里が板書から目を離すのが、計算間違いが起こった合図で、最終の答えはみんな、海里のノートを見て確認していた。
「あの先生、悪い人じゃないんだけれど、出来れば新しく来る数学の先生に受け持って貰いたいんだ。
それに、教科書販売がある。明日買えないと、町の本屋まで行かないと買えない。でも、津波で電車が通っていないから、何時買いに行けるか分からないだろう?」
「3つの理由は分かった。でも、数学のテストの間、双子が泣き出したらどうするの?」
「蒔絵の兄ちゃんに、その1時間は見ていて貰えばいいじゃないか」
蒔絵の兄、鮫島穂高は、百葉高校の理科教師だ。新しい数学教師が来るという情報も、そこから入ってきたのだ。
「いやいや、春休みなんだから、紫苑兄ちゃんに頼めばいいじゃない」
「そうは行かないんだな。うちの兄ちゃんは3年だから進学補習があるんだな。蒔絵のところの更紗姉ちゃんだって、補習あるだろう?」
「あー。あったわ。でも、穂高お兄ちゃんだって、その日、新入生登校日の仕事あるからね」
「ああ、あっても片付けくらいだろう?数学のテストは、予定の最後なんだから。まあ、駄目なら駄目で、どうにかなるさ」
「出た。銀河の『どうにかなるさ』」
(よし。これで蒔絵は俺の手伝いをしてくれるだろう。最後に、礼を言って、既成事実にしてしまおう)
「ありがとうございます。明日、持っていくものもあるので、1時間前に家に来てください。蒔絵様。今日は、我が家でごゆっくり宿題をなさってください」
「えー?宿題を写させてくれないの?」
「そんなに、俺たちと違うクラスになりたいのかな?自力で宿題を片付けないと、数学は普通クラスだよ。
双子の洗濯物片付けているから、宿題で分からないところがあったら、声をかけてくれよ。お教えして差し上げます」
蒔絵は、手際よく双子の服を干す銀河の、むっちりした後ろ姿をぼんやり眺めた。
明日、何が起こるかは、考えてもしょうがないので、宿題に集中することにした。
隣家に住む幼なじみは、楽天的なところもよく似ていた。