1話 うお!?
ロッドはフェンウィック、リールはアブガルシア・アンバサダー2500c。ルアーはヘドンのザラスプークをチョイス。かなりオールドスタイルだけど俺のお気に入りだ。
ひとり漕ぎ出した湖面にはモヤがかかり、まるで雲の上にライドしているかの様に見え、点在する立木と相まって何とも神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「水温の方が高い、か・・・。確かに今朝は寒ぃや」
日が昇るには少しだけ早い。この時間が一番寒いのだ。開けていたジャンパーのチャックを首元まであげて辺りを見渡すと、山肌から霧が湖面へとゆったりと注ぎ込まれ、何処かでコゲラが木を突く音が聞こえる。
「荘厳・・・なんだけどね・・・靄が晴れるまで釣りにならねぇや・・・!ルアー、見えないもんなあ。やっぱりさ、トップウォーターやるなら醍醐味の“ガバチョ”が見たいじゃん!?・・・でもコレじゃあ・・・何だかちょっとずつ霧が濃くなっている気がする・・・仕方ない、何処か岸に寄せてコーヒーでも沸かして待ちますか」
丁度良いワンドに舟を着け、苔生す岩に腰を降ろすと、コールマンのストーブにホワイトガソリンを注ぐ。ポンピングして火を着け湯を沸かし、携帯用ミルで粗めに豆を挽き早朝の一杯。纏わり付く霧のせいで衣服がしっとりと濡れ冷たかったがこれで幾分温まった。
「・・・あの声・・・カエルなんだよなぁ・・素敵な声だなぁ・」
目をつむると、カジカ達のシンフォニー。清流の流れこみが近くにあるのだろうから、小魚狙いのデカい奴がいるかもしれない。一投目はその辺りにしようか・・・。
そんな事を考えている間に昨日の仕事の疲れもあり少しの間だが眠ってしまった。
「すん?・・・すんすん・・・はっ!?」
目を覚ますと、先程よりも更に霧が濃くなっていた。唐突に鼻をついた獣臭は生半可な威圧感ではなく、確実に狙われているのを本能で悟る。霧のせいで姿は見えないが大きな気配を直ぐそこに感じた。
「嘘だろ!?え?・・・熊??いやいや、この辺で出るなんて聞いた事ないって!
マジかマジかマジかマジか!!やばいって!!絶対食べられちゃうって!とっ・・・とにかく、ゆっくり静かに逃げないと!」
「・・・走るなよ、俺!!」
そう自分に言い聞かせ立ち上がろうとしたが、膝が笑い走るどころか上手く立つ事すらままならない。産まれたばかりの子鹿よろしくカクカクと震えながらゆっくり後ずさりすると、茂みの中から勢いよく巨躯が姿を現した。
“でっ!出た!!クッ!クマ!!クマクマッッ!!”
声を上げた筈が恐怖で音になってない。のっそりと近寄って来るソイツは思っていたよりも三倍デカく、剥き出した牙からよだれが滴っている。
”うお~ッツ!!怖ぃ怖ぃ怖いっての!!生クマなんか見たとき無いけどあのキバ!食べられるっ!ぜっ~~たい食べられるって!!
逃げようにも腰が抜けてしまって脚に全く力が入らない。
「あっ、アッチいけっ!!」
手に触れた枝を掴んでブンブンと振り回してみたが、余計に怒らせてしまったみたいだった。
「グオォォーーーッッ」
熊は二本足で立ち上がると両手をいっぱいに広げ威嚇してくる!
「くっ!来るな!コッチ来るな!!アッチいけっ!食べられて死ぬなんて嫌だ!!」
ヤケクソになってとりあえず手に触れた物をみんな投げつけてやった。枝とか、石とか。
「きっ!キノコっ!・・・オレの代わりにコレでも食べてろ!!」
「ヒューン・・・ぽさっ」
「・・・」
大っきな傘のキノコを遠くへ投げて気を逸らそうとしたが全く興味を示さない。
「駄目か!!他に何か、何か・・・!何にも無い!!終わった!!」
とにかく死に物狂いでやたらめったら手を振り回し、草なども千切って投げつけて何とか喰われ無いように足掻く。
「もう駄目だぁ~~ッ」
そう強く思った時、ぐにゃりとしたものを右手に握りしめてる様な気がした。目をつむっているので何だか判らないが投げられる物なら何でもいい!とにかく投げつけてみた。
「きゃぁぁ~~っつ♪」
その途端、人の声?叫び声?の様なものが聞こえた。
“え!?こんなところに女の子??マズいだろう!!今、ここに熊が居るんだぜ!?怖いけど、食べられちゃうだろうけど、ここで逃げたら一生後悔する!!”
「助けなきゃ!!」
柄にもなく勇気を出して目を開くと、熊は既に何処かに消えていた。
「まさか女の子の方に!?」
聞こえた叫び声はかなり近くだった。霧がかった山中で女の子がそう遠くへいけるわけが無い。きっとすぐその辺りに・・・居た!!熊が!!
「バキッ!ガリッ!!じゅるっ・・・モグモグ・・・」
そ・・・そんな!!
「ぃやめろぉぉ~~っっ!!!」
顔を上げた熊の口は血で濡れそぼり、何か皮の様な物が引っ掛かり垂れている。
「おまえ!!何て事を!うぉ~~っっ!!」
走り寄りながら木の棒を拾い上げ熊に立ち向かう。とてつもなく恐ろしかったが、心と裏腹に体が軽やかに動く!・・・これが勇気、ってやつなのかな?
「待って!!」
木の棒を振り下ろそうとした時、不意に熊が喋った・・・気がした。
「ちょっと待って!!」
気のせいなんかじゃ無い!?明らかに熊の口から声が出てる!
「へっ!?こっ、言葉!??熊?えっ?」
突然の出来事に脳の処理が追い付かない。虚を突かれ拍子抜けしたこともあって、熊の前で再び腰を抜かしへたり込んでしまった。
「た・・・食べないで・・・」
体を強張らせその時がくるのに恐怖した。
「うわあ~~食べないでーー!!」
涙が溢れる。ああ・・・俺、ここで熊に喰われて死ぬんだ・・・やっぱり腹からなのかなあ・・・痛いだろうなぁ・・・ウワア~~ツッ!絶対ヤダ!嫌だ!!
「いやだぁ~~~っ!
・・・
・・・あれ?」
「失礼しちゃう。人は食べないもん」
「あ~、モグモグ、ゴクン。えと、先ずは、驚かせちゃってごめんなさい。あのね?コッチに来てはダメってゆう、威嚇だけのつもりだったの・・・ごめんね?」
その熊は咀嚼していた物を飲み込むと、当たり前の様に普通に喋り始めた。
「えと・・・いい?落ち着いて?時間が無いの!私はミーシャ。ベアー属の美人さんよ♪」
そう言いながらゆっくりと側へ寄って来る。落ち着けるか!!口のまわり!!血だらけ!喋ろうが、喋なかろうが熊は熊!だ!
「はっ!?そうか、俺、やっぱり食べられてて死んだんだ・・・」
と、言うより現在進行形絶賛食べられてる最中で変な夢を観てるんだと思う・・・それなら納得。
「だから!食べて無いし!!・・・まあいいわ。そんなことよりも、ねえ!あのお魚!あなたが私に投げたあのお魚、あれ、もう一匹ちょうだい♪このあたりじゃ見ないお魚だったし、と~~~っても美味しかった♡時間無いから早くして!!」
早くと言われても魚なんて持ってる訳がない。まだ釣りも始めて無いし・・・。ただ喰われていたのは確かに魚のようだった。夢にしてはリアルな血溜まりの中にトラウトの様な魚皮が散乱している。よかった・・・女の子じゃ無かった!!それが判ると何だか少し心が落ち着いてきた。
「え・・・と・・・。その辺に落ちてたんじゃないかな・・・?」
「それは無いわ。あなたの・・・あ~あ・・・霧が晴れちゃった。あなたもう、帰れなくなっちゃったよ?」
「え?帰れなく?・・・とは??」
「んーー。さっきの濃い霧ね、すっごい稀にコッチとソッチが繋がっちゃう時があるんだけどね。それ、霧のせいみたいなんだ。そんで、ソッチからコッチには来られるけどコッチからソッチには行けないのよね・・・」
「あの・・・コッチとか、ソッチとかよく解らないのですけど・・・」
何だか薄ら寒い嫌な予感がする・・・。熊と会話してるし・・・悪い熊じゃ無さそうだけど、それとコレとは話が別で・・・。
「まあ、いわゆるひとつの“異世界”ってやつですね~~」
「!!いせっっ!?」
セリフが古いのはさておくとして、熊が喋り始めた時点で薄らぼや~~っとそんな気がしてたんだ・・・。
「やっぱり俺、一度死んだんだ~~!お前が俺を喰ったんだぁ~~!!」
前言撤回悪い熊だ!!いつだろう?出会ってすぐかしら?女の子助けようと思った時にはもう死んじゃってたのか?
「いや、だから食べて無いし死んで無いって!!なに!?死にたいの??」
「グルル」と喉をならして牙を剥く。脚に垂れて来たヨダレに温度を感じてコレが夢で無いことに気づかされる。
「あ、ごめんなさい・・・。死にたくないです。だってさ事故とかそんなんで一度死んで転生、って定番じゃん!?・・知らんけど」
「テンセイとか何だか解らないけど、生きてるよ?帰れないだけ。これからはコッチの世界で頑張って生きていこ~~!お~~っ!みたいな?
だ・か・ら・さ!さっきのお魚ちょうだい♪」
「生きていこ~~ってそんな軽く言われても・・・それと魚は本当に持って無いんですよ・・・」
「うんとね、さっき右手がキラキラ~ってなってパッてお魚出て来てた・・・。多分あなたの“迷いこんじゃったボーナス”だと思うの「帰れなくなっちゃってごめんネ♪これで許して♡」的なやつね。どうやるのか分からないけど「えい!出てこい!」ぽ~ん!って感じなのかなあ?」
「はあ?そんな馬鹿な!転生ボーナスっていったらチート的な魔法とか、実は有能スキルでのし上がりましたとかそんなんでしょ!?そんな召喚魔法みたいな・・・ん?召喚!?」
まさか、そんな!いや、でももしかしたら・・・!!
「出でよ!!さかな!!」
よく見てたアニメのように両手を前に突き出して叫んでみた!!
「・・・」
「何も・・・出ないわねー」
ですよね。拳をぎゅっと握り涙目で見つめ激しく後悔・・・。
「・・・バカだね~、俺!・・・そんなね、魔法なんてね・・・なにが「出でよ!さかな!!」だよ。そんなに都合良く・・・。
キラキラ~~!ボン!!・・・びっちら、びっちら。
「うお!?」
みっ、右手に右手にさかな!!うお~っ!魚!!
「にっ、ニジマス!?ニジマス出たよ!?」
三十センチ位のニジマスを俺の右手がしっかりと掴んでいるではないか!!
「きゃぁぁ~~っつε=ε=(ノ≧ω≦)ノそれそれ!!ちょうだい♪食べたい食べた~い!!」
「あ・・・ああ。はい、どうぞ」
呆気にとられつつ魚を渡すとひとくちで頬張りモグモグ食べ始めた。
「ん、ん~~~ん♡柔らか♪淡泊だけど川魚特有の臭みが無くって上品な白身!!う~っ!たまんない( ´艸`)」
・・・表情豊かな熊だなぁ。何か可愛らしく思えてきたや。
それにしても驚いた。まさか本当に魚を召喚出来るなんて!!
いや、でも魚を召喚出来たからってしゃべる熊のいるような世界でどうやって暮らしていけば・・・?家とか、風呂とか・・・後、コンロが欲しい・・・生魚は、ちょっと・・・。サバイバルなんてしたこともないよ!あああ~、困った。
「ね。あなたのお名前なんて~の?」
そういや、名乗って無かったな。
「あ、そうか。俺は健一。亀井健一」
「ふ~ん。ケンチね。ね!?ケンチ行くとこないでしょ?ウチに来なよ!あのお魚くれたらそれでいいからさ!!」
え!?ウチ??熊の住み家、って事!?いや、穴暮らしはちょっと・・・それと名前、間違ってる・・・。でも行くとこないし・・・。
「ハ~イ、決まり~~♪それじゃ我が家にレッツらゴー!」
迷う暇なく決まってしまった。いや、何だか強引な熊だなぁ。まあ、お魚を与えておけば俺が食べられる心配はないか?いやいや、熊だよ!?いつ食べられてもおかしくないよ?
「ケンチ~~!おいてくよー!別にいいけどさぁ~、私じゃ無かったら食べられてたよー」
「つっ!ついて行きます!よろしくお願いします!!」
確かに!!喋る羆がいるんだ。他に何がいるか、何が起きるか分からない!!
こうして俺は熊に連れ去られ?てコッチでの生活が始まってしまった。