03. 空賊の王
「おーい、さっきここらでデカい声が――」
突然の声に慌てて振り返る。
暗がりに覗くド派手な真紅のキャプテンコート。首謀者の金髪男、ジャスパーがちょうど階段を下りてきたところだった。
「――聴こえたような……あ」
……まずい。見つかった。
ジャスパーは青ざめた俺たちを見るなり、
「わっ、うわわぁぁぁあっ!? い、いたーっ!!」
と、なぜか仰天して腰のホルスターから銃を抜いた。
「くっ!」
咄嗟にヒヨノを払い除ける。
――――パァンッ!
発火する銃口を見たのと同時、俺の身体は張り倒されるように傾いた。
弾ける紅飛沫。上半身がひやりと凍え、すぐに気持ち悪い熱を帯びていく。
甲高い悲鳴。速まる鼓動。臀部に衝撃。視点が、低い。
「……っ」
気付けば俺は尻もちを付いていた。
視界の左半分が涙で歪み、頬からの出血を自覚する。
「コトラくん!?」
「来るなヒヨノ!」
「止まれ女!」
両側からの大声に、ヒヨノはびくりと身を凍らせた。
「はぁ。捜したぞ、お前たち」
ジャスパーは銃口をこちらに向けたまま、ゆっくりと近付いてくる。
「お友達をほったらかして、こんな場所で逢引か」
「……あ、あ……っ」
迫る影に慄き、ヒヨノは這いずり後退った。
無防備なスカート丈から露わになった太腿に、ジャスパーが眼差しを注ぐ。
「……くそっ。はしたない恰好しやがって」
ヒヨノには申し訳ないがこの際好都合だ。
俺の期待に操られるように、ジャスパーは一歩また一歩と接近してくる。
「こ、来ないで……」
「動くなよ。ぼくだって暴力は嫌なんだからな」
「い、やっ……嫌ぁあああっ!」
「騒ぐんじゃない!」
ジャスパーがヒヨノの腕を掴み上げる。
――銃口が逸れた。こちらの射程だ!
俺は腰のベルトを勢いよく抜き払い、長鞭のように宙を薙いだ。
「うらぁあああああああああっ!!」
ビュンッと風が唸る。
「っぶッぐぇぁ!!?」
鈍い音を響かせ、金属製のバックルが前歯を叩く。
殴られたジャスパーは鮮血を散らしながら後ろに倒れ込んだ。
「し、しまっ――!」
床に叩き伏せられた衝撃で手から銃が転げ落ちる。俺はそれを咄嗟に拾い上げ、彼の額に突き付けた。
「撃つぞ!」
本気で撃つつもりはなかったが、
「ま、待て!」
「コトラくんダメッ!」
突然、バンッと銃声が炸裂する。
ヒヨノに抱き留められた拍子に、俺はうっかりトリガーを引いてしまっていた。
「あぁーっ!!?」
撃っちゃった!!!
「わぁーっ!!?」
ジャスパーの悲鳴。
顔を両手で覆い隠し、その場でごろごろとのた打ち回る。
「ヤダーッ! ぼく死にたく……な、い――あ、あれ? い、生きてる?」
丸くなっていた彼がおそるおそる薄目を開く。
幸い、照準は外れていた。銃弾はジャスパーから逸れて積み荷の一つを撃ち抜いたようで、砕けた木屑がぱらぱらと飛散している。
「えっ……えっ?」
ジャスパーは呆気に取られた様子で、自分の掌とヒヨノを交互に見比べる。
「な、なんだ? お前、ぼくを助けたのか?」
ヒヨノは返答せず、俺から銃を奪って筒口を掲げた。
「跪いて」
「へ?」
「両手を上げて跪いて!」
「わぁぁぁあ! わかった! わかったから!」
ジャスパーは言われた通りに膝を折り、涙混じりの声で縋る。
「な、なあ。内通者の女ってのはお前のことか?」
「えっ、内通者?」
「いったいなんの話だ」
俺も一緒に訊き返したが、答えよりも先に慌ただしい足音が階段を下りてくる。
「ジャスパー様、なにやら派手な銃声が……ああっ!」
眼帯が印象的なボブカットの少女。
制服姿ではないので空賊側だ。
彼女は俺とヒヨノの存在に気付いた途端、
「うわああああああ成敗! 成敗です!」
と、いきなり銃を取り出して、碌に狙いも定めずに乱射し始めた。
「きゃあああああっ!」
「あーっ、もう! これだから空賊ってやつは!」
俺はヒヨノを抱き寄せ、木箱を盾にしながら貨物室の奥へと逃げ込んだ。
「わーっ!? バカバカなにやってんだズズのバカぁ!」
銃弾と大鋸屑の嵐の中、ジャスパーのヒステリックな声が木霊する。
「そんなにぱんぱか撃ちやがって、卵が割れたらどうするつもりだぁ!!」
頭領の一喝で銃声がぴたりと止む。
「そうでした。ジャスパー様、大問題でございます」
ズズと呼ばれた眼帯少女は冷静さを取り戻し、姿勢を正した。
「時は一刻を争います。パイロットが救援信号を打ち上げました。大至急トンズラしませんと、竜騎隊に見つかるのも時間の問題かと」
「竜騎隊だと!」
ジャスパーの顔が一気に険しくなる。
「竜騎隊は困るぞ。ここで捕まったら縛り首だ」
俺たちとしては朗報だった。
竜騎隊が到着するまで時間を稼ぐことができれば、無事に助かるかもしれない。
「仕方ない。ひとまず船は捨てるぞ。人質も放っておけ」
「承知しました。しかしジャスパー様、竜の卵はいかがなさいますか?」
「卵か。確かに手ぶらじゃ帰れないな。母艦に連絡して迎えのエアバイクを手配しろ」
「そちらは既に要請済みです」
ジャスパーはしたり顔で頷くと、大きな声でこちらに呼び掛けた。
「おーい。お前らも聞こえてたな?」
「はいはい」
木箱の陰に隠れたまま、俺は手を振って応答した。
「では話が早い。そういうわけさ。命拾いしたなぁ若き竜騎隊。はっはっは!」
ドォンッ! と、背後で豪快な炸裂音が爆ぜる。
「……ふ、ぅぅっ!」
「く、そっ。今度はなんだ!?」
びゅおおおおうと音を立てて吹き込んでくる冷気と木屑。
振り向くと貨物室の扉は爆破され、拓けた視界に濃紺色の帳が広がっていた。