10. ハプニング・バスルーム
学園生活、最初の一日が終わろうとしている。
あれから学園内の紹介や教材の配布などが行われ、午後は同期生と仲を深めるためのレクリエーション、夕方からは寄宿舎の説明と、目まぐるしく時間が過ぎていった。
「まーじで忙しい日だった」
多忙なスケジュールから解放された頃、俺は大浴場の湯舟でぐったりとしていた。
「男子とお風呂とか貞操の危機なんだが~」
などとほざいて、マヨはまだ更衣室から入って来ようとしないでいる。
「犯されるやつー。これ絶対順番にぬぷぬぷされるやつー」
「馬鹿言ってないで入って来いよ。風呂ん中、もう俺しか残ってないよ」
「うぐぅ。しょ、しょうがないにゃあ」
カラカラとドアが開かれ、バスタオルに包まったマヨが顔を覗かせる。
「恥ずかしいから電気消してもいい?」
「あ、ああ。構わないけど」
なんか言い方がいかがわしくない? そんなことない?
結局更衣室の照明まで消されてしまい、男湯は真っ暗闇に包まれた。高窓から差し込む月の光が、辛うじてマヨのシルエットを浮かび上がらせている。
「えへへ。改めまして、本日担当のマヨで~すっ♡」
「ノリノリじゃん」
不本意ながら、俺の鼓動は少しばかり早まっていた。
というのも、髪を下ろしたマヨは悔しいことに結構可愛く、しかも際どいタオル姿が理性をぐらぐらと揺さぶってくる。
落ち着け俺。こいつは男だ。対象外だ。
「…………」
鼻の下まで湯に浸かりながら、身体を洗うマヨの方をちらちらと覗う。大事な部分は泡に隠れていて、俺の角度からだと確認できない。
「……一応訊くけど、ホントに男だよね?」
「えーっ♡」
マヨは待っていたとばかりに振り向いて、小悪魔めいた笑みを作った。
「あれれぇ? もしもしお兄さーん? ひょっとして興奮しちゃったんですかぁー?」
「い、いや、そういうわけでは」
なんてやりとりをしていた時だ。
「はじめてのおふろ。たのしみ」
突然更衣室の照明が点き、俺の心臓はバクンと跳ね上がった。
すりガラスのドア越しに、ゲッカビジンの翼と尻尾がぼんやりと見える。
「クゥちゃんまずいよぉぉ」
「へーきへーき。お風呂なんてどこも同じなんだから。シャワーと湯舟、そんだけよ」
ヒヨノとクゥネルカの声。俺とマヨは顔を見合わせた。
「だいたい照明が消えてるってことは、男子はみんな撤退した後ってことでしょ?」
「でもやっぱり男湯に勝手に入るのはマナー違反なんじゃ……」
「女湯で大勢に裸見られたくないって言い出したのはヒヨノじゃない」
「う、うん。手首の傷のこと、出来れば隠しておきたいから」
「まあうちは合理主義だから空いてる方がいいけどね。リリアもそうでしょ?」
どうやらリリアまで一緒らしい。
「ふふっ、そうね。まあ私は混浴でも構わないのだけど」
「それはさすがにまずくない?」
「そうだよ。男の子たち、勃起が収まらなくなっちゃうよぉ」
「ちょい待て言い方ぁ!」
た、大変なことになったぞ。
泡に包まれたままのマヨが大慌てで湯舟に飛び込んでくる。
「ど、どうしようコトラ。隠れないとマズいやつだよ」
「隠れてもマズいやつだろ、これ」
どうするどうする……?
今風呂から出るのは悪手だ。
更衣室に駆け込めば、それこそ着替えのさなかに吶喊する羽目になる。
しかしこのまま待機していても鉢合わせるのは確実だ。
向こうがタオルを巻いて入ってくるとも限らない。風呂場に死角なんてあるわけもなく、湯舟の中に潜水する以外に隠れる場所なんて――。
「あっ……だめっ、コトラだめ、っ!」
突然のマヨの大声にギョッと目を見張る。
「は、入っちゃう、っ……入って来ちゃうぅ……っ!」
「ば、バカ、お前変な声出すなって!」
急になにを思ったのか、マヨは妙に生々しい声で喘ぎ始めやがった。
「あっ、あっ……やっ……あ、んっ……は、激し、っ……」
「んんんんん!!?!?!???!?」
俺じゃないよ! 俺なにもしてませんよ!?
「やめろマヨ! みんなに聞こえちゃうだろ!」
「ふぅ、うっ……で、でもっ……こ、声……っ、声抑えられないよ、ぉ……っ」
「おーい嘘だろ勘弁してくれ」
マヨの考えが全く読めず、俺は頭を抱えた。
こうなったら賭けだ。今ならまだ間に合うかもしれない。
ヒヨノたちが服を脱ぎ始めていないことを願い、俺はマヨの腕を掴んで立ち上がった。
「ほら、マヨ。早く腰上げろ。もう出るぞ!」
「ふぇ? 出るの? 出ちゃうの?」
「ふざけてる場合か! もう行かないとやばいって!」
「もう無理? もうイくの? えへへ、いいよっ♡ そのまま、そのままイって♡」
チョットォォォォォオオオオ!? こいつホントになに言ってんだ!?!?!?
――――ガラガラッ。
「「…………あ」」
ドアの隙間から覗くクゥネルカのジト目に、俺とマヨは全裸のままで固まった。
「……ごめん。邪魔したわ。ごゆっくり」
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寄宿舎もマヨと同じ部屋になった。
「入学初日からなんてザマだ」
風呂を出てから30分以上経つというのに、顔の火照りが一向に退かない。
「にひひ~。さすがのボクも興奮しちゃった~♡」
「危うく俺の学園生活が終わるところだったわ」
あれから女性陣の誤解を解くのに結構な時間を費やした。
なんとか納得してもらえたようだったが、こちらの恥ずかしさまでもが払拭されたわけではない。実際クゥネルカには、裸で絡み合う姿を見られているわけだし……。
「ってかよく考えたらさ、別に隠れる必要なかったよな。俺たちはただ風呂に入っていただけで、悪いのは男湯に踏み込んできたあっちなんだから」
「普通はお風呂に入る時に電気消したりしないんだが~」
「確かに」
お前のせいじゃん。全面的にマヨのせいじゃん。
言い争う気力は残っていないので、最後の力を振り絞って二段ベッドをよじ登る。
毛布を掛けた途端、意識がぐらりと揺らいだ。
しかしタイミング悪く、どこからか賑やかな声が聞こえてくる。
「夜中だってのにテンション高いなぁ」
「ボクが見てくるよ」
確認に赴こうとしたマヨだが、声が段々と近付いて来たためドアの前で立ち止まった。
周囲は静まり返っており、耳を澄まさずとも両者の言葉は聞き取れた。
「なんでついてくるの」
「あなたがお部屋に戻らないからです」
「かえるところなのに」
「リリアさんと相部屋のはずでしょう。そこはコトラさんとマヨさんのお部屋です」
「ほら、あってた」
「少しは先生のお話を聞いてくださいね?」
「いっしょにねるの。あっ、はなして。しっぽつかまないで」
「いけませーん。お利口さんだから帰りますよーっ」
「あ、あぁーっ!」
ズルズルズルズルーッ……。
「……ゲッカビジン?」
と、プリムラ先生。
さすがのドラゴノイドも先生相手には敵わなかったらしい。
「聞かなかったことにしよっかぁ」
マヨは照明のスイッチを消した。
「ボクが寝てる間に襲っちゃダメだからね?」
「んな真似するか」
「じゃ、おやすみ、コトラ」
「ああ。おやすみー」
新生活の不安もどこかに忘れ、俺は深い眠りについた。