第32話 浄化
表紙:滝沢ユーイ様
「ねえ、あなたどういうつもり? シャルロット様に危害を加えるだなんて……」
サシャはその華奢な体にも関わらず、一回り大きい地の精霊を締め上げていた。
「私ではない! 水の大精霊様が……!」
「オリアンヌを目覚めさせたのはあなたでしょう? どういうつもりでそんなことをしたのかしら?」
サシャは静かに怒っていた。今まで何度か叱られたことはあったが、その比ではないほどの怒っている。
「地の大精霊……グラシアン様のためだ!」
「グラシアン……? なぜあの者のために水の大精霊を目覚めさせる必要が?」
「もう一度会いたいとおっしゃっていたからだ!」
その言葉にサシャは大きく目を開く。そして、肩を揺らして笑った。
「……ふふふ。愚かなことを。もうオリアンヌはこの世にはいない。あれはあの子の一部……エレメントが暴走しているだけよ」
「だが、ああやって実態を保って……」
「実態が保っていても、自我が保たれていないじゃない。あんなの、オリアンヌじゃない。目を覚ましなさい」
ピシャリと言われ、地の精霊は口をつぐむ。サシャは投げ捨てるように精霊から手を放すとこちらを向いた。
「サシャ……」
シャルロットが声をかければ、彼女は驚いた表情でこちらに駆け寄ってきた。
「シャルロット様……! よかった。ご無事だったのですね」
「そうなの。……お母様が助けてくれたわ」
その言葉にサシャは大きく目を開いた。
「……オリアンヌにお会いになられたのですか」
「お母様はとても温かい人だったのね」
サシャはその言葉を聞いて、目を細める。
「……ええ、とても。誰かのものになるのは惜しいほどに……優しい子だった」
サシャはそう言って、水の大精霊の方へ目を向けた。
黒い靄を発し、うめいているその人は、さきほどまで会ったその人とはまるで違う。
「おそらく、あれはあの子の悲しみが生み出したもの。これ以上苦しまないように、浄化してあげないと……」
シャルロットは立ち上がる。そしてサシャと視線を合わせた。
「サシャ、あのね。私、お母様に力をもらったの。とても温かくて優しいもの。これの使い方を教えてくれる?」
胸元の指輪を見せる。それは青色に輝いていた。
それを見て、サシャは優しい表情をするとうなずく。
「そうですね。オリアンヌにも手伝ってもらいましょう。それと……」
サシャはシャルロットの胸元を指さした。
「セヴランにも手伝ってもらいましょう。力を借りれるんですよね?」
「どうやるの?」
「精霊石に祈るのです。力を貸してほしいと」
シャルロットはうなずいて、胸元に手を当てた。
「火の大精霊セヴラン。……どうか我に力をお貸しください」
そう祈れば、胸元の首飾りがふわりと浮かぶ。それは火の大精霊からもらった精霊石だった。精霊石からエレメントが発せられる。大量の赤色のエレメントが集まっていき、それは次第に人の形になった。
「やっと呼んでくれたな」
セヴランは以前と変わらない姿で現れた。
「状況はわかっている。そこにいるオリアンヌのこともな」
シャルロットにニヤッと笑ったあと、彼は地の精霊に目を向けた。
「お前が例の地の精霊か」
「火の大精霊だと……。どうしてここに……」
動揺している地の精霊に対し、セヴランは鼻で笑って指示する。
「グラシアンを呼べ。お前のような下っ端でもそれくらいはできるはずだ」
「は、はい……っ」
自分より格上の大精霊に睨まれ、地の精霊は身を縮こまって地に手を向けた。彼の手元にエレメントが集まっていく。
「地の大精霊グラシアン様。どうか我の声に応えてください」
エレメントが地面へ向かって放たれる。地面を明るい光が包み込み、そこからきらきらとした金色のエレメントが雪のようにふわりと舞いあがる。
エレメントが集まっていき、人のような影が現れた。
「グラシアン様……」
地の精霊が肩を震わせる。地面にひれ伏すように頭を下げた。
現れたのは金色の髪をした綺麗な男性のような風貌をした者。切れ長の瞳で周りを見渡す。水の大精霊堂で悲しんでいるオリアンヌに目を向けると、目を伏せた。そして、地の精霊をギロリと睨む。
「これはどういうことだ」
地の精霊は身をビクリと震わせた。
「私はあなたのために……」
「私がいつ頼んだというのだ」
グラシアンは握り締めた拳を震わせる。怒りに帯びた瞳を地の精霊に向けていた。
「ですが、あなたはもう一度、水の大精霊にお会いしたかったのでしょう?」
「オリアンヌをこのような姿にして喜ぶと思っているのか」
その言葉に地の精霊は視線を下げる。それを見ると、グラシアンは息を吐いてこちらを見た。
「巻き込んでしまって、すまなかった」
彼の言葉にサシャが鼻を鳴らす。
「まったくだわ。グラシアン、力を貸しなさい。それがあなたにできることよ」
グラシアンはサシャを見た。奇妙なものを見るような目で彼女を見下ろす。
「何だ、この人間は」
「あら、私のことがわからないの?」
サシャは怯えることなくグラシアンを見上げる。その様子にグラシアンは眉を上げた。
「その物言い……お前、シルヴィエか?」
「あら、今ごろ気づいたの?」
肯定する様子に様子を見ていたセヴランが驚いた様子でサシャの方へ近づいた。
「シルヴィエ! そんなところにいたのか!」
「この程度も気づけないなんて、あなたたちの力も落ちたものね」
サシャはオリアンヌの方に目を向ける。そして、目を細めた。
「グラシアン。あなたの精霊のせいで、オリアンヌはあんな姿になったの。もちろん、手を貸してくれるわよね?」
「わかっている」
彼はそう言うと、人差し指で宙を指す。金色のエレメントが集まっていき、石の形になる。それをシャルロットの方に差し出した。
「これを使え。この石を経由して、私の力を使えるはずだ」
シャルロットは金色に輝く石を両手で受け取った。サシャがこちらに手を差し出した。
「昔、この国の聖女と呼ばれた者が行なった儀式を行います。大精霊の力を借りて、すべてを浄化します。シャルロット様、できますか?」
「どうして、私が?」
大精霊が集まっているのだ。彼らが力を合わせた方が早いだろう。そう思っているとサシャが眉を下げた。
「精霊は魂を用いて力を使います。使いすぎてしまえば、魂をすり減らしてしまうのです。だから、人間と契約して、彼らの力を借りるのです」
サシャはシャルロットの手に触れる。
「あなたは半分人間で、半分は精霊です。両方の力を持ったあなたはきっと力を上手く使うことができるでしょう」
半分が精霊。その感覚はない。だが、以前使った水の力はとても強かった。自分に精霊の力も使えるのなら……この場を救えるのは自分しかいない。
「……シャルロット様、覚悟はできましたか?」
シャルロットはうなずいて、手を重ねる。
「任せて」
サシャはにこりと笑うと、手を引いた。彼女が両手を開くと、その姿が変わった。きっちりと三つ編みに結ばれていた髪はほどけてゆき、緑に色を変えた。侍女の給仕服から、ほかの大精霊たちと同じような異邦人のような服装へと変わる。少し発光した体で、サシャは笑みを浮かべる。
彼女が指先を動かせば、足元にふわりと風が起こる。その風は強くなっていき、シャルロットの体を持ち上げた。
「わ……」
「大丈夫です。その風は私のエレメント。シャルロット様を傷つけるようなものではありません……私を信じて」
サシャの手から離れていき、ゆっくりと空へ浮かんでいく。
「シャルロット様。これは私の石です」
緑色をした石がシャルロットの手元に届く。それを握り締める。
「あなたならきっと……大丈夫ですよ」
シャルロットの体は緑色のエレメントに導かれ、時計塔の方へと向かった。
月を背にシャルロットは飛んでいた。
高く飛び上がると、黒い靄が街中に広がっているのがわかる。リュシアンのように倒れている人までいた。
『シャルロット様、聞こえますか?』
緑の石が光を持ち、そこからサシャの声が聞こえる。
「ええ、聞こえるわ」
『今から言うことを復唱してください。大精霊の力を使うために必要な呪文なのです』
「わかったわ」
大きく息を吸う。そして、街全体を見下ろした。
「私を導くエレメントよ。その力を私のもとへ」
サシャの言葉に続いて呪文を唱える。言葉を紡ぐと、エレメントが反応し、自分の周りに集まってきた。その様子は煌めく星々が集まってきたように美しい。エレメントはまたたくと、ふわりと広がった。
「火の大精霊、セヴラン」
「地の大精霊、グラシアン」
「風の大精霊、シルヴィエ」
「そして、水の大精霊、オリアンヌ」
「エレメントをともに鳴らし、聖なる力で満たせ」
温かいものが体に満ちる。体が青色に光を帯びた。髪が青くなり、風でふわりと浮かぶ。
「これは……」
『シャルロット様の本当のお姿ですよ……さあ、その力を思う存分使って』
胸元で祈るように手を組むと、いろんな色のエレメントが溢れ出た。右手を動かせば、エレメントが舞うように動き出す。踊るように手を振りかざし、両手を広げれば、エレメントが街中に広がっていく。
街は光が灯るように明るくなった。エレメントが通ると、黒い靄は消えていく。澄んだ空気が流れていき、息がしやすくなった。倒れていた人たちは意識が戻り、起き上がっていくのが見えた。
エレメントは水の大精霊堂の付近に辿り着いた。黒い靄をかき消すようにエレメントが通っていく。
「空が……」
曇っていた空はゆっくりと光が落ちてくる。雲の隙間からは青い空が現れた。眩しい日差しに目を細めていると、周りのエレメントたちがゆらゆらと揺れた。
緑色のエレメントたちはゆっくりとシャルロットを下へ下ろしてくれる。地面に近づいていくと、大精霊たちが迎えてくれた。
サシャは優しい表情を浮かべると、スカートを広げて腰を落とした。
「おかえりなさいませ、シャルロット様」
「サシャ。私、上手くやれたかな」
そう言うと、彼女は強くうなずいてくれる。
「はい。きっとオリアンヌも喜んでくれているはずですよ」
大精霊堂の方に目を向ければ、そこには綺麗な女性が立っていた。……オリアンヌだ。
「……シャルロット。ありがとう」
オリアンヌは優しく微笑む。そして、その体は光の粒になって、さらさらと消えていった。
東の方から朝日が見えている。
浄化がされたからか、呪いで倒れていた者たちは次第に目を覚ました。
だが、呪いを二回受けたリュシアンはなかなか目を覚まさなかった。