第29話 サシャ
夢を見てもいいならば、私の大切な人が幸せになれる世界になってほしい。
そんな途方もないことを、毎日のように祈っている。
オリアンヌはまるで頭の中がお花畑のような子だった。
突飛なことを考えては行動し、誰かに迷惑をかける。けれど、周りもそれを仕方ないと受け入れるような、そんな風に好かれる子だった。
「私、愛する人ができたの」
オリアンヌがそう報告してきたのは十数年前。彼女は人の姿になり、人の子を身ごもった。正直、呆れた。だけど、お花畑のあの子は笑顔で言った。
「私の子もシルヴィエに愛してほしいの」
自分が愛されていると信じて疑わないような言葉。だけど、事実だから否定ができなかった。
「あなた以上に愛せる誰かなんて、できるわけないわ」
そう言ってやったら、オリアンヌはくすくすと笑った。
「そう言ってくれるのは嬉しい。でも、信じてるの。きっと、あなたはこの子を愛してくれる」
オリアンヌは大きくなったお腹を撫でて、花のように笑う。
そんな彼女が子を産んだあと、自ら命を絶つような真似をするだなんて、そのときは考えもしなかった。
オリアンヌの産んだ子は可愛らしい女の子だった。幼いころから両親を失ってしまった可哀想な子。……笑った顔がオリアンヌによく似た可愛らしい子。
「シャルロット様。あなたは両親に愛されて生まれたのですよ。私もあなたのことを愛しています。だから……」
オリアンヌの愛した子ならば、ずっと守り愛し続けようと思った。
たとえ、人の姿をしていなくても、醜い姿だったとしても……そして、別人になってしまったとしても。
表紙:滝沢ユーイ様
夢を見た。それは昨日見たものとは違う。
サシャの首飾りを身に着けた自分が、地の精霊によって告発されるものだ。
「その首飾りは水の大精霊オリアンヌ様そのもの。彼女は今、その首飾りの石になっておられるのです」
地の精霊の発言したものは実際に発せられたものと同じだった。だが、それを向けられているのはシャルロットだった。
シャルロットは衛兵に捕らえられてしまい、地下に閉じ込められてしまう。
「私は何も知らないの!」
そう叫んだところで、信じてくれる人は誰もいなかった。
首飾りは精霊によって取られてしまった。しばらくして城は大騒ぎになる。その中に封印されていたものが解放されてしまったからだ。
「お前、水の大精霊様に何をした!?」
そう問われても、何もわからなかった。聞けば、封印を解かれた水の大精霊の悲しみは呪いとなり、国中に広がって病となったという。
病を流行させてしまった罪で、シャルロットの家は追われてしまうことになった。
「私たちは何も知らない! 知らないのに……!」
その声は誰にも届かないかと思った。
「――大丈夫ですよ、シャルロット様」
閉じ込められたシャルロットの前に現れた少女。彼女はシャルロットに手を差し出した。
「私がシャルロット様の望みを叶えます」
助けてくれたのは、サシャだった。
目を覚ませば、見慣れた部屋にいた。自分の部屋だ。シャルロットはゆっくりと起き上がり、近くにいた侍女に声をかける。
「おはよう。ねえ、状況を説明してくれる?」
「シャルロット様……お目覚めになったのですね」
侍女は顔を真っ青にしていた。寝ていないのか、目元にクマがある。
「水の大精霊を封印した罪で、今は女王の監視のもと、軟禁状態になっているのです。どうしてこんなことに……」
サシャが持っていた首飾りは、水の大精霊を封印した石だったという。サシャはそれを隠していた。
……どうして、サシャがそんなものを。
シャルロットは支度を終えると、居間へ顔を出した。家族がみんな集まっているにも関わらず、部屋は静かだった。
「お父様……」
声をかけると、セドリックはホッとした表情を浮かべる。
「シャルロット、目を覚ましたのか。突然気を失ったから、驚いたよ」
「今はどういう状況ですか?」
「女王様の判断を待っているところだよ。罪を犯したのはサシャだ。それに私たちが関わっていたのか……。自分たちは何も知らなかったと伝えたが、シャルロットも何も聞いていなかったんだよね?」
「はい。サシャがあの首飾りを大切にしているのは知っていました。ですが、それが何だったのかまでは聞いておりません」
「そうか」
セドリックは考え込むように視線を下げる。シャルロットは椅子に座り、お茶の用意をお願いしようとした。けれど、そこにはサシャがいない。
「……私は気づけばそばにサシャがいました。サシャはどのようにしてうちで働くようになったのですか?」
シャルロットが尋ねると、彼は暗い顔のまま答えてくれる。
「彼女はアルベリク兄様が亡くなったあと、すぐに来たんだ。シャルロットの世話がしたいと。……オレリア義姉様の知り合いだと言っていたよ」
「オレリア義姉様……?」
「君の母親だ」
……母親。話題には何度か上がっていたが、名前を聞いたのははじめてだった。
「オレリア母様とサシャはどのような関係だったのでしょうか」
「すごくお世話になったと言っていたよ。それ以上のことはあまり知らないんだ」
サシャは当たり前のようにそばにいた。彼女のことをあまり知らなかったことを突き付けられたような気がした。
「シャルロット。私たちの疑いはまだ晴れたわけじゃない。だから、何もせずに大人しくしているように」
「……はい」
そう返事はしたが、シャルロットの頭の中はサシャのことでいっぱいだった。
シャルロットはお茶を飲んだあと、自室に戻った。ベッドに腰を下ろし、息を吐く。
サシャに裏切られたという気持ちはなかった。彼女にはきっと理由があったのだろうと思う。
夢の中……前のシャルロットが過ごしたであろう世界でも、サシャは助けてくれたのだから。
だが、もしあの夢の通りに進むのなら、首飾りの封印が解かれる。そのとき……この世界に病が降り注ぐ。
それを防ぐことはできるだろうか。
「――辛気臭い顔をしてますねぇ」
窓を見ると、火の精霊デオダが立っていた。彼は目を細めてこちらを見ている。
「どうしてここに?」
「様子を見てくるように言われたんですよ。坊ちゃんに」
彼の言う坊ちゃんというのはリュシアンのことだろう。どうして彼がデオダを仕向けてくれたのだろうか。
「坊ちゃんはあなたのことが気にかかるんでしょうね。わざわざ私を来させるなんて……」
「そう、なの……」
リュシアンが心配してくれている。その事実が上手く呑み込めずにいた。彼を裏切ってしまった。それなのに、心配してくれるのは今までの情なのか、それとも『シャルロット』に対しての愛情なのか。
デオダは観察するようにこちらをじっと見ている。その彼にシャルロットは問いかけた。
「……ねえ、私をここから連れ出すことはできる?」
「はい?」
デオダは楽しそうに口元を緩ませた。
「何か訳ありで?」
「防ぎたいことがあるの。そのためにここから出たい。力を貸して」
「ここから出て大丈夫なのですか?」
「大丈夫じゃないわ。でも、出たいの」
今は女王の監視下にある。ここから逃げ出そうものなら、罪が重くなるだけだ。
……けれど、多くの人が病に苦しむことになるくらいなら。
シャルロットはまっすぐデオダを見る。デオダは楽しそうに笑みを浮かべると、肩を揺らして「クククッ」と笑う。
「ああ、あなたは面白いですねぇ。飽きなくていい。……いいですよ、抜け出しますか?」
「でも、ここで逃げるのを手伝ったら、あなたもただでは済まないわ。それでもいいの?」
その言葉に、彼はニヤリと笑った。
「何言ってるんですかい。私は精霊の身。人間の法律なんて知ったこっちゃないんですよ」
彼は中に入ると、膝を折り、恭しく頭を下げる。
「そんなに心配なら、あなたの代わりに精霊を置きましょう。あなたの姿でここに座っていればよいんでしょう?」
「そんなことまでできるの?」
「私は火の大精霊の部下ですからね。いうことを聞く精霊くらいいますよ」
彼は膝を付き、こちらに手を差し出す。
「一緒におでかけしましょう、お嬢様。あなたの行きたいところに連れていきましょう」
シャルロットはその手を取る。
「じゃあ、向かいましょう。……水の大精霊堂まで」