第28話 解消
次の日、シャルロットはリュシアンを呼び出した。お茶室に呼んで、サシャ以外の人は排した。
「大事な話があるの」
シャルロットの真剣な表情を見て、リュシアンも表情を引き締めていた。
「どんな話だろう」
「……やっぱり、私は思ったの。だから、あなたに伝えなきゃいけない」
リュシアンとまっすぐ向き合う。ぎゅっとスカートを握り締めて、はっきりと伝えた。
「あなたの記憶にいた私は私じゃない」
リュシアンは不可解そうな顔をする。
「どういうこと?」
「私はあなたに殺されたシャルロットじゃないわ」
「リュシアンは隠すことなく私に本当のことを教えてくれた。だから、私もちゃんと話さなきゃ不公平だと思う。だから、全部話させてほしい」
リュシアンは真剣な表情でこちらを見ている。シャルロットは深呼吸をすると、ゆっくりと話しはじめた。
「私は一度、殺されてる。でも、それはあなたに殺されたわけじゃない……正確に言えば、殺されたのはシャルロットでもないの」
「どういうこと?」
「私が殺されたのは、シャルロットになる前……ここじゃない別の世界で殺されたの」
リュシアンはよく理解できないという顔をしている。それを見て、シャルロットは小さく笑った。
「私は前の世界で殺されて死んだ。そして、シャルロットになった。だから、たぶん彼女が死んで、時が巻き戻ったあとにこの世界に来たの。だから、あなたが殺したシャルロットは私じゃないと思うの」
リュシアンは自分の頭をおさえると首を横に振った。
「ちょっと待って。どういうこと? 君の言うことが本当だとしよう。君は前世で殺されて、この世界に来た。そうだとしても、俺が殺したのが君じゃないということにはならないだろ? どうして時が巻き戻る前のシャルロットが君じゃないと言えるんだ?」
「私は殺されたの。だから、次は死にたくないと思った。そのためにいろいろと動いている私が、たとえあなただとしても簡単に殺されようとは思わない。どうにかして生きる方法を考えるわ」
紫音は志半ばで亡くなった。まだまだやりたいことはたくさんあった。だから、生まれ変わってシャルロットになってからは、自分の思うように生きようとした。それをまた手放そうだなんてきっと考えないだろう。
「君は処刑される運命だった。それでも君は抗うのかい?」
「抗うわ」
シャルロットは言い切る。
「私の命は私のもの。誰にだって奪われてたまるものか」
胸元で手を強く握る。一度奪われてしまったもの。それを誰かに渡したりしない。たとえ、それがリュシアンだったとしても。
リュシアンは唇を噛む。そして目を伏せた。
「……じゃあ、君は本当にシャルロットじゃないのかい?」
「私はシャルロットよ。それは変わらない。でも、あなたと過去を共有したシャルロットじゃない。おそらく……その子が本当のシャルロットなんだと思う。その子が死んだから、私がこの体の持ち主になった」
「……そうか」
彼の瞳の熱がなくなっていく。今までこちらを見ていた優しい瞳が、冷たいもののように感じられた。
「じゃあ、俺が君に償いをしても意味がないってことだ」
「そういうことになるね」
「…………」
彼は黙り込むと何かを考えるように視線を下げた。そして、こちらを見たときには決意を秘めた瞳をしていた。
「君が死を回避したいのなら、一番良い方法を知っている」
彼は立ち上がるとまっすぐとこちらを見た。
「婚約を解消してしまおう。そうすれば、俺が婚約者としてけじめを果たすことはなくなる……君は俺に殺されなくて済む」
シャルロットはゆっくりと息を飲みこむ。そうしなければ、涙がこぼれ出そうだったからだ。
「……あなたの大切にしているシャルロットが私じゃないってわかった時点で覚悟してた」
シャルロットも立ち上がり、彼の方に手を差し出した。
「受け入れるよ」
彼はそっとこちらに手を差し出して、シャルロットの手を握る。
「あとこれ……」
シャルロットは指にはめられていた指輪をそっと抜き取る。
「約束をするべき相手は、もう一人のシャルロットだったんでしょ?……返すわ」
彼は少し傷ついた顔をした。けれど、うなずいてその指輪を受け取る。
「……そうだね」
リュシアンは強く指輪を握りしめる。
「……精霊祭の間は婚約者として振る舞おう。都市にいる間に婚約解消の話題が上がったら、君も居心地が悪いだろう?」
「……うん、ありがとう」
「親たちには俺から説明をする」
彼はそう言うとこちらを見た。
「……俺の茶番に付き合わせて悪かった」
彼はそう言うと、その場を立ち去った。
部屋にはシャルロットとサシャだけが残った。
彼との繋がりがなくなることが決まり、心にぽっかり穴があいたような感覚がする。
出会ったころからリュシアンは優しかった。けれど、彼が大切に思っていたのは自分じゃない。
ボロボロと涙が零れ出る。拭っても拭っても、涙は止まらない。
「……ああ、そっか」
リュシアンに恋をしていたんだ。彼がもう一人のシャルロットに向けていた眼差しに惹かれ……恋に落ちていたんだ。
「今さら気づいても、仕方ないのに」
これ以上、涙は流したくなかった。上を向いて、サシャに声をかける。
「サシャ。私は正しいことをしたよね?」
サシャはシャルロットの言葉にうなずく。
「シャルロット様は誠実に対応をされました」
「今の話を聞いてもサシャは一緒にいてくれるの?」
「あなたが何者でも、おそばにいますよ」
「……サシャはどうしてそこまでしてくれるの?」
サシャは目を細めて笑みを浮かべる。その瞳は優しく、慈愛に満ちたものだった。
「私にとって、シャルロット様が特別な存在だからですよ」
「どうして特別なの?」
サシャは口元に人差し指を添えると笑みを浮かべた。
「秘密です」
そう言って、サシャはシャルロットの前に跪く。
「シャルロット様。あなたにも特別な人がいると思います。私はその人とあなたが幸せになれたらと祈っておりますよ」
精霊祭の当日、サシャの手によって、シャルロットは綺麗に着飾った。この綺麗な恰好で、リュシアンとの最後の夜会の参加となる。
まだお互いの両親には話していない。この夜会が終わってから、話をするのだろう。
玄関に向かうと、リュシアンが待っていてくれた。彼は少し躊躇うように視線を逸らしたが、すぐにこちらに向き合ってくれる。
「行こうか」
会場までの足取りは重かった。だが、馬車に乗ってしまえば、勝手に会場まで着いてしまう。……これが終われば、リュシアンとも婚約者でなくなる。
そっと彼の横顔を盗み見た。こちらを見る様子はない。ただ前だけを見ている。
「これが俺たちにとって最後の夜会だ。だから……」
彼は少し視線を下げる。
「……少しくらい、楽しもう」
リュシアンがこちらを見る。彼は頬を緩めると、優しく微笑んだ。
……ああ、ずるい。
シャルロットは心の中で思った。
こんなに優しい笑顔を向けられたら……嫌いになれない。
リュシアンは会場の中をエスコートしてくれる。彼の隣に立つのはこれが最後だと思うと……どうしようもなく寂しくなった。
会場には友人たちも既に到着していた。彼らはこちらに気づくと手を振ってくれる。シャルロットも振り返して、笑顔を作った。
リュシアンの隣で、友人たちと楽しそうに過ごす。それを彼が望むなら、その通りに過ごそうと思った。
「フェリクスは?」
「まだ来てないの。どうしたのかしら?」
いつもなら、こういう祭りは誰よりも楽しみにしていた。早くに来て、みんなを迎えるくらいの勢いだった。そんなフェリクスがまだ来ていない。
後ろに控えていたサシャの方を向く。
「サシャ、何か聞いてる?」
「いえ、私は何も聞いておりませんよ」
「どうしたんだろう……」
家でまた何か起きたのではないかと不安になる。シャルロットはあたりを見渡しながら少し歩いた。国中の貴族が集まっているため、人が多い。この中からフェリクスを見つけるのは難しいかもしれない。そんなことを考えていると、少し遠くにフェリクスの姿を見つけた。そちらの方を指さして、友人たちの方に振り向く、
「あそこにいるよ。私、声かけに行ってくる」
そう言って、動き出そうとしたとき、ざわめきが聞こえた。
動揺というのがふさわしいほどのどよめき。会場にいる人たちはある一点を見つめていた。
「……どうしてここに精霊が」
彼らの視線の先にはたくさんのエレメントがあふれていた。その中心に立つのは、人の姿をしながらも、この国の人たちとは違う服装。何より、わずかに発光した体は人のものとは違った。金色に光っているということは、地の精霊だろうか。
精霊は周りを見渡すように視線を動かした。そして、その視線がこちらを向いて止まる。
「私はある者を探しに来た」
精霊はこちらに手を向ける。その手をクイッと上にあげた。
……サシャの首元が光った。ゆっくりと彼女の胸元から首飾りが出てくる。それは宙へと浮いていた。
「その首飾りは水の大精霊オリアンヌ様そのもの。彼女は今、その首飾りの石になっておられるのです」
その言葉に周りの人々は騒がしくなる。サシャだけが睨むようにしてその水の精霊を見ていた。
「愚かなことを……」
サシャはぽつりとそう零した。
「そこの人間を捕らえよ」
精霊の言葉に従い、衛兵がサシャを取り押さえる。サシャは抵抗することなく捕まった。
「サシャ……!」
シャルロットが駆け寄ろうとすると、彼女は手で制した。そして何でもないというようにニコリと微笑む。
「大丈夫ですよ、シャルロット様。私は大丈夫」
サシャがこちらに手を伸ばす。その指先から緑色のエレメントが飛び出した。そのエレメントがシャルロットの額に触れる。
「シャルロット様。私のことは気にせず……ご自分のことだけを考えてください」
サシャの言葉が遠くに聞こえた。目の前が次第に霞んでいく。
「サシャ……」
気づけば、シャルロットは意識を失っていた。