第26話 夢の話
朝になると、フェリクスは当たり前のように食卓に座っていた。
「おはよう、フェリクス」
彼の目元は少し腫れていた。泣いていたのだろうか。
けれども、彼はそんな素振りもせずに、にこにこと笑っている。
「シャルロットの家、都市に来ると少し食事の内容変わるんだよなぁ。楽しみだなぁ」
フェリクスは「ねー?」とカミーユに同意を求めている。カミーユはフェリクスに気を遣って同じ調子で返してくれている。
食事を取ると、フェリクスは荷物をまとめて家を出た。次はリュシアンの家に遊びに行くらしい。
「リュシアンにあまり迷惑かけちゃだめだよ」
「シャルロットがお嫁に行く家なら、僕の家みたいなもんじゃない?」
「僕の家みたいなもんじゃないよ」
フェリクスは話も聞かず、早々にリュシアンの家に出かけて行った。シャルロットは手を振って彼を見送る。
一緒に見送っていたセドリックはベルナールに連絡を入れておいてくれるようだった。まるでフェリクスが一番手のかかる子どものようだった。
日も暮れて、あたりが暗くなってくるころに、リュシアンがシャルロットの家に訪れた。フェリクスが家に遊びに来て、色々と話をしてくれたという。
「フェリクスは?」
「元気そうにしているよ。今は家にいる犬と遊んで、疲れて眠ってる」
「フェリクス、小さな子どもみたい」
シャルロットが頬を膨らませると、リュシアンはくすりと笑う。そして、真剣な表情を浮かべた。
「ねぇ、シャルロット。君はフェリクスについてどう考えている?」
「エルネスト様との仲が良くなればいいけど……」
「そうじゃなくて……。フェリクスのことをどう思ってる?」
「え?」
リュシアンはまっすぐこちらを見る。
「告白されたのだろう?」
彼の瞳には熱が帯びていた。その視線が落ち着かなくて、シャルロットは顔を下げる。
「……わかんないよ。ずっと家族同然のように思っていたんだから」
フェリクスが大切に思ってくれていたことは嬉しかった。だが、ずっと兄妹のように過ごしてきた。今さらその気持ちを変えることはできない。
それに、予知夢では、フェリクスとどうにかなる未来を視ていない。もし、彼の気持ちに応えたとしたら、また未来が変わってしまうかもしれない。
「シャルロット、君は……」
リュシアンは何かを請うようにこちらを見た。けれど視線を下げて、小さく息を吐く。
「……フェリクスの思いを受け入れたい?」
その言葉にすぐ首を振った。
「簡単に受け入れられないよ。だって、その行動も未来を変えてしまうかもしれないから」
「どういうこと?」
「……リュシアン、もしもの話だよ? 未来はもう既に決まっているのに、それに抵抗して、未来を変えようとする人がいたら、どう思う?」
シャルロットは自分の手元に視線を落とす。
夢の話は何度かリュシアンにしてきた。彼はそれを信じてくれた。だから、今回も真剣に話を聞いてくれると思った。
「……前に言っていた夢の話かな?」
「そう。私はずっと夢を見ている。それは未来に起きることを教えてくれるの。でも、私はその夢に逆らおうとして生きている。……だから、未来は少しずつ変わっているの」
自分の死を回避しようとするのは悪いことじゃないと思っている。だが、それの影響を周りも受けているのだとしたら……目を逸らすわけにはいかない。
「もしも、そのせいで周りが不幸になるとしたら、私は未来に従わないといけないのかな」
「…………」
リュシアンは目を閉じていた。何かを考えるようにゆっくりと目を開く。
「……未来には従っちゃいけない。絶対に」
リュシアンにしては強めな言葉だった。
「……どうしてそう思うの?」
リュシアンは夢のことをすぐに信じてくれた。今思えば、不思議なことだ。荒唐無稽なこと、そんな簡単に信じられるはずがない。……でも、彼が何かを知っていたら?
「シャルロット。君のいう夢というのは、実際に起きたことだ。夢なんかじゃない」
「実際に起きたこと?」
「そう。実際に起きた未来。……いや、過去というのが正しいのかな」
リュシアンは視線を下げる。
「時が巻き戻されていると、セヴラン様がおしゃっていただろう? この世界は同じ時を二度繰り返している。……君の夢はきっと、そのときの記憶によるものだ」
すぐには理解できなかった。だが、過去の記憶が蘇っていたのなら、この夢にも説明がつく。
「どうして、リュシアンはそうだと思うの?」
彼は手をグッと握り締める。そして、こちらをまっすぐ見つめた。
「――俺も未来を知っていると言ったら、君は信じるだろうか」
彼は握り締めていた手を解いた。その手には婚約指輪が着けられている。
「俺はずっと悪い夢にうなされているんだ。だけど、俺は知っている。これが夢じゃないと」
リュシアンは眉を下げて優しく微笑む。それは何度も向けられてきた視線だった。
「俺と君は婚約をした。そして細々とした交流をしながら、仲を深めていった」
「そうだね?」
シャルロットがうなずくと、彼は小さく笑って話を続けた。
「君が成人した年、俺と君は結婚する予定だった。だけど、その日が来る前に病が流行するんだ。……セドリック様によって」
シャルロットは息を飲む。それはシャルロットがまだ見ていない夢の内容だった。
「病は次第に広まっていく。この病は水の大精霊によるものだとわかった。セドリック様が水の大精霊に危害を加えたために起きたことだと判断された」
水の大精霊は姿を隠しているはずだ。それにも関わらず、セドリックはどのようにして危害を加えたというのだろうか。
「どうして、お父様のせいということになったの?」
「……君が水の大精霊の精霊石を持っていたからだよ」
「私……?」
今のシャルロットは水の大精霊の精霊石など持っていない。家も水の大精霊と契約していないため、精霊石を持っていないはずだ。
「何より罪が発覚した後、君たちは何者かによって姿を隠した。誰が手を貸したかわからない。そして、俺は女王より、君たちを探し出すように命令を受けるんだ。……婚約者として、けじめをつけるようにと」
その言葉の意味はすぐに理解できた。……きっとシャルロットを殺したのは、リュシアンなのだろう。
彼は口を閉ざすとこちらを見た。
「君は、そのことを覚えているのかい?」
彼の言っていることは本当なのかわからなかった。夢は断片的でそこまで詳しいことはわからない。なのに、シャルロットが知らないことまで彼は知っている。
「……私を殺したのはリュシアンなの?」
「君が殺せと、俺に言ったんだ」
そんなことありえるはずがなかった。自分は何よりも死を恐れている。いくらリュシアンのことを大切に思っていても、ここまできて自分の命を放りだすとは思えない。
「私がそんなことを言うの?」
「君は確かに言った。殺されるなら、俺がいいと」
「……それは、本当に私なの?」
信じられなかった。だが、その状況になっていない以上、どう判断するかなんて、そのときになってみないとわからない。……だが、本当にそれは自分なのだろうか。
「君は完全には覚えていないんだね。でも、大丈夫。俺はちゃんと覚えている。いや、忘れたりしない」
彼はシャルロットの手に触れようとした。だが、指先だけ触れて、その手は離れていく。
「シャルロット。償わせてほしい。君を殺したことを」
真剣な瞳で彼はこちらを見ている。
「……ごめん、少し考えさせて」
当時の記憶がないシャルロットにはうなずくことができなかった。