第22話 精霊祭
これが夢ならば、どれだけいいと思ったことか。
「僕、精霊と契約をしたんです」
契約した日、フェリクスは一番に父親に報告をした。
「すごいじゃないか、フェリクス」
兄のマルスランはすごいと自分のことのように喜んでくれる。兄が喜んでくれて誇らしい気持ちになったが、父のエルネストは違った。
「お前が個人で契約してどうする」
精霊との契約は本来、精霊と家が行なうものだ。個人との契約がないわけではないが、その人が亡くなったら、契約は破棄されてしまう。
「でも父様、契約したこと自体はすごいことじゃないですか」
マルスランは励ますように言葉を添えてくれる。だが、エルネストは鼻で笑うだけだった。
彼は食事を終えると、すぐに食堂から出て行ってしまった。
静まり返った部屋の中で、マルスランは手を叩く。
「暗くなったって仕方ない! 父様も胸の内では褒めてくれてるはずだよ」
そんなことあるはずがない。そう思いながらも、励まそうとしてくれている兄には何も言えなかった。マルスランはフェリクスの精霊石を見てから顔を上げる。
「そうだ、フェリクス。精霊石を飾る腕飾りを手配しよう」
兄の言葉はフェリクスの耳を通り抜けていった。
生まれたころから、父親は自分のことを見てくれなかった。
三人兄弟の末っ子。跡継ぎではない自分のことを後回しにすることはわかる。だが、興味すらなさそうだった。
何かを頑張っても、「できて当然だ」と言う。反抗して何かを言っても、取り合ってくれない。そんな父親に何も期待しなくなった。
シャルロットの家は温かかった。しょっちゅう遊びに行っても、迷惑そうな顔をせず、迎え入れてくれた。シャルロットの面倒を見れば、兄妹みたいだと言ってくれた。フェリクスもシャルロットの兄のような気分になっていた。だが、彼らとは本当の家族ではない。彼女の家が自分の家だったらと思ったことは数えきれないほどだった。
何よりシャルロットは自分を受け入れてくれた。いつも一緒にいてくれて、本当の兄妹のようだった。……いや、それ以上の感情を抱いていた。いつも元気で可愛らしく、優しく楽しい女の子。彼女と結婚すれば、どれだけ幸せになれるだろうか。
いつしか、シャルロットと自分が結婚すれば、本当の家族になれるんじゃないかと思いはじめた。だから、彼女に婚約者ができたのはショックだった。
まるで、自分の居場所を取られたような気持ちだった。
リュシアンはいいやつだった。いいやつだったから、気に入らなかった。だが、いいやつだから仲良くなってしまった。
「僕の居場所はどこだろうね?」
シャルロットとリュシアンは結婚する。夫婦となってしまった二人の隙間に自分は入ることができない。
いつか手放さなければいけない居場所を、自分はただ眺めているだけでは嫌だった。
表紙:滝沢ユーイ様
叙爵式を終え、社交シーズンに行われる行事は精霊祭だけとなった。
精霊祭とは、聖女が大精霊の力を借りて、世界を救った日を祝う催しだ。都市の中は精霊祭に向けて、にぎやかになっている。
「シャルロット様、できましたよ」
サシャに言われ、シャルロットは鏡の前の自分と対面した。
いつもよりおしゃれをした。髪は複雑に結われ、服装も歩きやすいものだが、少し大人びたものになっている。……すべてはリュシアンとのデートのためだ。
「ふふふ。リュシアン様が見られたら、驚かれるでしょうね」
シャルロットは鏡の前でくるくると回って見せる。おかしなところはない。さすがサシャだ。
「もうすぐリュシアンが迎えに来ると思うから、私は外で待って……」
そう言って、今にも駆けだしそうなシャルロットの腕を掴む。
「シャルロット様、淑女は慌てるものではありません。ゆっくり、座りながらお待ちになりましょう」
そう言われ、サシャに座らされる。お茶まで出された。気持ちを落ちつかせろということだろうか。
「サシャ~、緊張するよぉ……」
素直に泣き言を言うと、サシャはくすくすと笑う。
「何かあったら、すぐに私をお呼びください。すぐに駆けつけてみせましょう」
「サシャ、心強い……! でも、それって後をつけるってこと?」
「はい。後をつけさせていただきます」
サシャは堂々と尾行宣言をする。シャルロットは肩を落としながらも、完全に二人きりになるよりはいいと、サシャの尾行を許した。
「シャルロット様、リュシアン様がいらっしゃいました」
そう声をかけられ、シャルロットはゆっくりと立ち上がる。玄関まで行けば、リュシアンが待っていた。
「ああ、シャルロット。今日は……」
彼はこちらを見て、少し息を飲む。そして頬を緩めた。
「今日は一段と可愛いね。……俺のため?」
そう問いかけられて、シャルロットは赤くなった顔を隠す。
「照れてる」
「照れるよ、もう……」
リュシアンはこちらに手を差し出す。
「綺麗なお姫様。俺と一緒にお出かけしませんか?」
シャルロットはそっと手を伸ばして、手と重ねる。リュシアンは微笑むと、シャルロットの手を引いた。
「それじゃあ、行こうか」
エスコートされて、馬車まで歩く。隣に歩く彼を手招きして顔を寄せてもらう。
「……リュシアンのためだよ」
そっと耳元にそう言うと、リュシアンは嬉しそうに顔を綻ばせた。
街の中は既にお祭りムードで、人が多くいた。精霊祭は貴族だけではなく、平民にとってもお祭りだ。たくさんの店が並び、精霊祭でしかでない商品も置かれている。
毎年来ているお祭りだが、記憶を取り戻した今見てみると、クリスマスマーケットを思わせる。キラキラとした装飾がされており、美味しそうな食べ物や可愛らしい小物などが売られている。
「わぁ、今年もすごいね……!」
シャルロットが駆けだそうとすると、リュシアンが彼女の手を引いた。
「シャルロット、すぐに迷子になりそうだね?」
「……ならないよ」
そう目を背けたのは、去年来たときにフェリクスたちとはぐれたからだ。それを黙っていると、リュシアンはシャルロットの手を繋いだ。
「手、繋いでいい?」
「……もう繋いでるよ」
リュシアンは指を絡めるように手を繋ぐ。
「シャルロットとはぐれたくないから、今日は手を繋いでいたいな」
みるみるうちにシャルロットの顔が赤くなっていく。リュシアンをまっすぐ見れないままうなずく。
「……いいよ」
「ありがとう」
リュシアンの隣を歩きながら、街の中を回っていく。いつもならば、あちこちにある店に釘付けになっているが、今日はそうもいかなかった。
……リュシアンとの距離が近い。
手を繋いでいるのだから、当然だろう。わかっていても、頭が追い付かない。シャルロットより紫音の方が年上だった。だが、男性とお付き合いしたことはなかった。こうやって男の子と二人でおでかけしたことなんて、一度もない。どう振る舞ったらいいのか……頭の中をグルグルとさせていると、リュシアンが突然笑った。
「ふふふっ」
「どうしたの?」
「……やっと、シャルロットを独り占めできるなぁと思って」
その言葉に顔が真っ赤になる。
「どうしたの、いきなり」
「だって、君はずっと友人とばかりいただろう? ……君の友人に嫉妬してたんだ」
嫉妬。そんな言葉が彼から出てくるだなんて思わず、つい目を瞬かせてしまう。
「……嫉妬してたの?」
「してた。昔の君を知っているし、付き合いも長い。それに仲もいい。羨ましくて仕方がなかったよ」
「でも、フェリクスも同じだよね?」
友人の中で誰よりもフェリクスと付き合いが長い。それに一緒にいる時間も長い。だけど、フェリクスと一緒にいて、リュシアンはそんな素振りを見せなかった。
「フェリクスには嫉妬してないよね?」
首をかしげて尋ねると、リュシアンは目を細めた。
「どうだと思う?」
彼はそう言うと、繋がれた手をぎゅっと握り締める。
「……え」
彼はにこりと笑う。その表情が肯定を表しているように見えた。
「嘘、本当に?」
「どうだろうね?」
彼はそれ以上答えてくれなかった。
リュシアンは会ったときから優しかった。こちらをいつも気遣ってくれて、自分らしく生きることを手伝ってくれると言ってくれた。婚約者とはいえ、初対面の人間にいうことではないだろう。だから、彼は誰にでも優しいのだと思っていた。
今思えば、不思議なことはたくさんあった。シャルロットが困っているときにはすぐに駆けつけて助けてくれた。幸せにするという約束を果たすために、頑張ってくれているのだろう。……そんな優しい彼に惹かれつつあるのは否定できなかった。
「……リュシアンはさ、会う前から私のこと知ってた?」
リュシアンは頬を掻くと、眉を下げて笑った。
「知らなかったって言ったら、嘘になるな。……君がどんな人なのかは知っていたよ」
リュシアンはシャルロットの手を持ち上げる。そこにはお互いに交換した指輪が着いていた。
「君は頑張り屋で明るくて……周りに弱さを見せない人だって聞いていた。だから、君にとって俺は弱さを見せられる存在になりたかったんだ」
その言葉を聞いて、シャルロットは首をかしげる。自分はそんな人だろうか。身に覚えがなかった。嫌なことは嫌と言っているし、ショックなことがあれば誰かと共有している。弱さを見せまくっているのに、誰がそんなことを言ったのだろうか。
よくわからないと首を揺らしていると、リュシアンは笑う。
「でも、今の君はとても素直で元気な人だと思うよ。……とても素敵だと思う」
肩が触れ合うほどの近い距離で、目をまっすぐ見ながらそう言われて、シャルロットは泣きそうな顔をする。
「ずるい! 顔を隠せない!」
「隠さないでよ。そのかわいい顔をもっと見せて」
シャルロットは片手で顔を隠して、顔を背ける。それを見てリュシアンはクスクスと笑った。
そんなことを話しながら歩いていると、誰かがこちらを振り返った。
「あれ、もしかしてシャルロット?」
呼びかけられて振り返ると、そこにはフェリクスによく似た男性が立っていた。
「もしかして……マルスラン兄様?」
そう問いかけると、彼は嬉しそうに笑った。