第2話 約束
「シャルロット様。お客様がお待ちですよ」
男の子とは、その場で別れた。あの場所はシャルロットの家の近くだ。だが、知らない人だった。いったい誰だったんだろうか。
ぼんやりしながら家の中に戻ると、シャルロットの侍女、サシャが待っていた。黒く長い髪をきっちりと三つ編みをし、柔らかい笑みを浮かべている。
サシャはお茶室へ歩きはじめた。そのあとを歩く。
侯爵家ということもあり、室内にはいくつもの豪華な調度品が置かれている。雇っている使用人も多く、どれだけものがあっても綺麗に保たれていた。
廊下を歩けば、仕事をしていた使用人たちが頭を下げて道を空けてくれる。シャルロットは廊下の真ん中を歩いて、進んでいった。
本当にお嬢様なんだと不思議な気持ちになる。これからは慣れなければいけない。そう思いながらできるだけ優雅に歩いた。
応接室に入ると、さきほどの会った男の子が待っていた。
「待っていたよ」
父親のセドリックが腰を上げると、男の子も一緒に腰を上げた。
「紹介するよ。彼はリュシアン。……君の婚約者だ」
その言葉で思い出す。……そういえば、婚約者が来ると話していたはずだ。
紹介された男の子……リュシアンは先ほどと同じ優しい笑みで腰を折る。
「シャルロット様。リュシアンと申します」
たしか彼は子爵家の子息だ。もうすぐ侯爵家になるため、家の格が同じになると聞いていた。
「はじめまして。……先ほどはありがとう」
シャルロットも腰を落として礼の姿勢を取る。
「君たちはもう顔見知りなのかい? なら、話は早い」
セドリックはリュシアンを見ると、優しく笑った。
「シャルロットは君のところの嫁になるんだ。敬称を外したらどうかな?」
セドリックがそう言うと、リュシアンはこちらを向く。
「シャルロットとお呼びしても?」
「もちろん。私もリュシアンって呼んでいい?」
「喜んで」
「ありがとう、リュシアン」
そう名前を口にすると、彼は眉を下げて嬉しそうに笑った。その表情があまりにも甘くて……つい視線を下げてしまう。
「リュシアンは婚約式まで家に滞在することになっている。その間に仲を深めるといい」
いつかシャルロットが嫁ぐことになるとはいえ、まだリュシアンの家の方が爵位は低い。そのため、彼が足を運び、こちらの領地で婚約式を挙げることになっていた。
セドリックは二人だけを残して部屋を出ていった。シャルロットとリュシアンは互いの顔を見合わせる。
「さっきは、私がシャルロットだとわかって、話しかけてくれたの?」
間があった。彼は少し寂しげに笑う。
「……ううん。わからなかったよ。もしかしたら、とは思っていたけどね」
「どうして私に優しくしてくれるの?」
婚約者とはいえ、初対面だ。本人かどうかもわからない状況で、どうしてあんなことを言えるのだろうか。
「俺が君に優しくしたいと思った。それだけだよ」
その言葉はあまりにもまっすぐだった。何て言ったらいいかわからなくなる。
「ねえ、シャルロット。精霊堂に行ってみたいな」
「精霊堂?」
「そう。俺たちが儀式をする場所を先に見たいんだ」
その言葉にシャルロットはうなずいた。
「もちろん、こっちだよ」
この世界ではエレメントによってできている。火、水、風、地。四つのエレメントからすべてのものが構成されており、土地も人もこのエレメントに影響を受けていた。
それぞれの土地には精霊堂がある。精霊堂にはそれぞれの大精霊の形をした像が立っており、その前であらゆる式典をそこで行う。婚約式や結婚式といった誓いもまた、精霊の前で行うのだ。
「シャルロット」
大精霊たちの像を前にして、リュシアンが口を開いた。
「これから俺たちは婚約者になる。……それでね、一つだけ約束したいんだ」
「約束」
リュシアンは膝を付いてこちらを見上げていた。
「これからいろんなことが起きるだろう。乗り越えるのが難しいことに立ち向かわなければならないこともあるかもしれない。だから、約束をしよう」
小さな箱を取り出す。そして、蓋を開いた。
「……君を幸せにすると」
その手には小さな石の付いた指輪があった。赤い、彼の瞳を思わせるそれは、燃える炎のような色をしていた。
「精霊と契約するとき、精霊はエレメントでできた石を人に渡す。……俺も君との約束を形にするために、石を渡そう」
リュシアンは眩しそうに目を細めてこちらを見る。
「……君を幸せにするよ」
その日、夢を見た。シャルロットの夢だ。
まるで過去を見返すように昔の出来事が流れていく。
跡継ぎになるために、苦手な勉強に取り組んだこと。弟が生まれたことに対して、嬉しさより悲しさが勝って泣いてしまったこと。でも、弟はとても可愛かったこと。
跡継ぎになれないかもしれないと泣いたとき、侍女のサシャが慰めてくれたこと。弟ができても努力する自分を両親は誉めてくれたこと。
いろんなことを思い出した。他人の記憶としか思えなかったものが、少しずつ自分の思い出になっていくような感覚がした。
時を巡り、今、そして未来のことまでも流れていく。
婚約式に親戚が集まって二人の婚約を祝ってくれる。たまにしか顔を出さない叔父も参加してくれた。
そんな彼はシャルロットに問いかけた。「君は嫁に行くことを納得しているのかい?」と。可愛がってくれた叔父だから、寂しがっているのかもしれない。みんなに祝福されるのが嬉しかった。
シャルロットはリュシアンと婚約者になり、信頼関係を築いていく。そのまま幸せになれるように思えた。
だが、映像が切り替わる。住んでいる領地の精霊堂。見慣れた像たちに見つめられるように立っていた。目の前に誰が立っているのかわからない。向けられた剣、そして、それは胸に突き刺さっていく。
「幸せになれなくて、ごめんね。約束を破って、ごめんね」
痛みを堪えていると、こちらを見ている人がいた。その人の顔は涙でよく見えない。
……その手に握られた剣はシャルロ
ットに刺さっていた。
誰かに殺されてしまう。そんな夢だった。