第19話 火の大精霊セヴラン
気づけば、周りだけまるで切り抜かれたように、違う空間にいた。草木はなく、まるで黒い部屋の中にいるようだった。
「ここは……」
「これは俺の結界のなかだ。ほかのやつらはここに入って来れない」
セヴランは従者の方へ目を向ける。
「デオダ、何をしようとした」
「私は……」
従者……デオダは震えた声を出した。口を開いては躊躇うように口を閉ざすのを繰り返す。
「決して、嘘を吐くんじゃねえぞ。嘘を吐けば、お前の周りのエレメントが揺らぐ」
その言葉にシャルロットは思わず尋ねた。
「エレメントが揺らぐというのは?」
「おまえは……」
セヴランは眉を上げると、面白そうに笑う。
「何か?」
「いや、なんでもねえ」
彼はそう言いながら、問いに答えてくれる。
「精霊は嘘を吐くと、周りにいるエレメントが騒ぐんだ。だから、嘘を吐いてもすぐにわかる。まぁ、エレメントが見えない人間にはわからんだろうがな」
デオダは少し身震いをすると、背筋を伸ばしてセヴランを見た。
「セヴラン様は騙されておいでです」
「騙されている? 誰に」
「ベルナールにです」
セヴランは片眉を上げると、ベルナールの方に目を向けた。
「ベルナール。お前は俺を騙しているのか?」
「まさか。大精霊様に嘘を吐くなど恐れ多いことしませんよ」
セヴランは何かを考えるように腕を組む。
「ならば、デオダ。お前がそう思った理由を聞かせろ」
デオダは恭しく頭を下げると、口を開いた。
「ある精霊に聞いたのです。ベルナールは風の大精霊を隠していると」
その言葉を聞いて、ベルナールが険しい顔をした。
「どうしてそんな話が出てくるのでしょうか」
ベルナールの言葉にセヴランもうなずく。
「ベルナールが風の大精霊の居場所を知っているなら、契約の際に提示した条件は達成している。わざわざ隠す必要がないだろう」
それを聞いて、セヴランとベルナールとの間で契約されている内容がわかった。……ベルナールは風の大精霊を探すことを条件に契約したのだ。
「ですが、たしかにあの精霊はそう言っていたのです」
「あの精霊とは誰だ」
「地の精霊にございます。あの精霊がそう言ったとき、エレメントは騒いでおりませんでした。彼が嘘を吐いているとは思えません」
デオダの周りにいるエレメントは騒いでいなかった。嘘を吐いていないのだろう。でも、ベルナールがセヴランに嘘を吐いているのだろうか?
ベルナールは表情を変えずに彼らのやり取りを見ている。
セヴランはデオダの話を聞いて顎を上げる。
「おい、そいつは本当に精霊だったのか?」
「はい。人間の姿で生活しておりましたが、精霊としての姿も見ております。間違いありません」
精霊が人に紛れて生活している。そんなことができるのだろうか。
「精霊は人間の姿になれるのですか?」
また尋ねると、ベルナールが答えてくれる。
「精霊は人間の姿になることができる。その姿は自由自在で、好きな姿になることができるんだ」
「そうなのですね……じゃあ、実在する人になることもできるのですか? その人に成り代わることもできるということでしょうか」
そんなことができれば、知っている人が知らない間に精霊とすり替わっていたということもできることになる。シャルロットの問いにベルナールはうなずく。
「できるだろう。実際、死んだ人間に成り代わり、人として生きている精霊もいる」
「その逆はどうだろう」
ずっと黙っていたリュシアンが口を開く。
「人間が精霊に成り代わることは?」
「……できるはずがない」
デオダは有り得ないと首を横に振る。そんな彼にリュシアンは質問を重ねる。
「人間の姿をしていてもその人が精霊だとわかる方法があるということでしょうか?」
「嘘を吐けば、エレメントが騒ぐからな。すぐにわかる」
「人間が精霊の振りをしていれば、エレメントは騒がないのでは?」
話を聞いていたセヴランが口を開いた。
「その場合、人間がその精霊に手を貸しているということになる」
デオダは黙り込んだ。それを見て、セヴランは疲れたように息を吐く。
「最近は精霊界もにぎやかだ。何が起きていても不思議じゃないだろう」
セヴランはそう言うと、シャルロットの方をちらりと見た。
「水の大精霊が姿を消し、風の大精霊は行方不明。地の大精霊は水の大精霊がいなくなったことにショックを受けて、話もできやしない。ガタガタだぜ、まったく」
彼はそう言うと、ベルナールの方を向いた。
「ベルナール。お前にもう一つ情報共有させてもらう」
「何でしょうか」
「これは大精霊にしかわかっていないことだ。精霊でも認知できていないこと……それを理解して聞いてほしい」
「他言無用ということですね」
ベルナールがうなずくのを見ると、セヴランはリュシアンに目を向けた。
「……この世界は一度、時が巻き戻されている」
時が巻き戻される。そういうドラマを見たことがある。今まで起きたことが何事もなかったように、時間が戻されてしまうことだ。タイムリープとはまた違う。巻き戻された時間は元に戻らない。
息を飲む音が聞こえた。それはリュシアンの方から聞こえた。彼を見れば、大きく目を見開いたまま動かない。
「誰によって巻き戻されたかはわからない。だが、ものすごい力を使わなければ、行なえないことだ。……俺はそれを風の大精霊がやったんじゃないかと考えている」
セヴランはそう言ってシャルロットの方を見た。
「だから、俺はこの後起こることも一部知っている。だから、手助けしてくれる人間が必要だ。……そこにいるお嬢さん。お前の名前は?」
突然、名を問われ、シャルロットは目を瞬かせる。
「私ですか?」
「そうだ。名前を教えろ」
そう問われ、シャルロットはスカートを広げて腰を落とした。
「シャルロットと申します」
「いい名前だ。シャルロット、良い機会だ。お前にこれをあげよう」
そこにあったのは、赤色の精霊石だった。
「これは?」
「俺との契約の証だ」
彼が指を鳴らすと、契約書も現れる。彼はそれと精霊石をこちらに差し出した。
さきほどまでの話とは、シャルロットは無関係だ。それに、領主でもない自分と契約する理由はなんだろう。
サシャの言葉を思い出す。……精霊石は思いの塊のようなもの。彼は自分にどんな思いを託そうとしているのだろうか。
「どうしてこれを私に?」
「簡単だ。……いずれ、必要になるからだ」
セヴランはそれ以上何も語らず、契約書と精霊石をシャルロットに渡した。
「何かあったときに力を貸せ。その代わり、こちらの力を必要としたとき、俺たちもお前のもとへ手助けに行こう」
セヴランはデオダに目を向ける。
「デオダ。お前はしばらくこの家にいろ。俺の命令を背いた罰だ。そして、お前を欺いたという地の精霊を探し出せ」
彼はそう言うと、姿を消した。
景色が元に戻っていく。セヴランが姿を消し、誰もが息を吐いた。緊張感がほどけていく。
「シャルロット」
リュシアンはじっとこちらを見ていた。
「また、無茶したね?」
悲しそうな視線を向けられる。
「えっと、その……」
「君は気にしなくていいと言ったはずだ。それなのに、どうして……」
すぐに謝ろうとした。心配をかけるつもりじゃなかったからだ。だけど、口を開く前にリュシアンがシャルロットの手を取った。その手は震えていた。
「……君を失うことが怖い」
リュシアンはシャルロットの手の甲を自分の額に当てる。
「君はいつも無茶をする。大丈夫だって笑いながら、手の届かないところへ行ってしまうんだ。……あのときだって」
きっとカミーユの代わりに攫われそうになったときのことを言っているんだろう。仕方がないとはいえ、リュシアンに心配ばかりかけている。
「ごめんね、リュシアン。私はあなたのために何かしたかったの」
「俺は君を幸せにすると約束した。その約束を果たしたいんだ」
リュシアンは顔を上げない。そんな彼の額を軽く小突く。
「何言ってるのよ。私だって言ったはずよ」
揺れる瞳がこちらを見る。まるで自分を責めているようだ。シャルロットは大丈夫だといわんばかりに微笑んで見せる。
「二人で幸せになるの。片方じゃだめよ」
繋がれた手をこちらに引き寄せる。もう片方の手を添えてリュシアンの手を包み込んだ。
「私もリュシアンに幸せになってほしいの」
リュシアンは大きく目を見開く。そして眉を下げた。
「君は本当に……」
「一緒に幸せになろう、リュシアン」
「君は……本当に変わったね」
リュシアンは前世の記憶を取り戻す前に会ったことはなかったはずだ。それなのにその言葉はどういう意味なのだろうか。
「変わった? どんな風に?」
「強くなった。……今のシャルロットはかっこよくて眩しいよ」
彼は繋がれた手をぎゅっと握り締めた。
「……君にはかなわないよ」
そう言った彼の表情は穏やかになっていた。