第16話 大精霊の死
家の中を通され、シャルロットはベルナールとお茶をすることになった。何度か顔を合わせる機会はあったが、こうして二人で話すのは初めてだった。
何の話をしようかと考えていると、ベルナールの方から口を開いた。
「今日はどういった用事で?」
「えっと……聞きたいことがあったんです。ベルナール様に」
「私に? ふふふ、なんでしょうか?」
シャルロットは背筋を伸ばし、ベルナールと向き合う。そして、単刀直入に質問をした。
「契約書と精霊石、どなたに預けているんですか?」
「どうしてそれが気になるんですか?」
「……夢を見たんです。契約書と精霊石がなくなる夢を」
その言葉にベルナールは肩を揺らして笑った。
「それは怖い夢ですね。起きてはならないことだ。あなたが心配するのもわかります。けれど、大丈夫ですよ」
「どうして、その人のことを信用できるんですか?」
「あの方は嘘を吐けないから」
嘘を吐けない? どういうことだろうか。そう問いかける前に、ベルナールが口を開いた。
「あなたは風の大精霊の話をご存じですか?」
突然の話題に首をかしげながら返事をする。
「風の大精霊の話ですか? 水の大精霊ではなく?」
「水の大精霊が姿を消したのはみんなが知っている事実。ですが、風の大精霊もまた、行方が分からなくなっているそうです」
風の大精霊の話は初めて聞いた。あまり公になっていないことなのだろうか。
「でも、風の大精霊の契約書は白紙になったという話は聞いていません」
「おそらく、姿の消し方が違うということだが……。こればかりは一介の子爵ではわからないのですよ」
彼はカップを手に取る。お茶を一口含み、唇を湿らせると話を続けた。
「噂では、風の大精霊が水の大精霊の死に関わっていると聞いています」
「精霊が死ぬことがあるんですか?」
「あくまで噂ですよ。大精霊が死ぬだなんて、聞いたことがない。だが、同じ大精霊同士ならば、害することができると考えられています」
ベルナールはそう言って、シャルロットをじっと見る。
「そういえば、あなたは水属性なんですよね?」
「はい、私は生まれたのがあの領地ではないのです。だから、水属性に……」
「そうですか……。いや、水属性の者はあるときから、あまり生まれなくなってしまった。だから、珍しいと思ったんですよ」
「それは水の大精霊が姿を消したからですか?」
「いや、契約書が白紙になる数年前からです。そうですね……ちょうど、あなたが生まれた年からだと聞いています」
ベルナールはこちらをじっくり観察するように見る。
「……だから、不思議だなと思っただけです」
ベルナールはにこりと笑う。人の良い顔であるにも関わらず、どこか恐ろしさを感じられる。
「あの、リュシアンがいないのでしたら、私はこれで……」
そう言って帰ろうとしたら、お茶室にリュシアンが顔を出した。
「シャルロット。突然来たと聞いて、驚いたよ。どうして父様と二人で……?」
ベルナールはリュシアンの姿を見ると立ち上がった。
「じゃあ、私はここでお暇しようかな。シャルロット様、ではまた」
ベルナールは深くお辞儀をすると、リュシアンの肩を叩いて部屋を出て行った。
残されたリュシアンは不思議そうにこちらを見ている。
「リュシアンに会いに来たら、お茶をしないかって誘われたの。ベルナール様はいろんなことを知っているのね」
「なんでも……? 何の話をしたの?」
「……風の大精霊が失踪している話とか」
そのことを聞いて、リュシアンは驚いたように目を瞬かせた。
「風の大精霊が? 俺はその話を聞いていない。父様がそう言っていたのか?」
「そうよ。それに、水属性の人が生まれなくなったのは、水の大精霊がいなくなる数年前からだとおっしゃっていたわ」
リュシアンは考え込むように腕を組む。それも初耳だったようだ。
「水の大精霊がいなくなったのは、俺が幼いころだった。その数年前なら……シャルロットが水属性なのは相当珍しいことになるね」
シャルロットは自分の手のひらを見る。今まで自分が水属性だと思っていなかった。だが、それが発覚してから、次々と自分の知らないことが明らかになっていく。
……自分の出生や両親のこと。そこに精霊まで絡んできた。自分がそこまで特異体質なのだと認識していなかった。
「私は他領で生まれたのは知ってるの。でも、どこで生まれたのかは誰も知らない。……もしかしたら、その領地に秘密があるのかもしれないね」
「でも、誰も知らないのなら、秘密を抱えた領地がどこなのかわからない。水の精霊と契約していた領地なのだろうと推測はつくけれど」
あまりにも情報が少ない。それ以上考えるのは難しいだろう。
「私もまた、お父様に話を聞いてみるよ。もしかすると、新しい情報が出てくるかも」
「まあ、シャルロットが珍しい水属性だとしても、それが何かあるとは限らないからね」
リュシアンはそう言うと、こちらに手を差し出した。
「少し散歩をしようか」
シャルロットはうなずくと、彼の手を取った。
リュシアンの住むタウンハウスはシャルロットの住んでいる館と同じくらいの広さだった。元々、誰かが住んでいたところを譲り受けたようで、築年数もシャルロットの館とそう違わないように見えた。
「ベルナール様に聞いたの。契約書と精霊石は、嘘を吐けない人に預けているんだって」
「嘘を吐けない人?」
リュシアンもその言葉の意味がわからないようだった。嘘を吐かないという信頼できる人という意味ならわかる。だが、嘘を吐けないという表現は何か制約があって嘘を吐くことができないように捉えられる。だが、人の言葉や行動に対して、何か制約をつける方法は思いつかない。
「父様がそう信じているのなら、本当に嘘を吐けないのだろう。だが、そんな人いるんだろうか」
シャルロットはわからないというように首を横に振る。そして、深刻な表情を浮かべて言った。
「……また、夢を見たの。ベルナール様が騙されて、契約書と精霊石が奪われてしまって……叙爵式が行えない夢を」
リュシアンは大きく目を開くと、小さく笑った。
「君の夢は当たるからね。無視できないな。……教えてくれてありがとう」
叙爵式が行えないとなると、家の信頼が失われることになる。そうなれば、この家を継ぐことになるリュシアンにも関わってくることだ。……そして、自分にも。
「実は、俺も自分なりに調べているところなんだ。……誰が犯人なのか、予想もついている」
「え、そうなの? 犯人は誰なの?」
「それはまだ秘密。でもね、決定打がないんだ」
「その決定打があれば、契約書と精霊石を取り戻せるの?」
「そうだ」
「もしかして、リュシアンも夢で見たの?」
シャルロットの問いかけに、リュシアンは息を吐く。
「……そうだね。夢みたいなものだよ」
リュシアンは数歩前を歩くと、こちらを振り向いた。
「シャルロット。この件は俺に任せて。君は心配しなくても大丈夫だよ」
彼はシャルロットをまっすぐ見据える。
「これは俺たちの問題だから」
「でも……」
「大丈夫だよ」
普段とは違う、何か覚悟をしているような目に、シャルロットはこれ以上何も言うことができなかった。