第12話 都市
これは悪い夢だ。そう自分に言い聞かせたかった。
「ねえ、リュシアン。私があなたの婚約者でいいのかな」
シャルロットがふいにそう零した。彼女は不安そうな表情でこちらを見ている。
「どうして?」
「私は……何もできないのに」
シャルロットは人に優しく、自分に自信のない子だった。
いつもは明るく、誰にでも分け隔てなく接してくれる。そんな彼女が不安を口にするのは自分の前でだけ。それが心を許してくれているようで、嬉しかった。
「君は優しい子だよ。大丈夫。君が婚約者で、俺は嬉しいよ」
本当の気持ちを話せば、彼女はホッとした表情を浮かべる。そして、泣きそうな顔で笑う。どんなに言葉を重ねても、彼女の中にある不安は消えないのだろう。
彼女は弟が生まれたことで跡継ぎではなくなった。だが、それを自分の実力不足なのではと思うようになったという。仕方がないことなのに、彼女は自分自身を責めている。自分に価値がないと思い込んでいる。その不安を少しでも軽くしてあげたいと思った。
「じゃあ、約束しよう」
「約束?」
「そう、約束だ。俺は君を幸せにする」
そう伝えれば、彼女は頬を緩めた。
「ふふふっ。リュシアンは優しいね」
そうして結んだ約束。だが、約束にしなくても心のうちは決まっていた。
守りたいと思った。みんなの前では強く、明るく振る舞い続ける彼女を、自分は支えてあげたいと思った。
幸せにしないと、いけないと思った。
……その約束を破るときが来ても、ずっと。
シャルロットと再会してから、初めての社交シーズンがやってきた。領地から都市に移動をする。
今年、自分の家は侯爵家になる。そのため、都市での家も侯爵の区域に移動になった。彼女の家の近くにいられる。
シャルロットは前よりもずっと明るくなった。悩みや不安があっても、隠すことなく感情的になりながらも話してくれる。きっと自分だけではなく、いろんな人にも話しているのだろう。
何より、笑顔でいるときが増えた。楽しそうにしていることが増えた。
今、自分は彼女を幸せにできているのだろうか。
……再び結んだ約束を、守ることはできているだろうか。
今年は父であるベルナールの叙爵式がある。
侯爵になるための大切な行事だ。ここで認められなければ、侯爵になることはできない。
そのために、警戒をしなければならない。決して気を緩めてはいけないのだ。今後の自分の立場のためにも……なによりシャルロットのために。
……あいつの動きだけは、よく見張っておかなければ。
表紙:滝沢ユーイ様
「シャルロット様、着きましたよ」
サシャに声をかけられて、馬車の窓から外を見れば、大きな街が広がっていた。すべての大精霊と契約している都市は地方と違い、たくさんの商人が行き来している。領主にならなかった貴族出身の者たちも多く働いており、ずっと人が多い。
「しばらく社交シーズンとなります。お忙しくなりますが、無理をなさらないでくださいね」
サシャの言葉にうなずくと、馬車が停まった。扉が開かれる。そこには大きな館があった。シャルロットたちが社交シーズンのときにだけ住むいわゆるタウンハウスというものだ。領地にある館よりは小さいが、その分豪華な造りになっている。
使用人たちに荷物を運んでもらい、シャルロットは館の周りを歩きまわる。
都市での家は身分ごとで区分けされている。そのため、シャルロットの家の館の近くにはフェリクスの家の館がある。そこに、今回からリュシアンの家の館も仲間入りする予定だ。
「リュシアンとフェリクス、もう来てるかな?」
そわそわしながらあたりを見渡していると、サシャがくすりと笑った。
「そうかもしれません。しばらくは一緒に過ごすことになりそうですね」
フェリクスは毎日のように顔を出していたが、リュシアンと顔を合わすのは浄化祭ぶりだ。久々に会えると思うと、落ち着かない気持ちになった。
シャルロットは街の中心にある時計塔に目を向けた。塔のある場所にはこの都市、そしてすべての領地全体を統治している女王様がいる。聖女の末裔と呼ばれている人だ。
聖女はずっと昔にこの国にいた女性で、すべての大精霊に愛されていたという。彼女は国が危機に襲われたとき、大精霊に力を借りて、国を救ったといわれている。
「早く、街に行きたいなぁ」
「精霊祭までは社交でお忙しいですからね。それまでお預けでしょう」
サシャの言葉にシャルロットは顔を上げる。
「精霊祭がはじまったら、街に行っていいってことよね? リュシアンとフェリクスと一緒に街に行こうよ!」
「ふふふ。楽しみですね」
シャルロットはそう言いながら、館の中へと入った。
社交シーズンがはじまると、貴族がそろって王室主催の舞踏会に招待される。そこで一年の報告をするのだ。今回はリュシアンと婚約したことを報告することになっている。
「いつもはフェリクス様と一緒に参加されていましたが、今回からは婚約者であるリュシアン様と参加されるのですね」
「そうね」
赤い石のついた婚約指輪に触れる。シャルロットとしては何度も舞踏会に参加したことがあるが、記憶が戻ってから参加するのは初めてだ。どんなところなのか、記憶の中には残っていても、緊張してしまう。
「これを私が着るのね……」
明日の舞踏会に着るドレスを飾ってもらい、ぼーっと眺める。婚約を報告することもあって、ドレスの色はリュシアンの瞳を思わせるような赤。こんな風に自分を着飾るのは婚約式以来だ。こんな綺麗な服を着こなせるだろうか。
「シャルロット様、お客様がいらっしゃいましたよ」
そう言われ、通すように伝えるとリュシアンが顔を出した。
「リュシアン! いらっしゃい!」
思わず立ち上がり、大歓迎というように両手を広げると、彼の手元には花束が握られているのに気が付いた。
「リュシアン、どうしたの?」
「ああ、これは……」
彼はこちらに歩みより、花束を差し出した。
「君に。喜んでもらいたくて、用意したんだ」
わざわざ買ってきてくれたのだろうか。その気持ちが嬉しくて、頬が緩んでしまう。
「嬉しい! ありがとう! でも、どうして?」
素直に花束を受け取ると、リュシアンは眩しそうに目を細めた。
「君には花がとても似合ってるから」
その眼差しが優しい。落ち着かない気持ちになって、何か話そうと考えていると、彼の後ろから誰かがやってきた。
「リュシアン」
そう声をかけてきた人に見おぼえがあった。
「お父様」
リュシアンがそう口にする。その人はリュシアンの父親、ベルナールだった。
「ベルナール様、お久しぶりです」
シャルロットは腰を落として礼の姿勢を取る。
「シャルロット様。お久しぶりですね。初めてお会いしたときから随分お綺麗になって」
「ありがとうございます。けれど、そんなに月日は経っておりませんよ」
「いいえ、女性は日に日に美しくなっていくといわれています。きっと、シャルロット様もまた美しくなっていくでしょう」
ベルナールは恥ずかしげもなく、そういった言葉を口にする。言われたこちらが気恥ずかしい気持ちになる。きっとリュシアンがためらいもなく甘い言葉を口にするのは、この父親の影響なのだろうか。
「ベルナール様、お時間です」
時計を手にした男性が、ベルナールに声をかけた。従者に見えるその人は、髪の毛をきっちりと整えた気真面目そうな男性だ。それを聞いて、ベルナールはこちらを向いた。
「私は用事がありますので、これで。リュシアン、交流を深めるために、シャルロット様と行動しなさい」
ベルナールはそう言って去っていく。
「…………」
彼の周りには不思議とエレメントがたくさんいた。