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ぼくはフランケンシュタイン  作者: 夏城燎
ぼくはフランケンシュタイン
8/8

8「一つまみの光」

「ちょっとまてよ。その話は関係ないだろ?」


 俺は流石にそう話の腰を折ると、アキくんはその割り込みに乗じて。


「ぼくが思うに、先生の気持ちは、価値観によって形成されていると思うのです。なので、先生を知りたい。そう考えたのですが」

「いや、でもさ。教師になった訳と井芹紗良の件は多分関係ないぞ?」

「関係ないと思っているならそれが穴ですよ」


 アキくんはそう強く言いながら、ぐぐっと俺の股下に膝を置いて、顔を近づけてきて。


「きっとその先生の価値観が、全ての答えなんだと思います」


 と。


「……う、うーん」


 別に俺とて、答えたくないという訳ではない。

 ただ何というか……実の所、この仕事に不満はなにも抱いていないし楽しんでいるが、何となく自分の楽しめる仕事を探した結果で教師を選んだだけで、正直、明確な理由がないのだ。


 そんなことあるのか?

 って同期は口をそろえて言うけど、そうなんだよ。

 だからどういうのが正解か、全く分からない。

 ……でも、まあ、ありのまま伝えるか。


「驚かれるかもしれないが。教師になろうとしたのには理由がない。俺が楽しいと感じる事ってなんだろって考えて、肉体労働は合わなくて、飲食店も好きではなくて、会社勤めも大人が嫌いだったから無理だと考えた。それで、じゃあどうしようってなった時に、目の前の進路相談の話を聞いてくれた保健室の先生に言われたんだ。「ほんなら、教師にでもなれば?」って」


 ありのまま、本心を少年に伝えた。

 正直この話は教員の同期から散々に笑われた話で、

 その経験から人に話すのが嫌だなと感じることでもあった。

 だから本当なら、この事は墓まで持っていくつもりだったんだが。

 これまた、稀有な出来事で話す事になるとは思わなんだ。


 まあ常識的に考えて、楽しめるからって理由で勉強して教員免許取るのは、

 確かに周りの大層な夢物語をいう語り部からすりゃ、

 俺はちっぽけで馬鹿げている野郎に見えるんだろう。

 別に子供の相手にすることに意義を見出している訳じゃないし、

 人に教える側に回るのが嬉しいという感性でもない。

 ただ、この仕事が、俺の『楽しい』に一番近かったんだ。


 さて、俺は少年アキくんへと視線を向けると、

 フムフムと嚙みしめるように頷きながら、両面を閉じて考え込んでいた。


 もし俺の、この不可思議な後悔に答えがあるならば、

 それを俺は知りたいと思っている。

 彼女があの時、どうして泣いたのか、どうして俺を好きになったのか、

 どうして転校してしまったのか。

 全てが終わった後で謎が残って……このモヤモヤを、俺は数十年も抱いていて、

 もどかしさがそろそろ癪だったんだ。

 だから答えがあるのなら出してしまいたい。

 この人間ではないという少年にでもいい。

 何でもいいんだ。俺のモヤモヤを解消できる答えが、

 それなりの理屈が、今はただただ欲しい。


 全てはもう終わって、考えてもどうしようもない事だけれども。

 でも、あの日の感情をまだ分かっていないのは、何だか嫌だ。


 それに教師として、このモヤモヤは、多少不適切とも思われるし。

 だれでも純粋な子供とは気持ちよく接したいだろ?


「――――」


 ふと視線を送ると――アキくんは顔を顰めていた。

 そしてぷはあと漏れた息を、空に放り投げて、何だか諦めたような仕草で。


「わ、分かりません」


「ええ?」

「すみません……何か分かるかなって思って聞いたんですが、こう、ぱっとした答えが浮かびませんでした。格好つけた手前、死にそうです」


 ごめんなさい。とアキくんは謝ってきた。


「……は、はは。まあそう言う時もあるぜ。人生なげえんだから、答えを探すのを先送りにするのも一つの答えだ。俺も所詮、ほんと、楽しそうだったから教師を目指しただけの、薄っぺらい男なんだし」


 別に答えを求めてはいたが、

 でもこの問題は難しすぎた。

 そう、『難しい』のだ。

 それはもう仕方ない。どうしようもないのだ。

 まあ、この子も記憶を取り戻す過程で、何かに気が付くかもしれないし。まあ、今日の所は帰るとするか。


「これで満足?」

「ですね。ありがとうございます」


 と話が一通り終わって、俺とアキくんは、そのまま一緒に家に帰る事となった。








 ……思えば、俺はいつから、自分を忘れていたのだろう。

 同僚に笑われた時か?

 同期に馬鹿にされた時か?

 それとも、ずっと分かってなかったのか?

 こんな簡単な事を、ずっと俺は無視していたのか?

 ずっと答えは目の前にあったっていうのに。

 どうして俺はそれを分からなかったんだろう。


 自室の布団に入って、考えを巡らせていると、突然に気が付いた真実に、俺は絶句した。


 そして吹っ飛んだ眠気を追うかのように、一人でにベランダに向かう、

 家の中からでも見える星空を見つめながら、月光指す部屋を歩いた。

 家の中では、アキくんが出しっぱだったコタツに頭以外を沈めて眠っていて、

 俺は彼をみて安堵しながら、ゆっくりとベランダの戸を開けた。


 俺はそれが楽しかったからそれをした。


 答えは、そうだった。

 全ては、楽しいと思った選択を取ったから起こった出来事だったんだ。

 もっと正確にいうと、俺が楽しいと思う瞬間は決まっていた。

 それはきっと、最初こそそういったものではなかった筈で、

 でも、多分彼女との出会いが、俺のこの性を捻じ曲げる要因となったに違いなかった。


 ――それは『他人の幸せ』だった。


 俺があの時、彼女と出会って、知った事があった。

 それは、『楽しくなさそうな他人を、楽しませた』という、嬉しさだ。

 だから要は、俺は彼女の事を好きだったのではなく、

 楽しませたかっただけなんだ。


 世界で一番の不幸者と言いたげな顔をして体育館に入って来た時から、何かに絶望して、くっそ下手くそな笑顔しか作れないあの女を、保健室でバレバレの嘘をついたあの女を、俺は楽しませたくなったんだ。

 俺は自分が楽しむためにそれまで生きていたが、それから、他人を楽しませる事を愉悦とした。

 全部は俺の、そういう、ねじ曲がった根本が、今の俺を作ったんだ。

 俺にとって『他人の幸せは、俺の幸せ』だった。


 ああ。ああ。

 そういう事だったんだな。

 俺は自分が幸せになるよりも、誰かの幸せを見ている方がずっと楽しかったんだ。

 あの女のせいで、はは、性癖を曲げられたな。


 それできっと、俺のそういう部分は、

 俺よりかは客観的である他人の方が分かりやすい。

 その性癖がド直球に出ていたあの当時なら、

 なおさらそれが分かりやすかったんだろうな。

 だからきっと、紗良は、俺がそういう性格なのを知っていたんだ。

 それで、自分の気持ちを優先させて告白をした後に、断られるのが分かっていた。


「……」


 あいつにどういう事情があったのか、知らないが。

 俺が少年誌の主人公ならもっと気前のいい答えを用意できて、

 あいつの想いに応えてやれたかもしれないが、

 残念ながら俺はそんな人間じゃなかったし、彼女自身もそれを知っていた。

 でも、そうだとしても、俺はきっと、彼女に申し訳ない事をしたんだろうな。

 想いを無下にして、希望をへし折った。

 俺の曖昧な、自分への解釈のせいで、俺は彼女を傷つけた。


 でもきっと、俺が勝手にそう思っているだけなんだけどさ。

 あいつと過ごした夏祭りまでの期間は、本当に、俺にとっても、あいつにとっても、幸せな時間だった。その思い出はもう決して消えない。

 あいつの心にも、何か希望のようなものが芽生えたんだと思う。


 人生真っ暗だったあいつのお先に、俺は一つまみの光を置けたなら、それだけで満足なんだ。



「……ありがとう、アキくん」


 これは紛れもない、君のおかげだよ。

 俺は振り返って、彼の寝顔をみつめた。そしてふっとはにかんで、抱えた静かなる愉悦を認識したときに、俺はたまらなく嬉しくなって、にわかに、優しい笑顔になった。


 ……本当にありがとう。

 フランケンシュタインの少年。



 せわしない通学路は、朝の活気に当てられた子供たちの散歩現場でもあり。

 燦燦とした青空を眺め、一人の生徒が「恐怖の大魔王こええな」と呟いた。

 そして川から流れてくるうなぎのような水流を横目に、学生らは我が小学校へやってくる。


 ――平成三年、一九九一年の七月二十二日。猛暑。


 俺はいつも通り学校の職員室で子供たちを見届けながら、朝の朝礼を行い。

 休日明けの女性教師陣が、流行りのドラマについて語り始めたのを横目に、俺は一人教室へ向かった。


「正道先生」


 その時、背後からピンク色のカーディガンを着た先生が俺を呼び止めた。


「ん? どうかしましたか? 花子先生」

「……実はこのテスト、先生のクラスで行った小テストなんですけども、名前が書かれていないのが一つあって、減点でもいいのですが……」


 俺はその用紙を受け取って、びしっと伸ばして眺める。

 その字の汚さには、覚えがあった。


「ああ、言っておきます」

「まだ先生のクラスで書き忘れは初めてなのですが、減点はどうしましょう?」

「別の先生の授業でも忘れている奴ですが、減点は次からでお願いしてもいいですかね?」

「わかりました。お手数おかけします」


 そんな会話をして、用紙を自分の荷物に挟み、花子先生と別れた。


 自分の教室へ入ると、そこでも女子たちがあのドラマについて話していた。

 それでも、そろそろ授業の時間なので、俺はゆっくりと教室の中の自分の机に座って、荷物を広げておいた。

 そこで俺はテスト用紙を取り出して、おもむろにその名前を呼んだ。

 そしてやってきた、落ち着いた様子で白いシャツを着ていた女の子に、俺は言った。


「先週のテスト、名前を書き忘れていただろ。先生から報告がきたぞ」

「え、ほんとうです?」

「ほら見てみろ、この字の汚さはお前しかいない」

「……ですね。この落書きも私のだ」

「まあ、ただの小テストだ。減点まではしないそうだから、次から名前を書くように」

「はあい」


 俺はそう諭すように伝えて、そして自分の鉛筆を彼女に差し上げた。

 彼女は多少不服そうにぶつくさと「書いたと思っていたのに」と抜かしているが。

 言いながらも、自分の名前を鉛筆で書いた。

 下手に書き始めたから、俺は頭上から「丁寧に書けよ」というと、

 彼女は肩をびくっとさせて、井芹愉花いせりゆかとしっかり書いた。


「これで採点してやれるな」

「けち」

「名前を書き忘れた奴が悪い。今度から気を付けるんだよ」

「はあい」


 そんなこんなで、愉花さんは自分の席へと戻った。

 そろそろ時間だ。俺はそう言って教鞭に立った。


「さて、今日の時間割について話す前に、出席をとる」


 言い放ち、そして生徒に向け、俺は一人ずつ名前を見て、出席を確認した。


 そろそろ夏休みである。

 あの頃の記憶が蘇ってくる。

 授業を終え、自分のデスクから外を見た時、見えてくる体育館の屋上を眺めながら、俺は二人の生徒の影をみつけて、抑えられない笑みをこぼした。


 ――俺はやっぱり、この仕事が好きであった。

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