6「花火をみたいの」
この話を君にするのは、俺がこの事を思い出したからってだけで理由があるわけじゃない、何となく、思い出したから、これを話すよ。
俺も別に濃厚な人生を送っているかと言われたらそうじゃない。
でも、そんな人生の中で、俺にとって、とても印象深いあの出来事を話そうと思う。
まあつまらないかもしれないが、聞いて行ってくれ。
俺はガキの頃、別に教師なんて目指してなくって、
ただただ楽に生きてればいいやっていう不良だった。
学校の授業もサボり気味で、やる気も無く、
クラスメイトと殴り合いの喧嘩もするしで、
俺、今教師やっていて度々教師目線になるんだが。
あの時の俺は、結構めんどくさかっただろうなと思う。
不良の意味?
そりゃ、不真面目かつ乱暴者とでも思ってくれ。
え? 不良が意外か? はは、よく言われる。
そんなとき俺は、とある出来事があったんだ。
それは、クラスメイトの一人の女子から始まった。
そいつは不登校で、俺すら夏になるまでクラスにいることを知らなかった女の子だった。
でもとある事をきっかけに、そいつが不登校である理由をしったんだ。
それはどうしようもない持病で、
体が弱い彼女は、決して自分の意思で学校に来ていない訳ではなかった。
だが、そいつの親がやばくてな。
例え病気で体調を崩しやすくても、
それでもその親は、
彼女を学校まで引っ張ってきて登校させようとした。
俺が教師初めて知った事だが、悲しい事にああいう親は案外珍しくない。
ああ、脱線したな。
俺はそれを一方的にたまたま聞いちまっただけで、
でもその親に対して、女の子は何も言葉を発していなかったんだ。
何にも、親に詰められているのに、本当に無言のままだった。
最初はヒステリックな親に委縮して言葉を発せないのかと思っていた。
でもある日、その子と話す機会があってな。
思い切って聞いてみたんだ。
当時、つうか今も別にそうなんだが、俺は口下手なほうで、
変に気を回して聞くよりかは、ぶっちゃけてしまった方が早かった。
丁度、屋根上で盗み聞きしていたことも、バレていたし。
すると彼女は、言ったんだ。
「私も知らない」って。
笑ったよ。
その時に彼女がした、無邪気で可愛らしい笑顔に、
俺は何だか、心が救われた気がした。
だって、別に、我慢していた訳じゃなかったんだ。
ただ意味もなく、黙っていただけ。
もしかしたら強がっていたのかもしれないけど。
少なくとも、その時の彼女の笑顔は、本物だった。
「ねえ。今度私も、体育館の屋上に行きたい、な」
それから俺らは仲良くなった。
その子の名前は井芹紗良っていうんだけど、
そいつと俺は、度々会うようになった。
別に会って何かするわけじゃないが、一緒に危ない所で日光浴したり、
授業をさぼったりした。
彼女は、俺を知りたがった。
いいや、正確に言えば、俺の世界を知りたがっていた。
自由で、我儘で、それでいて、楽しかった。
彼女は、俺のスリルな遊びを、とても気に入った。
先生に見つかって、体の影響で走れない彼女は、俺にしがみついて逃げた事があった。
彼女が胸を俺の右肩に付けて、背後から追ってくる先生に楽しそうな笑みを浮かべながら、彼女を担いで走る。校庭に飛び出して、陸上部の足で先生を振り切って、学校を抜け出したあの瞬間を、俺は今でもよく覚えている。
あれは二度とない体験だった。
太陽の光を浴びて、彼女に言われるがまま逃げる。
「逃げろ逃げろ!」と楽しそうに言う彼女を間近にしていると、
俺は、本当に、楽しかったんだ。
一緒に不良して、一緒に怒られて、でも彼女はそれを、心から楽しんでいた。
悪友だったんだ。
彼女は良く歯をみせて笑った。
口を大きく開けて笑った。
笑顔で、楽しそうで、その美形の顔が台無しになるくらい、笑顔が似合う人だった。
そんな時だった。
ついに学校が夏休みになるとなった時、彼女は学校にやってきた。
だから俺はいつもの場所で待っていると、
案の定、彼女がやってきた。
そんな彼女の腕には、夏祭りのチラシが握られていた。
「一緒にいかない? 私、まだ花火を見た事がないんだ」
俺は、もちろんそれを快諾した。
当日、俺は待ち合わせの公園で待っていた。
前日が雨だったので天候が多少心配だったが、雨の後の湿気で逆に夏っぽくて風情があった。
地味に衣服をしっかりとしてきて、公園の入り口で、
買ったばかりの腕時計を見ながら待っていた。
その公園は夏祭り会場へ続く道にあるので、よく目の前の道を、浴衣の人たちが通っていった。
……そう言えば、私服の彼女と会うのは初めてだな。
なんて馬鹿みたいな事を考えて、ふんわりと彼女の浴衣を想像した。
あの可愛い彼女に似合う服といえば、
なんて、馬鹿みたいな想像を膨らませて、
俺は少し、右足がうずうずするくらい、
楽しみに待っていた。
そして、背後から話しかけられ、彼女のあの声だったから振り返ると。
「やっほ、待った?」
「……」
そこに居たのは、真っ白い病衣を着て、靴もスリッパで。
半そでから見える右腕には、四角い絆創膏がついていた彼女だった。
驚いた。そして、それは言葉として飛び出た。
「……お、お前。その姿は?」
「抜け出してきちゃった」
「は?」
耳を疑った。
「アキラとの約束を守りたくてさ。本当は夏休み、ずっと入院だったんだけど、何んとか抜け出してきたんだ」
ふんわりと漂ってきたひまわりの匂いに、俺は心を掴まれた。
暖かい風が服の隙間を通って、俺は何かを言おうとしたけど。
喉でつっかえて、出てこなかった。
そういう彼女は、あの笑みをまだ浮かべていた。
みんなが集まっている神社の上から遠ざかって、俺が去年見つけたスポットへ向かっていた。
セミが鳴いているそのあぜ道は、このあたりにしかない竹林の中へと入っていき。
竹林の中は涼しくて、その中を二人で歩いていた。
「どうしてこんな場所を?」
彼女は聞いてくる。
「見つけたんだ。去年は弟と来たんだが、今年はいなくてな」
「そっか。あれだけイチオシしてきたって事は、きっと凄い絶景なんだろうな~」
「オススメしたが、花火が綺麗にみられるかはわからねえぞ。去年は確かに見られたが……」
もしかしたら今年は、花火を打ち出す場所が変わっていたりするのかもしれないし。
なんて杞憂を言う前に、彼女は言葉を遮るように。
「じゃあ楽しみだね」
俺の不安を黙らせる一言。
そして彼女は、俺の前にいきなり飛び出して、
病衣で草を揺らしながら、こちらを振り返った。
「私さ。最初にあんたに会った時、自分の事を人間じゃないって言ったよね?」
思えば、始めて出会った保健室の中で、開口一番にそう言われた気がするな。
「そういえば言っていたな」
「あれさ、あの日まで私って、人生なんも楽しくなくてさ。それは、みんなと違う人生を歩んでいたから何だけど」
言いながら彼女は、大袈裟に手を振りながら、とことこと俺の前を歩く。
「誰かと仲良くなっても、親を知られたら距離を取られる。そんな親をクラスの皆に知られたら、クラスメイトに馬鹿にされて煙たがられる。そんな私に同情して話しかけにくる子は、同じレッテルを貼られて、結局私を嫌いになる」
「それ、いじめか?」
「知らなーい」
「フっ」
俺は彼女の言葉を鼻で笑った。
「だからさ、私にはもう、普通の生活を味わえないんだ~。みんなと同じみたいに授業を受けられないんだ~。親からは医者になれと圧を受ける~……はなはだ、人間の人生とはいえない。だから私は、人間じゃなかった」
諦めるように、投げ捨てるようにいう言葉に、
俺はどう返してやるのがいいか分からなかった。
そんな俺を見つめながら、彼女は俺に続ける。
「でもアキラと出会ってさ。普通じゃないけど、普通な事を楽しんだ」
「なんだそりゃ」
その言葉に俺は苦笑したが、彼女はそれを意にも返さず。
「言葉って不思議だよね。でもそう。私は、普通じゃないけど、普通の事を楽しんでいた。だからきっと、今の私は、生きているって言える。これってさ」
彼女はそこまで言って、くるりと回って、後ろ歩きをやめ、俺に背中を向けた。
――長い黒髪と高い竹が、暖かな風にゆらゆらと揺らされ、差し込んだ光に、彼女は自分の丸い瞳を映して、また彼女は振り返った。風に揺れる黒髪を右手で抑えながら、あの笑顔を張り付けながら、そのはきはきとした物言いで。
「人間になったって言えるのかな?」
彼女はそう言って、微笑んだ。
その口角は、あの時のように、とても下手にあがっていた。
「好きだよ」
そして、彼女は、その四文字を読み上げた。
世界が静止したかのような錯覚をした。
地面がひっくり返ったような衝撃を受けた。
俺にとってそれは、初めての告白。
初めての、恋愛だった。
背筋を通る風が気持ちよくて、指の先まで感覚が鮮明で、
そして――彼女が笑っているのが、俺の瞳に反射していた。
「……」
何かを言おうとした。
でもそれは。
間違いなく、俺の本心だったが。
間違いなく。
それは――。
「――――時間だ」
彼女は俺の答えを聞かずに走り出した。
「……あ」
俺の意識はやっと戻ってきて、走り去っていった彼女を追いかけるために、俺も走り出した。
竹林を突き抜けて、地面を蹴り上げて、確かな心音が耳を騒がしくして、俺は、その竹林を抜けると。
「――――」
あれは空を眺めていた時。
心臓はどくどくと小太鼓を叩いている様で、うるさかった。
今感じているような暖かな風よりも少し温度が高くて、
その空気には近所に咲き並んでいるひまわりの香りを含んでいた。
確かそれは夏で、
地平線の手前に見える街を囲んだ山々の付近は、まだほんのり明るかった。
しかし、その上部は既に漆黒であって、
その中に点々と写っていた小さな星空には、はっきりと目を奪われた。
それで、その星空を背景に。
影になってそうみえる浴衣を着て、草を潰したスリッパを引きずりながら、
丘になっている河川敷の上から、こちらへ視線を送る彼女を、まだ俺は覚えていた。
彼女はいつもどおり楽しそうだった。
彼女はいつもどおり嬉しそうだった。
そして彼女は駆け寄ってきて、頬を赤く染めながら、その綺麗な瞳を細めた。
「……アキラ、ごめんね」
言ってから、彼女はそのつぶらな瞳から、ぼろぼろと溢れる涙を流した。
その涙に、花火の光が滲んでいたのを今でも覚えている。
その涙は頬を伝い。
同時に、昨日降った雨でうまれた水たまりに、打ち上がった花火が反射した。
彼女は花火を見なかった。
俺を真っすぐ凝望して、そして、何かを悟ったらしかった。
俺も、言わなければならなかったから、
言う時が来たから、
渋々とそれを伝えた。
伝えるしかなかった。
口を開けた時、ほのかに感じた木の実を奥歯で噛みつけたときに滲みでる苦みのような言葉を、そのまま発言するにいたった。
その発言には、明らかな、苦しみが伴うことを、言ってから理解したのだが、
なんにせよ、全てはもう、決まっていることだった。
「ごめん。俺は、お前をそういう目でみられない」
俺は彼女にそう伝えた。
そう言われ、彼女は細目の顔に、侘しい、微笑を添えた。
花火の開花音がなっていた。
それは無情にも、これまでの人生でみた花火の中で、
一番大きくて一番美しくて、
そして一番、思い出に残る事になる、綺麗な花柄の花火であって。
それを彼女は、見届けなかった。