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ぼくはフランケンシュタイン  作者: 夏城燎
ぼくはフランケンシュタイン
2/8

2「であい」

 山のふもとにある一軒家から、道で連なった先にある住宅街には、当たり前のように静寂が漂っていた。


 昼間の雨の影響か白く薄い霧が舞い込んでいて、

 その中を歩く人影は、一つも見当たらない。

 そのことに安心感を覚え始めた時点で、

 俺と言う人間は多少なりとも大人というものを理解したのかもしれない。


 はっ。


 ……まだまだ深夜とは言えない時間にも関わらず、どうもここまでの静けさが散乱しているのは、もしかすると、この地が田舎であるという、ある種の証明であるのだろうか?

 なんて事は、考えるだけ主観的で、さほど意味もない事であろうが。


 ――俺はこの仕事が好きである。


 今日も今日とてこんな時間になってしまった。

 小学校というのは中々忙しいもので、

 家に帰るのが十時を超える先生方もいると聞く。

 俺もあいにくクラスの担任だから、結構周りから見たら遅い組に属しているんだろうがな。

 あぁ今日はあれだ、愉花ゆかさんの忘れ物の為にも、職員室に残っていたのもあるし、だからいつもよりかは遅い時間に帰ってくることになったんだ。


 こんな静寂とした住宅街、でもこんな辺境でも楽園と言えるような場所がある。

 それは社会に疲弊した大人の楽園、

 そして、最高に眩しい赤と緑の照明が印象に残る場所だ。

 一本の木の下にあるその建物に、俺はふらふらとした足並みで失礼した。

 足元の材質が変わったことを触覚で覚えてからというものの、

 頭上でなる聞きなれたメロディーを遮って、

 中にいる人の声が聞こえて来た。

 だが、毎日教鞭をとっていて、擦り減った精神は既に限界であって、

 だから俺はその声に応対する様子をみせることなく、足早と進んでいった。


 きっと薄情な野郎だと思われてしまうんだろう。

 でもそれも仕方がない。

 疲労は、作り笑いでも誤魔化せやしないのだから。

 俺はそのまんま缶ビールと煙草を購入して、また足早にそのコンビニを離れた。

 静寂の世界へ戻ると、そこは変に生暖かかった気がした。

 風が霧を運んで、暖かな風が体に触れると、

 俺はふと、切ないような感覚を思い出した。

 だから少し行儀が悪かったが、歩きながら缶ビールを開けて、脳死なまま、空を見上げた。


「……喉の奥がいてえな」


 少し枯れ気味だった俺の喉、んな中、缶ビールを空に煽って一気に飲んだ。

 全身に走る感覚に震えながら、喉を通る液体の魔力に瞬時に心を奪われた。

 舌から走る電気信号に驚き、喉ごしの快楽に驚き、そして満足に一口いってから、少し溜めるような仕草をみせて。


「ああああああァァ……!」


 腹の底から伝播した快感を、そのまま変換して声に出した。

 仕事をしてきて、こんな情けない方法でしか、疲れを根こそぎ奪う事が叶わないという事実に、多少なりとも虚しさを抱く部分もあるのだが、こんな社会の荒波にもまれ、日夜働き詰めのおっさんには、こんな情けない楽しみが、お似合いでもあるとも思っている。


 情けないなんて体裁は、

 気にするだけもう無駄であると分かっているからだ。

 取り繕う事の無駄さを思い知っている。

 どれだけ誠実であっても、誠実である事が、すべてではなかったのだ。


 しばらくすると、俺は公園に座って、空を仰いでいて、

 しばらくすると、ふと追憶を始めた。


 あれは空を眺めていた時、

 心臓はどくどくと小太鼓を叩いている様で、うるさかった。

 今感じているような暖かな風よりも少し温度が高くて、

 その空気には近所に咲き並んでいるひまわりの香りを含んでいた。

 確かそれは夏で、

 地平線の手前に見える街を囲んだ山々の付近は、

 まだほんのり明るかった。

 しかし、その上部は既に漆黒であって、

 その中に点々と写っていた小さな星空には、はっきりと目を奪われた。

 それで、その星空を背景に、浴衣を着て、草履を引きずりながら、こちらへ視線を送る彼女を、まだ俺は覚えていた。


 まだ、あの時は若かった。


 俺は存外へたれだった。

 あの時の答えを、未だに悔いている節がある。

 でも思い返しても、思い返しても、俺はどう転んでも、

 ああ伝える他なかったのは、今でも変わらぬ結論だ。

 だが覚えているのは、そう、

 彼女の泣いた顔と、

 水面に映った綺麗な打ち上げ花火で、

 俺はまるでその夏の事を、どうやら、

 未だに、鮮明に追憶できるらしい。


 ああ、このモヤモヤはとても嫌だ。

 全くこの感覚は、いつからあるのだろうか?


「はあ」


 吐いた空気が、自重で地面に落ちた。


「あ」

「……は?」


 唐突に聞こえて来た甲高い声に、俺は思わず腑抜けた声を漏らしてしまった。

 ふとその声のした方へ顔を向けると、そこには何もいなかった。

 だが感じる存在感は、間違いなく、

 そこに何かいると警報を鳴らしていて、

 俺は全身が張り詰めたような緊張で寒い中、ベンチを立ち上がった。


 するとやっと見えたその人影は、

 癖毛を一本跳ねていた、みすぼらしい少年であった。


「え、え?」

「……あ」


 立っていた少年にはまるで見覚えがなかった。

 だが、酒に酔いすぎて幻覚を見ていない限り、

 間違いなくそこに子供が立っていて、

 それは異常であった。

 故に、大人として、当たり前の言葉が口から滑り出した。


「……深夜に出歩くのは危ない。家に帰った方がいい」


 大人になると、平然とつく嘘に危機感を覚えづらくなっていく。

 まあ、深夜に出歩くのは実際危険である。

 それも子供となると、何が起こるか分かったもんではない。

 危険なのは深夜という部分ではなく、

 子供が、という部分であるからだ。

 だから俺は適切な言葉を、酒に酔った状態でもよく伝えることができた。


 しかしその子供は何かを言う事はなかった。

 ただ首を傾げて、街灯を背に、

 何かを伝えようと口をぱくぱくとさせている、

 まるで教室で飼っていた金魚のようだった。

 いいや、そんな場合ではない。

 この子を家に届けなければ、きっと俺は後悔してしまう。

 親御さんも心配しているだろうしな。


「お、おはようございます」


 朝の挨拶をされた。


「……」


 何故?


「……おぉ、お。あれ、ちがいますかね?」

「……そうだな。こんばんはが正しいよ」


 あたふたとしながらも、少年はまた首を傾げていうので、

 職業病なのか知らないが、説明をしてしまった。


 そのとき、やっと少年の姿を見ることが出来たのだが。

 その服装は酷く汚れていて、滅多にみない灰色の髪色をしていた。

 というか、よく見てみると、着ているのは本当に服なのだろうか?

 ただ布を上に羽織っているだけにみえるのだが……。


「……そうなんです、ね。あはは」


 俺がじろじろとみていると、それを気恥ずかしそうにしながらも、

 俺が行った説明に対し普通に受け答えをした。

 ただやっぱり照れくさいのか、右手を頭の後ろに回して、茶化すようにとぼけていた。


 そんな少年に向けて、俺はスイッチが入ったかのように言葉を吐く。


「えっと、お家はどこかな? あれだったら送るけど」


 という軽率な誘い。そして、言ってから思い出した。

 これって下手したら誘拐みたいな扱いになって、

 捕まってしまうのではないか?

 でも俺教師だし、多少大丈夫……いやいやだめだ。

 問題になってからは遅い。


 最近はほんと、周りからの視線もあって問題だけは勘弁なんだ。


「あ、ごめん。やっぱり交番に」

「家ならそこらじゅうにあるじゃないですか?」

「え?」


 俺が訂正しようとしたときには、すでに少年が言葉を呟いていた。

 一瞬訳が分からなかったせいで、また腑抜けた声が飛び出してしまった。

 家ならそこら中にある。

 ってそりゃ住宅街だからそうに決まっている。当然の事だが。


「う、うーん? あれ、何か間違えましたかね」


 あいや、あーそういうことか。

 多分俺が言葉足らずなだけだったんだろうな。


「……君の家はどこ? って事だよ」


 っと、やっと言うと、少年はきょとんとした顔のまま、次は逆の方向に首を傾げてみせて。


「ぼくの家? ないですね」

「……ないって、親御さんっつか。お父さんとかお母さんは、どこにいるんだ?」

「そんなのぼくにはいません」

「えっ」


 ええっと。うーんと。

 ちょっと待ってくれ、

 こんな時に複雑な家庭の子供と出会うなんて少し運が悪いんじゃないか?

 今やっと激務を終え帰って来たばかりだぞ。

 勤務時間外に子供に気を遣うのは流石に苦痛――。


「あ、えっと、そうですね。いや、おかしいですよね。ぼくって明らかに子供ですし」


 少年は俺の戸惑いを察したのだろうか分からないが、

 少年は少年らしからぬ雰囲気を言葉の端々に織り込ませながら、

 何かを飲み込むようにうんうんと頷いた。

 そして少年は一度息を吸ってから、俺を見つめた。


「ごめんなさい。でも信じてください。ぼくには親もいないし、家もないんです。ただの、そう、浮浪児なだけで」


 浮浪児って……お前くらいの子供が知ってるような単語なのか?

 いや、案外アニメだとかで使われたりするんだろうか。

 ならまあそこまで凄い話でもないのかな。

 なんにせよ、少し言葉を話すのが上手い感じがあるな。

 よく喋る子にありがちな感じの。


 ってまてまて、浮浪児で家がなくて親もいない?

 訳アリすぎて聞いていいのかすら分からなくなって来た。

 どこから突っ込めばいいんだ。

 それに、俺はこの子をどうすればいいんだよ。


「……とりあえず、迷子なら交番にいく?」

「迷子? いえ、迷子ではありません。なるほど、確かにぱっと見ではそう見えてしまうのかもしれないのですね。ぼくはほんと、ただの浮浪児なので何もお気になさらないでください。ぼくがこの公園にやってきたのも偶然ですし、帰る家も、当たり前に家族もいないのでね」

「……やけに饒舌に喋るな」

「饒舌でしょうか? 子供らしくないのかもしれないですね。少し口数を減らしましょう」

「いや、別にそこまでやらなくてもいいんだけど」

「ではこのままで行かせていただきますね。お名前を聞いてもいいでしょうか?」


 こ、この子供は何者だ?

 明らかにその見た目どおりの年齢が出してい大人っぽさじゃねえって。

 口調から感じる丁寧さ、仕草から伝わる誠実さ、

 全て嘘偽りがないようにみえる。

 こんな子供が当たり前に溢れちゃたら困るぞ。


「だめだ。これは大人の判断だ。子供は従いなさい。さ、交番へいくぞ」


 流石に俺も、酔いをふっ飛ばしてそう立ち上がった。


「困りましたね」


 子供は自嘲げにいう。

 そんな子供へと、俺は近づいていく。

 足でしっかり公園の土を踏んで、白い街灯に集まった虫らの近くへいくと。

 子供は両目を細めて、小さな唇を開閉した。


「――――」


 その刹那の雰囲気はしっかりと、印象に残っていた。

 なぜか。それはきっと、その瞬間に子供が口走った言葉のせいでもあると思うし、

 腰くらいの大きさの子供へと近づきながら、

 強引な事を言っていたからというのもあると思うし、

 そしてなにより。


 近づけば近づく程、その少年のみすぼらしさが目に入ってきて、

 だから、この後に言った言葉に、俺は軽く度肝を抜かれた。


 ――ふと、少年は両目を細めて、

 小さな唇を開閉して、最後には口角を、寂しそうに上げてみせた。


「ぼくは人間じゃないんです」


 言葉の意味を飲み込む前に、一風吹いた。

 それはあの、ひまわりの匂いを感じさせる感触が確かにあって。



 ふと、またあの子を思い出した。


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