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白の教皇

 それは今は昔の話。


 『私』は、深く絶望していた。

 『私』は愛を司る神として生まれ、目に映る全てのものを等しく愛した。

 『私』は特定の誰かを特別に愛することはなかった。

 そんな『私』を特別に愛してくれる存在など、いるはずがなかった。


 ……いや、一人だけ。

 双子の兄のような存在がいた。

 『私』は本当は彼に、こんな『私』を愛して欲しかった。でもそれは最後まで言えなかった。

 彼が、『私』ではない他の人間を深く愛していたから。

 『私』は彼の特別になれなかったのだ。


 だから、『私』は彼のもとを離れた。

 もう二度と会えないと悟ったとき、半分はほっとした。けれどもう半分はその理不尽に(いきどお)った。


 パトロンが世界を受け継いだら、自分の世界から出ることはできない。そこで消滅する以外の選択肢はないのだという。

 いったい誰がそんなルールを作ったんだろう。

 『私』は彼のために、そのルールを(はい)させたいと思った。

 私たちパトロンにとって、そのまた神のような存在に歯向かおうと思ったのだ。

 あの時は、自暴自棄だったのかもしれない。失うものは何もなかったし、もしそれで自分が死んでも後悔はなかった。


 そして『私』は、まつわろぬ神……喰らう神(イーター)たちと接触するようになった。

 彼らの満たされぬ心に救いを与える代わりに、『私』の計画に協力してもらった。


 私たちより上位の存在を引きずり出すには、上位の存在が(いつく)しんでいると思われる、数多の世界を生み出す仕組みそのものを壊してみせるのはどうか、と考えたのだ。


 つまり、すでにある世界を破壊する。

 一つの世界には無垢の命が数十億、それ以上存在する。それを、喰らう神(イーター)たちの力を借り、『私』は消滅させていった。


 上位の存在は現れなかった。

 代わりに、他のパトロンの強い反感を買った。


 『私』や喰らう神(イーター)を消滅させるために動いたのは、『司書』……最古最強のパトロン……サリオンだった。

 性格は、『私』と正反対。非情、冷徹で自己中心。誰かを愛する、大切にするなど一切なく、ただ記録と秩序の維持だけを淡々と行ってきた存在。




 ……あれ。


 白の教皇の記憶をなぞっていた私はここで首を捻る。


 サリオンは無愛想で淡白だけど、非情で冷徹かと言われるとピンとこない。守ってくれたし、あれこれ説明してくれたし、面倒見がいい方とすら言える。


 夢のようなふわふわとした意識のなかで、記憶の欠片の声に耳を傾ける。


喰らう神(イーター)たちの多くが彼に消滅させられた。私はパトロンの力の衝突そのものでも上位の存在を動かせないかと考え、彼と戦うことにした。


 彼は私との対話を一切拒絶した。

 怒るでもなく、(さげす)むでもなく、ただ淡々とその圧倒的な見識をもって私のあらゆる手を封じ、どんな卑劣で冷酷な手段も(いと)わず使った。

 私はたくさんのものを犠牲にしてきた手前、負ける訳にはいかなかったのだけれど。誰のためでもなくただ自分の秩序のために、脅威(きょうい)となる教皇(わたし)を滅ぼすというその不動の意思の前に、私自身は何を望んでいたんだろうか、ということが分からなくなった。……そして敗れ、封印された。


 無為(むい)に空を見上げて過ごしたこの数千年……私は何度も終わりにしようと思ったけれど』


 白の教皇は一縷(いちる)の望みを捨てられなかった。

 双子の兄との再会を。


『私に残ったものはそれだけ』


 そしてそれは、叶えられた。私の父こそがその、双子の兄だったのだ。そして私の父はそのまま消えてしまいたかった『私』を繋ぎ止めるために、ある提案をする。それが、私を子どもとして育て、一からやり直すこと。


『私の願いは、もう叶った。だから』


 あとは、私が私の願いを叶えたらいい。

 私は白の教皇とは違う。

 父と母に愛されて、守られて。万人を愛しながら自分の望みを口にできなかった教皇と違って、私は私自身の望みのために生きてきた。


(私の願い……)


 大好きな両親と一緒に生きたい。対等に役に立ちたい。

 白の教皇が目指した、パトロンの不自由な仕組みの解放。それは一つの答えなような気がした。そのために、世界を滅ぼしたり、戦ったりするのではない、他の手を探すこともできるはず。

 そして、もう一つ。




 †




 (まばた)きすると、静謐(せいひつ)な図書館の風景に戻ってきた。そこは、図書閲覧用の机が円状に並んだ小さな広場になっていて、このスペースを中心に、書架が放射線状に並んでいる。いわばここは、サリオンの内部世界の中心なのかもしれなかった。


 振り返る。


 銀髪碧眼の少年が、離れた場所で私を見上げている。


「外見が変化しないってことは、お前は教皇じゃないのかな?」


 問われて自分の手を見下ろすと、黒い横髪が視界に入った。

 白の教皇は白髪赤眼の小人族。外見は十ほどの人間の子どもと同じ。もう少し言うと遺伝病を患っていて性別はなかった。

 今の私の姿は両親が産んでくれたままの十六歳の人間の男だ。父と同じ黒髪に、教皇とお(そろ)いの赤い瞳。そして、学院の制服。


「ああ。もう教皇じゃない……んだろうな」


 教皇とは人に道を教え、導く者。困っている人がいれば力になりたいけど、教皇と誉めそやされるくらい何かをしないといけないとは思っていない。


「でも、教皇の意思は継ごうと思う」


 そう言うと、サリオンは目元にくっきりと(しわ)を寄せた。

 初めて見る表情に、私は思わずくすりと笑う。不快なときはこんな顔をするのか。


「だけど、君と敵対することにはならないはずだ」

「は? 上位の存在にちょっかいをかければ何が起こる分からない。俺は今の秩序で満足なの。余計なことをするなら()めさせる」


 冷たく言い捨てるサリオン。その背後に並ぶ書棚を見て、私はふと思いついたことを口にする。


「──備えておく必要はある。君が世界を渡り集め続けた知識の書庫の中に、上位の存在の手がかりもあるだろう?」

「穏便な手段をとるから見逃せって?」

「確実な手段だ。あと見逃せというより手伝えと言ってる」


 この膨大な本の中から手掛かりを探すのはあまりに非効率だ。ここの出入りも含め、サリオンの協力は必要不可欠。


「…………」


 黙るサリオンを差し置いて、私は鳥籠(とりかご)に囚われた喰らう神(イーター)を振り返った。

 気兼ねなく話をするには、そっちを先にどうにかした方がいい。教皇の記憶からその名前を探し出す。


「グレネス」

「わ、私のことを……っ?!」

「忘れていてすまなかった。あれからずっと一人で?」

「ええっ! 喰らう神(イーター)に戻るのはあなたの教えに反するとは分かっていたのですが、お救いしようと必死だったのです。こんな風にお会いできるなんて、夢にも」


 彼は教皇の熱烈な信奉者だった。だから学園祭で襲ってきた時は教皇と同じ名前の私が気に食わなかったんだろう。それで逆上して人前で能力を行使した。


「ああ、また会えて嬉しいよ、とても。けれど、悲しいね」

「も、申し訳ございません……もう二度としませんから」


 私は嘆息(たんそく)する。記憶が正しければこの懇願(こんがん)は二度目だ。


「分かった。ただ、罪には(あがな)いが必要だ。私たちには刑法がないけれど、それが定まる時まで、君は私が預かろう。サリオン、それでいいかな」

「……好きにすれば」


 一応断りを入れてから、私は鳥籠に足を向けた。

 そして、もう少しで到達しようというところで、


「わっ」


……コケた。


 しん、と静まり返る。

 サリオンがはあ、とため息をついた。


「なんなのその運動音痴。治んないの」

「めんぼくない……」


 思いっきり眉間に(しわ)を寄せているサリオンに緩く謝る。


 教皇の封印を解いたことで、父が言っていた同化、というのができたとは思う。喰らう神(イーター)やサリオンが使っていた力の使い方が今ではなんとなく分かる。でも、運動音痴は残念ながら元からだ。教皇は戦いの中に身を置いていたこともあるが何千年も閉じ込められればその勘も残念ながら鈍るというもの。ぶつけた膝をさすりながら立ち上がり、檻の中の男性に触れると、(とどこお)りなく私自身の内部世界に転送することができた。これは言い換えると幽閉(ゆうへい)というやつだ。

 こうやって内部世界に入れるのは割と簡単なのだが、サリオンが始めに説明した通り、中から出るのは難しい。所有者は出入り自由であるが、そうでない者が外に出るには、所有者を上回る力で領域を壊さないといけない。そして、無理やり壊された方には精神的なダメージがいく。


 つまり、今の状況はどうなっているかというと。

 私は今、サリオンの内部世界にいる。

 だから、学園祭に戻りたければ、サリオンの内部世界を壊して脱出するしかない。

 もしかすると、彼はそのダメージで一日二日寝込むかもしれなくて。


 私はサリオンに向き直る。

 

「ここの、時間の流れは?」

「外の一秒がここの一分ってとこ」

「そうか……」


 ゆっくり息を吐く。つまりここで三時間過ごしても向こうではたったの三分ということ。それでも幼馴染がどうなってるか確かめないといけないし、父も心配しているだろう。早く戻らなければとは思うが。

 私は難しい顔で(つぶや)いた。


「今戻ってサリオンが寝込んだら、クラスの出し物が……」

「は? ──っ」


 サリオンは目を点にしてから顔を背け、笑いを(こら)えるように口元を押さえた。


「……何、寝込まないし。ていうかクラスとかどうでも……ふ、くく」

「私は一度やりかけたことは何だってやりきる方なんだ」

「そういう生徒会長は学園祭に穴あけちゃっていい訳?」

「私はもともと病気をしやすいから、いなくても回るように組んである」

「そりゃ優秀なことで」


 軽口を叩き合う。いつものテンポ感に、なんだか無性(むしょう)にほっとした。

 それにしても、彼が私を避けていた理由は解消したんだろうか。まあ、それはおいおい考えよう。今はこうして、話ができるだけで充分だ。

 サリオンは私を見上げて、少しだけ口角を上げた。


「でもやっぱりダメ。お前を早く戻さないとあいつが面倒くさいもん。学園祭はお前がなんとかして? ファナ」

「……仕方ないな」


 だから、あいつって誰のことだ。十中八九(ちち)だろうけど、質問してまた呆れられるのも(しゃく)なので聞き流すことにする。

 サリオンは何もないところから本と羽ペンを取り出して、何かを書き込んだ。


 その瞬間、図書館の景色が揺らめく。


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