追いかける
サリオンが図書館に来ない。
二週すっぽかされたあと、学園祭が近くなって、図書館に顔を出す暇がなくなっても、私はずっと彼の姿を探していた。
特殊能力を使っても、見つからない。授業が終わったらいつの間にかいなくなる。学院の図書館にはいないし、地区の図書館にも、書店にもいない。約束していた訳ではないし、放っておけばいいとも思う。ただ理由がわからない。
「ファナ、昼メシにしようぜ」
「ありがとう」
幼馴染のいつもの誘いに礼を言う。
「でも今日は、サリオンと話があって」
「あ、じゃあ誘う?」
「いや、……一対一で」
「そっか。あでも、もういないな」
倣って振り返り、その姿が確かにないことを確かめてから、私は渋面を作った。
「私は避けられてるんだと思うか?」
「おれが分かるかよ! サリオンはいつもいつの間にか消えるじゃねーか。あれ只者じゃないぜ」
それは私も思う。
しかし幼馴染の言葉が加わると少し意味が違ってくる。私から言わせれば幼馴染の方も結構只者じゃない。一本気で気持ちのいい性格の彼は、プログラミング部のエースでありながら喧嘩も強い。というのは、私の父から体術と、私ほどではないが特殊能力の手ほどきも受けているからだ。それに昔から『かくれんぼ』が得意で、隠れられると気配がまったく分からないし、逆に人を見つけるのも早い。
「……捕まえるの、協力してくれないか?」
「え、あいつなんか悪いことしたの?」
「別に。でも、私は納得してない」
「ああなるほど、でた、ファナの癖だ」
「そうか?」
「そうだよ。気にかけてるやつの様子がおかしかったら絶対に見捨てない」
「いや、今回はそういうんじゃないよ」
「何が?」
「だから、別に彼が元気がないからとかじゃなくて」
では、何だというのだろう。
サリオンと二人で過ごしていた時間が快適すぎて、私が諦めがついてない。そんな説明しづらい執着心に、口ごもる。
「へー? ファナが個人的な理由で誰かを追っかけるなんて、珍しいこともあるんだな。仕方ないから協力してやるよ」
「……助かる」
幼馴染は親指をグッと立てて笑った。
それから手分けして探したのだが、学院のどこにもサリオンの姿が見当たらない。
おかしい。特殊能力を使ってるのに、見つけられないことがあるだろうか。あの目立つ三つ編みが……。いや、それで探しているのがそもそも間違いなのかもしない。まさか、変装してるのか?
改めて探し直してみる。
あのアイスブルーの瞳。カラーコンタクトを入れてる自分を棚上げすることになるが、そこまで変えるなんてことはしてないはず。
「……見つけた」
屋上。
パーカーにフードを目深に被り、ドア上のスペースであぐらをかいている。
私は携帯端末で幼馴染に連絡を入れてから、屋上に向かう。
階段を上がっている間に、遠視中のサリオンがふと何かに気づいたように顔を上げた。そしてくっきりと眉根を寄せる。
……ちなみに、失念していた訳じゃないが、私は体力がない。そして階段は狭くて能力をあてにできない。最後の十二段を前に踊り場でぜいはあ息をしていると、屋上のドアが開いた。
淡々とした声がする。
「俺に何の用?」
用? そういえば、用らしい用はない。
私は息を整えながら答える。
「……急に来なくなった、理由が……知りたかったんだ」
「……」
サリオンはフードを被ったまま、アイスブルーの瞳でこちらを見下ろしている。
「だから、昼食でも……」
「嫌だ」
はっきりとした言葉に、心臓が怯えるようにどくんと音を立てる。
「ごめんね? さっさと言っておけば良かった。嫌だ」
「なんで」
「…………」
サリオンが階段を降りてくる。そして、私の横を通り過ぎて、そのまま踊り場を曲がろうとする。
なぜ、答えない。
何が、嫌なんだ。
「待っ……」
追おうとしたとき、疲労で足がもつれた。
落ちる。
慌てて手すりに手を伸ばすが、届かない。
衝撃を覚悟して、目を瞑る。
しかし、それはこなかった。
とさ。と、受け止められたからだ。
間近で感じる体温に、どこかでほっとする。
「──だから嫌なんだ。……もう、追っかけるのやめてくんない」
『だから』とは、何だ。私がこけるから? 助けないといけないのが嫌? 触れるのが、嫌? じゃあ放っておけばいいだろうに。初めて会った日のように。なぜ、そうしない?
緩く捕まれた腕。手袋ごしのその手つきは壊れ物を扱うように丁寧で。
アイスブルーの瞳の奥に、消しきれない感情が揺らめいているように見える。一体それは、何の感情?
「──望むのを」
私はどうにか言葉を絞り出す。
「望むのを、諦めているように見える」
幼い頃、父が私に懇願したように。
「……」
サリオンは否定しない。眉を寄せて、何かを堪えているように私には見えた。
「言ってくれないと、何も始まらないだろう」
彼はゆっくりと目を閉じる。
そして、薄く開けた。
暗く沈んだ瞳孔の色は、深い深い海色に見えた。
「…………お前に、聞かせる望みなんてある訳ないよ」
すっと手首を引っ張られて、指先が階段の手すりに届く。
サリオンは今度こそ立ち止まることなく、階段を降りて行ってしまった。
私は緩慢な動作でその段に腰を落とす。
私に聞かせる望みなんてない…………?
ひどい侮蔑だと思った。対等な相手だと思ってきただけに、悔しくて胸が痛い。
私に何があれば、サリオンは認めてくれるというんだろう。
(『ファナ=ノア』……白の教皇)
きっと私と関係のあるその名。何故か分かる小人の古い言葉。懐かしいと思った名前。こんな重要そうなことを、曖昧なままにしているのがいけなかったんだろうか。
ふと、母が昔言ったことを思い出す。……『神さまの子ども』。
あれが、ただの言葉遊びじゃなかったとしたら。──神さまとは、誰のこと? 私に、教皇みたいなこの力の使い方を教えたのは。
†
「それで、僕の研究室に来たんだ。幼馴染が心配してたよ」
「……すまない」
携帯端末を机に置いて、湯気ののぼるコーヒーを渡してくれたのは、父。今はこの学院の物理化学の臨時教員兼大学教授をやっている。
「授業くらいサボっていい。ゆっくりしてってくれ」
ぽん、と私の頭を撫でて、父が隣に座った。
ここに来た理由を転校生と喧嘩しただけ、と説明した一人息子に対して、ずいぶん甘い対応だ。
「……ラズ」
私は父の名前を呼んだ。
「……私に、隠していることはないか」
父は、少し沈黙してから答える。
「隠してるというか、まだ話してないことならある」
そして、ひどく話しづらそうに大きく息を吐いた。
「ちゃんと話すよ。でも、ご飯まだだろ? ピアの弁当が半分残ってるから、先にそれ食べよう」
食事の後、父は「結論から言う」と切り出した。
「ファナは、五百年前にいた白の教皇の、魂の一部を持ってるんだ」
「一部?」
妙な言い回し。私は怪訝に思いながら、続きを促す。
「白の教皇は死んでない。今もあるところに封印されてる。僕はそこから教皇の魂を少々切り出して、自分の子どもとして育てた。……それで教皇の望みが叶うなら、と思って」
「封印って……どうして」
新聖書では教皇は旧帝国の進軍を止めるために自ら犠牲になった、とあったはずだが。封印されたというとだいぶニュアンスが変わってくる。
「詳しい経緯は僕もまた聞きだから分からないけど……罪を犯したんだ。処刑される寸前だったのを命乞いしてくれたひとがいて、封印に留められた」
罪。
処刑されるほどの。
どくんと、心臓が波打った。
ぬくぬくと幸せに育ってきた私が本当は罪人だったなんて。
父は私の様子を心配げに見ながら、あえて明るく努めているようだった。
「もちろん、ファナの性格上、このまま忘れたままがいいとは言わないだろうと思ってたよ」
「その記憶を……もう一度戻す方法があるのか」
「ああ。ある場所に存在する封印を解放して、本体と同化すればいい」
同化。イメージが湧かない単語が出て来て私は頭を振った。
「私は人間じゃないのか」
「いずれ人間じゃなくなる。僕らはそれを『パトロン』と呼ぶ。……『神』、と言ったら近いかな」
「まさか……」
文字通り『神の子ども』? それを知っている両親は何者なのか。
「──それは、一体」
「全能の存在。──って言いたいけどそうでもない。世界の維持のために常に命を搾取される。下手に力を使うと寿命が縮むから、見守るくらいしかできないんだ。だから『世界の後援者』、なんてな」
「ラズが、この世界の神様?」
その問いに父はふっと笑った。
「……神は、自分の世界を新たに創造するか、既に存在してる世界を引き継ぐか、それまで放浪を続けるかの三択しかない。放浪をする者の中には、他のパトロンの命を喰って力をつけようとする奴もいるから、気をつけないといけない」
三択しかない? それは一体誰が決めたのだろう。
父は目を伏せた。
「ああ、まだあった。無限の生に絶望して、死を選ぶこともできる。……だから、何のために命を使うのか、よく考えるんだ。僕は、ファナにいつも心から満たされてて欲しい。僕たちは、ファナのやりたいことを心から応援するよ」
研究室の外から、チャイムの音が聞こえる。
父は優しく繰り返した。
「ファナ。僕は君を愛してるよ。僕は、奥さんがいるから存在し続けられる。君にも、そんな存在ができることを、心から、願ってる」