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キャンプと父と、私の力

 私は自分の黒い髪が好きだ。

 なぜならこの色は、父(ゆず)りだから。


 今日は、ずっと楽しみにしていた父とのキャンプの日だった。

 自然科学者の父は、よく一人であちこち旅行という名の冒険をする。危険だから今まで連れて行ってもらえなかったけど、五歳になってようやく許可が降りたのだ。

 バケツに川の水をくんで覗き込むと、髪の黒と一緒に、赤の色彩が目に飛び込んでくる。両親と違う、不思議な虹彩の色。両親はこの色が大好きだと言ってくれるから私も嫌いじゃない。聖ノア教会の『白の教皇ファナ=ノア』と同じ、赤い目。


「ファナ。あんまり水辺でぼーっとしてると、ミズチにさらわれるよ」

「ミズチ?」

「怪物だよ。最近増えてるから」


 私は首を傾げた。

 怪物なんて街では見たことがない。でも確かに、テレビのニュースではよく騒がれている。対処するには、戦車並の銃火器を用意するか、特殊な能力を使える訓練された人が動員されるそうだ。


「じゃあ、キャンプなんてしてる場合じゃないんじゃないのか」

「まあ、追っ払えば済むし」

「どうやって?」

「そーだなー……」


 父は意味深に腕を組む。爽やかスポーツマンみたいな外見の父がそうすると、なんだかとてもかっこいい。無精髭放置してるけど。


「そうだ、ファナに守ってもらおう」

「ええ? わたしがどうしようもない運動音(うんどうおん)ちだってこと、知っているだろう」

「だいじょーぶ。身体はちょっとくらい動かせるようにはなってほしいけど。それよりファナには別の才能があるはずだから」

「さいのう?」


 手招きされて、父の膝の上に収まる。

 すっぽりと包まれると、とても嬉しい気持ちになる。

 背中から感じる温かさが、身体中を満たしていくみたいだ。


「ほら、この力の気配が分かるなら、扱い方も分かるだろ」


 気配? 体温じゃなく? 首を傾げてから、父が言うところの『気配』を意識してみる。遠熱ストーブみたいな熱波に近くて、確かにただ体温があったかいなーという感じじゃない。


「対抗して、追い出してごらん」

「えー」


 すごく快適なのに。

 でもせっかく教えてくれるなら、期待に答えたい。言われるままに体の中に意識を向ける。

 身体の中にある、自分でないもの。おおらかな父の気配。その源流を辿(たど)ってみる。大好きな黒の髪をいつもみたいに引っ張って、わしゃわしゃしたい。

 背中ごしに、父が笑ったのが分かった。


「っははっ! そうきたか。すでに完璧(かんぺき)じゃん! さすがファナ」

「これでいいのか?」

「ああ。その力を何に浸透させるかで効果が変わる。空気を支配すれば、空も飛べるだろ。でも落ちたら危ないからあんまり無理するなよ」


 私は目をぱちくりさせた。そんな簡単な話なんだろうか。

 父のレクチャーは続いている。


「まずは無生物に力を与えて、どう変化させたいかイメージすることからやってごらん」

「……むせいぶつ?」

「生き物じゃないもの。……そういや、僕ははじめこの修練、一週間やって、ようやく石がちょっと形状変化したかな……」


 一週間って。七回寝たらキャンプが終わる。私はぷりぷりと怒ってみせる。


「ろん理がはたんしてる。それでどうやってきょう、かいぶつから身を守るんだ」

「そこは大丈夫。ちまちま操作するのは大変だけど、ぶっ壊すのは簡単だ。怪物に対しては力を通して、ぐちゃぐちゃになれって念じればいい。強いやつには効かないだろうけど、大概はそれでなんとかなる」

「それはかなりグロテスクなことになりそうだな……」

「うん、僕は血生臭いの苦手だからできれば見えないとこでやってくれな。それと、家族以外の人の前でもなるべく見せないように」

「見せてはいけない?」


 怪物を倒せるなんて、国から重宝されて、テレビの取材を受けて、ヒーローみたいですごいことなのでは。父はそういう目立ったりみんなのために命を張るというのは嫌がりそうだが。

 思案しながら首を傾げると、父は肩をすくめて笑って見せた。


「ファナの力に目をつけて、戦争の駒にしようとする人が出てくるかもしれない」

「……せんそう」


 敵は怪物だけではないのか。赤い目に空を飛ぶほどの人知を超える力なんて、伝説の白の教皇の再来みたいだと担ぎ出されることになるのかもしれなかった。


「えーと……。うん、分かった」


 今のところは、言われた通りさっきの感覚で色々なものに触れてみよう。キャンプの日程は一週間。せっかくの父との時間を無駄したくないから。




 三日目の昼、ようやくつむじ風を起こせるようになった私に、父は木を切って()き木を準備する任務を与えた。

 四時間かけてどうにか河原の細い木を切り倒したのだが、今度は「湿気ていて使えないから乾燥させろ」と言われる。水分を飛ばすイメージと言われたがピンと来ず、それなら温めればと言われるままにやってみたら発火し、腹を抱えて笑われた。

 四日目には、水汲みのために川に寄った瞬間、水から蛇みたいなものが出てきて川に引き()り込まれた。後から知ったがこれがミズチというらしい。水の中でパニックになりながら、とにかく水面に上がりたいと念じたら、川の水が巻き上がって一帯が大惨事になった。おかげで夕ご飯は魚、魚、魚。残りを干物にすると言ってさばく父の手つきが下手すぎて笑った。父は料理が雑すぎる。あんなに美味しい母の手料理を食べてるのに、塩をかける以上の調理手段が思いつかないらしい。味音痴(おんち)が遺伝しなくて良かった。でも、怪物を倒した父の短剣さばきはすごくかっこよくてびっくりした。

 五日目、だいぶ慣れてきて、起こした風で自分の身体を持ち上げることに成功する。河原の木より高く飛び上がったら、(とんび)みたいな怪物が飛んできたけど、風を操ったらあっさり地面に落ちた。自分の力だけで怪物をどうにかできたのは初めてで、父が喜びのあまり抱きついてきた。

 六日目、広い範囲に力を展開しておけば常に様子が把握できることに気づく。たいして疲れないので、常時そうしておくことにした。これで運動音痴でも飛んでくるボールとかは対処できるようになるかもしれない。お盆に乗せたボールも動かないようにできそうだ。ちょっとずるいけど。




 最終日の晩。

 テントに二人で大の字に寝転んで月輪が輝く空を見上げながら、私たちはいろんな話をした。


「都会にいるより、僕と一緒にあちこちいきたい?」


 父のそんな問いに、私は少し考えてから首を振った。


「たまにでいい」

「なんで?」

「わたしはもっとたくさんの人とかかわりたいから」


 父とのキャンプは楽しかったけれど、毎朝たくさんの人と挨拶して、年取った人から先日みたいにとっても幼い子まで、いろんな人と話してみたい、と思ったのだった。そうしていれば、対等な友達も、いつかできるかもしれない。


「……だめかな」

「駄目じゃないよ」


 父は鷹揚(おうよう)に微笑む。

 でもそうしたら、研究の旅に出ていく父とはまた会えなくなる。それは、(さみ)しいことだった。

 ごろんとうつ伏せになってから、横に寝転ぶ父の大きな胸によじ登る。父は頭をわしわしと()でてくれた。


「寂しい? じゃあ、すぐに戻ってこよう」

「すぐって……次は何ヶ月もかかるところに行くって言ってただろう」

「別にそこに行かなきゃいけない訳じゃない。この近くの平原にも未開拓の場所はたくさんある」

「……ラズが行きたい場所に行けなくなるのはいやだ」


 父の足手纏(あしでまと)いにはなりたくない。そんな風に言うと、頭の上で父がまた笑った。

 ラズ、というのは父の愛称。人前ではお父さん、と呼ぶが、物心つく頃から何故かずっとそう呼ぶように教え込まれたから今更変えられない。それと男の子なのに一人称が『私』なのも両親の教育のせいだ。

 ふと思いついた疑問をぶつけてみる。


「ラズは、どうしてけっこんしたんだ? ほとんど一緒にいられないのに」


 料理上手で時々おっかない母。けれど父が何ヶ月も家を開けている間、こっそりため息をついているのを私は知っている。

 じっと見上げると、父は微笑んだ。


「……当然初めは悩んだよ。でも、弟が後押ししてくれたんだ。ただ本当は、弟は、僕たちの結婚を応援したくはなかったんだらしいんだけどね……。あの頃僕はそれに気づいてなかった」


 頭を撫でてくれる手は優しいのに、父はなんだか悲しそうだ。


「こうかい、している?」

「そう、だな……」


 父の手の動きが止まる。

 そして、どこか真剣な眼差しで、私を見下ろした。


「──なあファナ。……もしもこの先、本心と違う判断をしないといけない時があったとしても、僕たちには、本心を隠してしまわないって約束してくれ」

「え?」

「僕たち三人とも辛い気持ちになるんだとしても。一人で抱え込まないでくれ。嬉しいことは一緒に喜んで、辛いことは分け合うのが家族だ。約束、してくれ」

「……分かった」


 私はこくんと頷く。すると、父は私の頭を乱暴に撫ぜた。そして、にかっと口角を上げて、私の好きな笑顔を作る。


「約束は、絶対に守ること。これ家訓な。ほらファナも言って」

「えっと……『やくそくはぜったいにまもる』」


 繰り返すと、父は満足げに頷いた。

 なるほど。本心を隠しちゃ、ダメなのか。


「……あの。だったら。こないだから思ってることを。言っても、いいだろうか?」


 おずおずと聞いてみると、父は大きく頷く。


「もちろん。何?」

「弟か、妹がほしい」

「は」


 父の笑顔が固まった。なんか赤くなったり青くなったりするのを眺めてたら、がばっと両腕で抱きしめられて、表情が見えなくなる。


「それ、ずっと我慢してたのか──ありがとな、話してくれて」


 優しい言葉にほっとしていると、父はぽつぽつと話し始めた。

 父自身に兄がいた思い出や、小さな従兄弟の面倒を見た話など。私は、こないだ会った子たちのことを思い出しながら、その話を聞いていた。やっぱり、きょうだいっていいなと思う。


「…………それから」


 父はまた誰かのことを語った。よく聞こえなかったけどその声が少しうわずっているような気がした。がっしり抱きしめられてて、顔は見えないけど。


「……どうして僕はいつも、大切な人の望みを何一つ叶えてあげられないんだろうな。ごめん、ごめんな、ファナ」


 なんで私に謝るんだろう。弟か妹が欲しいっていうのはそんなに大変な願いごとだったんだろうか。私は戸惑いながら、どうしたら父が元気になるか考える。


「……わたしのいちばんのねがいごとは、もうかなっているよ」


 私はそう言って、精一杯、父の大きな体に腕を回してみた。


「ラズや、ピアがいつも笑っていてくれたら。わたしはしあわせだよ」

「……っ」


 父と母が幸せなら、私も幸せ。そう伝えたつもりだった。

 頭の上で、父が息を飲む音がした。何か、いけなかったのだろうか。父は突然、


「違うだろ、ファナ」


と言って、私をきつく抱きしめた。少し、苦しいくらいに。


「僕らは、いつでもファナを想ってる。これからも想い続ける。それを望んでいいんだ、ファナ」

「よく……わからないよ」


 私が父や母の幸せを願うのと同じように、父と母も私を願ってくれている。それは分かっている。とても幸せだと思う。でもだからといって、父と母の愛を無限に欲しがるようではいけなくないか。

 けれど、苦しいくらい強く抱きしめたまま、父は繰り返した。


「望めよ!! そうでなきゃ何も変わらない! 始まらない!」

「……──」


 なぜ父はこんなに必死に言葉を重ねるんだろう。私自身が望まなければ、何も、変わらない……?


「ファナ。なんでも叶うなら、どうしたい」


 もう一度問われて、私は言葉に詰まる。

 ……小さな私の、小さな願いごと。


「…………ラズやピアと、ずっといっしょにいたい。二人がなかよしなのがうらやましい。わたしをおたがいと同じくらいに大切にしてほしい。…………でも」


 私はすでになんとなく知ってる。それは私が子どもだから思ってることで。


「わたしにはわたしの人生があって、いつかは親ばなれして自分の大切な人を見つけないといけない、そうだろう?」

「だーかーら! いいんだよ!」


 父は私の体を一層強く抱きしめた。


「ずっと一緒にいたい、って願いの何が悪いんだ。望んで、伝えて、行動していい、当たり前だろ。親離れは、そうしたくなったときにすりゃいい」

「……」


 『望んでいい』……父の切実な言葉を、胸に刻み込みながら、私は恐る恐る首を縦に振る。

 すると、ようやくほっとしたように腕の力が緩んだ。


「約束、な」

「……うん」

「あ、きょうだいが欲しいっていうのもさ、もしかしたらその気になるかもしれないしどんどん言ってよ。たまには協力してくれな? その分、いっぱい一緒に過ごそう……あとは」


 父は抱擁(ほうよう)を解いて、私の目の前にピッとゆびを立てた。


「──勉強しようか。そうすれば、もっと対等になれるだろ。何年経っても、お互いに、助け合える関係でいられる。な?」


 そして父はその晩、私が眠るまで、背中をぽんぽんと優しく()ぜてくれた。

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