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転生歴女 〜メイドとオタクと歴史の終わり〜  作者: 平沢ヌル
第七章 スワンプマン
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第1話 自由な空の勝利者

 あの蒸気機関車の公開実験、それに続く大災厄の撃退から実に八年が経った、新帝国歴一一四〇年の初夏のことだった。


「なんで、あんたがここにいるんだ?」

 もう何度か口にした疑問を、俺はまた、口にしている。

 それは、俺の実家の庭先での出来事だった。昔、アリーシャと一緒に、ヘロンの蒸気機関を作っていたのと同じあの庭。今では人の手を入れているので小綺麗になっていて、農園風に設えた貴族の別荘みたいにも見えるかもしれない。

「わたくしは人気者なんですの。このわたくしの訪問を受けただけ、名誉と思いなさいな」

 庭の楡の木の下に出したテーブル、その向かい側に座る女はそう言って、にんまりと笑うのだった。

 女の服装だ。黒に近い濃い紫と白を基調としたドレスで、その色の境界が体を斜めに横切る形をしていたが、ディティールは古典的な作法を踏襲していて、奇抜すぎる印象は与えない。体にぴったり合っているが露出は多くなく、女性的な魅力を強調しつつも下品にならない、そういう意図で作られているとのことだ。彼女曰くこれが最新の流行であるらしく、この鄙びた田舎家には似つかわしくない。一方の俺は、紹介するほどのこともない極々普通の格好。今は机に向かう仕事が主になっているので、昔みたいなボロ服ということはなく、二十八歳の大人としては普通という程度の格好だ。なんだか偉そうな女の訪問を受けるには相応しくないかもしれないが、実家なのだからこれぐらいは許してほしい。


 蒸気機関車の件の名誉の負傷で俺は、準貴族の称号を手に入れていた。だから本当は、ヨハン・エードラー・フォン・ヴェーバーと名乗るべきなんだろうが、いらない問題を抱えそうな気がして、普段はヨハン・ヴェーバーで通している。それに正直こんな称号なんて、本音を言えば嫁の実家に箔を付けておきたいだけだろうと、俺はそう思っている。

 相変わらず俺は、公爵直属の工房で技師として働いていた。その後、一気に出世するとかいうことはなく、技師としての腕前を上げるのは地道な仕事の積み重ねでしかない。この点では、いいことと悪いことがあった。まずは悪いことから。

 例の怪我で俺の右足は義足になったが、左足の骨にもばっちり罅が入っていて、回復には時間が掛かった。結局、杖無しでは歩けない体になったと、そういうことだ。これは、技師としての仕事でも大いに問題だった。なんせ技師の仕事には体を使うことがとにかく多いのだから。

 良いことと言えば、そうやって怪我した分の傷病年金が支給されることになったことだ。そんな大きな額ではなかったものの、余剰の収入で家には余裕が出た。そして農園の管理に人手を割けるようになり、だから今俺はこうしてのうのうとお茶なんかしていられるということだ。技師としては、頭脳労働に特化することで、設計の仕事が多く回ってくるようになったのは、結果的にいいことだったのかもしれない。


 一方の、この女の方だ。

 ヴィルヘルミーナ・フォン・リンスブルックは、政略結婚の道具にはならなかった。婦人服の仕立て屋、お針子を沢山雇い、各国のご婦人たちに最先端の流行を届ける、そんな道を選択したということだ。若干二十一歳でもう売れっ子になっており、近隣の各国を飛び回る生活らしい。

 実家であるリンスブルック侯爵家は最初、カンカンだったようだ。侯爵令嬢ともあろうものがお針子の真似事などと、なんて勘当寸前の勢いだったらしいが、なんだかんだで娘は可愛いものらしい。今ではヴィルヘルミーナに実家の家紋を使うことを許しているとのことだ。実際の縫製はお針子の仕事で、ヴィルヘルミーナの仕事はデザインと採寸に限られるらしいが、侯爵令嬢みずから採寸されるというのは、巷の女性たちの心をくすぐるものであるらしい。


「これであなたも、思い知ったのではございませんこと?」

「何が?」

「わたくしが、強くて賢い女だって」

「…………ああ」

 そのことか、と、俺は思い出す。そう言えば八年前のあの日、なぜか俺の見舞いに訪れた彼女は、そんなことを言っていた。

「理解した、そう言ったはずだが?」

「……そういうことではありませんの! 証明する必要があったってこと、それぐらい理解しなさいな」

 なぜ俺が怒られているのか、そっちの方が理解はできない。

 でも、理解できることもあった。ヴィルヘルミーナは準備していた、あの頃から入念に。下手くそな絵(というと怒られる、これは個性的な画風と呼ぶべきらしい)でデザインの原案を練り、行く先行く先に自分が特注した帽子を持っていき、また何種類もの衣装の組み合わせを試していた。

 それからアリーシャの婚礼にいそいそと力を貸していたなんてこともあったが、あれは今から思えば、ヴィルヘルミーナの野望実現の輝かしい第一歩だったようだ。

 成功者とはそういうものであるらしい。地道なだけが取り柄の俺とは大違いだった。

「まあいいわ、皆様のご様子を教えてくださいな」

 そんな風にヴィルヘルミーナは話題を変える。

「知らん。公宮にもあんまり足を踏み入れんしな」

「あら、どうして」

「まずあの夫婦の、妙に緊張感のある惚気に当てられるのが面倒くさい。それにチビ共ときたら容赦ないからな、こっちは歩くのにすら苦労するってのに。最近また家族が増えたんで、足を踏み入れるたび大変な騒ぎになってるし」

「まあ、それは大変ですわね。足を踏み入れるたび家族が増えるなんて」

 あの連中についてはその程度で、ごく軽い話しかしなかったと思う。

 だが、何かがおかしくないか、この会話。

 俺は考え込む。ヴィルヘルミーナの言葉の正確な意味、そこから導き出させる現実像、そのイメージについて。

「……怖っ」

 この女は一体、何を言っているんだ。


「それより何より、エックハルト様ですわ! どうされているのか、全く存じ上げませんわよ!」

 エックハルト・エードラー・フォン・ウルリッヒ様。ヴィルヘルミーナ相手には昔から面倒見の良かった、リヒャルト殿下の元側近だ。考えたら、リヒャルト殿下とこのヴィルヘルミーナが遠縁で、リヒャルト殿下とエックハルト様が遠縁なのだから、エックハルト様とヴィルヘルミーナも遠縁であるはずだ。

 エックハルト様だが、最近、側近の地位から退いて公国の政務官の一人になっていた。リヒャルト殿下の治世の安定において功があったエックハルト様を、殿下は大臣に取り立てようとしていたらしい。しかしエックハルト様は断った、身分が低すぎるからとのことだった。リヒャルト殿下の遠縁なら低すぎることはないとこっちには思えるが、身内の優遇によって貴族社会の秩序を徒に乱すのは不満の種になりかねないというのが、エックハルト様の考えだったらしい。

「今は公宮を出て、都の中心の一等地のお屋敷に住んでいるらしい。半分は仕事場みたいで、部下が出入りしてる、そんな話は聞くけどな。だが、私生活に関しては何も教えちゃくれないな。あんまり健康状態が良くない、なんて噂だけは聞くが」

 エックハルト様の日々の執務は半分はそのお屋敷で行われているらしく、公宮に顔を出すことは週に二、三日程度になっているらしい。昔はリヒャルト様がいる場所にエックハルト様がいないことはなかったのだが、それも時の流れということなのかもしれない。彼に関する明るい材料は、側近としての仕事から解放された分、内政の細かい部分に目を向ける機会が増えたことだ。抜け目のないエックハルト様らしく、その仕事で日々辣腕を奮っているとのことだ。暗い材料といえば、側近を辞めたこと自体がその健康状態に関わる話かもしれないということだが、それも詳しい話は伝わっては来なかった。

 エックハルト様が側近の職を辞した分で、殿下の秘書のような仕事をしているのは、今ではあのアリーシャの方であるらしい。よりによってあのアリーシャがあのエックハルト様の代わりにはなれないとは思うが、まあ、諸々含めて上手くやっているんだろう。俺はそう思っている。

「まあ、エックハルト様の健康状態が、ですの。心配ですわね。……ヨハン、エックハルト様のお屋敷にカチコミに参りますわよ! そうですわね、明日にでも」

「……一人で行ってくれ」

「案内させるに決まってるでしょう。わたくしはお家を知らないのですから」

(……可哀想なエックハルト様)

 俺は少し同情する。少なくともエックハルト様にとっては、詳にしていない私生活のベールをひっぺがされるとか、そんな程度では済まなさそうだ。カチコミの件といい、足を踏み入れるたび家族が増える件といい、どうもこの女は発想がおかしい。


「あのな、やめてやれよ。エックハルト様が結婚しているのかどうかすら、俺は知らんからな」

「ヨハンは知りたくありませんの?」

「知りたくない。他人の結婚生活のことなんかな。俺は自分のことで精一杯だ」

 こんな話題になるのか、と、俺は正直閉口している。

「あら。ご結婚されるんですの?」

「しない。そんな相手もいない」

 俺は少し不機嫌になる。もう俺も二十八才になっていたし、結婚を勧める声だってなかったわけじゃない。だが、そういう話はとりあえず断るのが俺の方針だった。

「あらー、女性に臆病でいらっしゃるのね」

 そう言うヴィルヘルミーナはなぜか嬉しそうだ。

「それでいいから、そういうことにしといてくれ」

「あんまり良くなさそうですわね」

「俺は片足がないんだよ。反対側の足だってろくに使えない、杖無しでろくに歩けやしない。あの時の傷だって残ってる。そんな人生だからって、誰かの慈悲に縋って生きるのは御免だね」

 ヴィルヘルミーナは少し考え込んでいる。

「思ったよりずっと、怖がり屋さんですのね、ヨハンは」

「なんだそれ」

「だってそうでしょう。誰かに頼ったら惨めになる、なんて、ありもしない惨めさを怖がっているだけじゃございませんの」

「…………」

 俺は、少し考え込む。

 案外頭が回る、あるいは口が立つのだ、この女は。

 ある意味じゃ、言っていることは正しいんだろうが。

「……冷静に、考えてみろ。片足が無くて義足を引きずってる男と、五体満足な男がいたとする。あんたが結婚相手を選ぶとしたらどっちを選ぶ? 建前や慰めなんか要らないぞ。俺は貧乏くじ扱いされるのも嘘吐かれて生きるのも、どっちも嫌なんだよ、それだけだ」

 しかし、ヴィルヘルミーナはそんな俺の抗弁をふん、と、鼻で笑うのだ。

「どっちでもいいですわね。その条件だけだったら」

「おかしいだろ明らかに。それ以外の違いが全くなければ、悪い方の選択肢なんて選ぶわけがない」

「全く違いのない人間なんて、この世に存在しませんでしょう?」

「あんたは、見てもいないからそう言えるんだよ。足がなくなった痕を。気持ち悪いと思うはずだ」

「わたくしも見くびられたものですわね。試してみましょうか?」

「やめろ! 何なんだあんたの、その発想は」

 もう一度ヴィルヘルミーナは鼻で笑い、そして言う。

「あなたが考えるほど、わたくしは弱い女ではありませんわ。あなたの片足やその拘りのことなんて、このわたくしを阻止する役には立ちません。わたくしはもっと強くて、自由。この空はわたくしのもの。そう覚えていらっしゃいな」

 こんな勇ましいことを言う女にはこの時代、そうそう出会えたもんじゃなかっただろう。しかし俺は、少し考え込む。

 それは、この女が俺の結婚相手に立候補してる意味にならんか?

 意識しないで言ってるのか?

 意識しているとしたら、こんな堂々とした求婚、聞いたことあるか?

 これは、その意図を無視したら失礼に当たるのか?

 そんなこと言うほど、この女が俺のことを好きだったことって今まであったか?

 というか俺は、この女に求婚したいと思っているのか?

 俺はこの女が好きなのか?

「……三分。三分、考える時間をくれ」


 結論から言うと、俺はヴィルヘルミーナに求婚はしなかった。そう言って残念に思われるんだったら、少なくともこの場では、って付け加えてもいい。でも、ないとは言えないし、あるとも言えない、それだけだ。

 恐る恐る探りを入れてその発言の真意を問うてみたが、別にそういう意図じゃなかった。この女らしい話だ。安心したのか残念なのか、俺にも正直よくわからない。

 俺が何を考えているのかって? ただ単に、彼女には俺の人生を支える存在になって欲しいとは別に思わない、それだけだ。自分の人生を生きる自由な人間でいてくれれば、それで十分だ。自分が飛べない空を自由に飛べる人間を、そこそこ近くで見ていることを許される、それはそれで結構悪くない。


 正直俺には、あいつらの恋愛に掛ける情熱が理解できない。恋に落ちた男も、恋に落ちた女も、みんな凄まじく強欲だ。強欲という言葉が不適切なら、エゴイストだと言ってもいい。身も心も捧げ尽くしながら、同時にそれ以上のものを期待している。問題は、そうする人間の多くが、お互いに崇拝し尽くされるような、神のごとき価値は持ち合わせていないことだ。それは、ただの人間の身で、自分の究極の価値を試しているということでもある。だが俺にその価値はあるか? 好奇心、対抗意識、劣等感、そんなもののために恋愛ごっこに首突っ込んで、結果鼻面引き回されて、地団駄踏むのは馬鹿のやることだ。どうせその時が来たら、逃げ場がなくなったら、好むと好まざるとに関わらず暴力的に振り回されるんだと思っている。なんせ俺はあの色ボケ姉貴の弟なんだから、血は争えないだろう。


 だけどアリーシャは言っていた。アリーシャですら想像を絶するほど、ままならぬ恋心の暴力に虐げられ続けている人間がいると。それに一度捕らえられてしまうと、絶対に逃れられないし、逃れることすら望まなくなる。たとえそれが自分を決して幸福にはせず、それどころか少しずつ壊していったとしても。アリーシャは違う、彼女はいつだって自分の幸せと未来を望んでいた、それが一番の選択だと信じ続けることができたと。でもその人は自分の幸せも未来も望まなかった。でもそれが誰のことなのか、アリーシャは決して教えてはくれなかった。


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