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転生歴女 〜メイドとオタクと歴史の終わり〜  作者: 平沢ヌル
第五章 恋
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第4話 病原菌

 私、前世の世界を生きていた新井若葉は、この世界を舞台にした物語を知らない。だからこの世界の筋書きは分からないと、そうずっと思っていた。

 ところが、分かることがあったのだ。元の世界と地理が同じ。ついでに言うと、植生も同じ。そうすると、どうしても共通する条件が出てくる。

 エルダーフラワーとブルーマーロウって覚えてる? 本当は味が分からないエックハルトが、私に淹れてくれたハーブティ。あれは卑劣な罠だったわけだけど、でもそう考えるとちょっとおかしい。そんなことを知ったのはずっとずっと、信じられないぐらい後のことだったけど。

 でももっと重要な、歴史のアイコンとなっている作物がある。中世ファンタジー世界のジャガイモ問題、そんな風に呼ばれている話を知っているだろうか。ヨーロッパといえばジャガイモ料理、だから中世風ファンタジーを描くと、ついついジャガイモ料理を出しがちだったりする。でもジャガイモは大航海時代以降に、アメリカ大陸からもたらされたもので、世界観に矛盾が発生する。そんないちゃもんみたいな、でも楽しい雑学ネタ。

 ところがこの世界では、それは問題じゃない。この世界でも新大陸の発見があった。歴史の細かい経緯が違っていても、人間の生存を支えるそれが変わろうはずもない。ジャガイモの移入と浸透、文化的受容が起きている、まさにそんな時代だったのだ。

 そして、そんな作物の移入に伴う、厄介な問題がある。それがいつ起きるかは分からない。だがいずれは起きることで、予測可能な問題だった。とはいえ、予測できたところで、対処可能だとは言えなかったのだが。


「ジャガイモが、腐る?」

 私がそんな話を聞いたのも、試験製造工房でのことだった。こんな小ぢんまりとした工房だけど、いろんな技術的課題が持ち込まれる。中には農作物の作付けなんかの話もあった。

「我々が確認したところでも、一部の種芋がやられています」

 こう返事をするのは、工房の責任者の人。頭の禿げた小柄な眼鏡の中年男性で、素朴な印象だった。名前は確か、ウワディスラフ・エミル。

 それは、保管していた種芋の一部から発生するという。一見変色しているだけで、深刻な異常になっているのかどうかは分からない。だがそれを植え付けても育たない。さらに厄介なことは、一部にそれが発生すると、同じ場所に保管した種芋に広がっていくという話だ。そう、疫病のように。

「……ああぁぁ」

 私は顔を覆う。そして、呻き声を上げてしまう。

「お前は、何か知っているのか?」

 私の様子に気がついたリヒャルト様が声を掛ける。だけど、すぐには私は答えられない。すぐにリヒャルト様は、ウワディスラフさんとの話に戻る。

「とにかく早期の対処が必要だな。どうする?」

「変色した種芋を復活させられないかどうか試みています」

「具体的な技術提案があるか?」

「まだ良い案は見つかっていません。対処方法があるのかどうか、他国での状況や、農家の報告を待っています」

「当座はそれが最善策か」

 そんな会話を二人はしている。

「駄目です。絶対駄目。彼らの過ちを再現することになる」

 私の声は冷たかったと思う。リヒャルト様は怪訝そうだった。

「アリーシャ?」

「変色した種芋は焼却処分してください。それから、一緒に保管していた種芋も。疫病が広がらないように、種芋の管理を徹底して。それしかできることはありません。それを作付け農家にも周知して」

「容赦がないな。慎重さに欠けているんじゃないか、逆に」

「駄目。私の言うことを聞いて、信じてください」


 ジャガイモ飢饉の再来だ。再来と言うのはおかしいかもしれない。予定よりも早く、それが発生してしまった。

 十九世紀ヨーロッパでジャガイモの疫病が発生し、各国は大打撃を受けた。中でも凄惨を極めたのが、ヒースの荒野のあの島、アイルランドだ。大飢饉が発生し、人口の少なくない割合が死滅した。餓死って、エネルギー不足で死ぬんじゃないんだって。栄養失調から抵抗力が落ちて、熱病に冒されて死んでいくと言う。

「……その国は、どうなった? どんな対処ができた?」

 低い声でリヒャルト様は私に尋ねる。

「種芋の復活は試みていたと思います。コンテストとか開いていたはず。だけどどうにもできなかった。必要なのは、ジャガイモに頼っていた分の食糧を、外国から輸入して庶民が飢えないようにすることだった。だけど、彼らはそれをしなかった、その島を支配する宗主国の人々は。代わりにやったことは、利益を確保するために、飢饉が発生した国から逆に食糧輸出を続けることだった」

 これは飢餓輸出と呼ばれるもので、歴史の中で何度も信じがたい悲惨をこの世界にもたらしている。ジャガイモ飢饉の後も行われていたし、正直元の世界の現代でも行われていたと思う。

「多くの人々が死んで、死ななかった人は国外に逃れました。残った人々はこれ以上ないほど理解した、これは自分たちの王じゃないと。王権は排除されたけど、問題は残りました。減った人口は戻らない、その後時代が進んでも、元々の問題が解決しても。増えた分だけ流出してしまうから」

 リヒャルト様は顔を覆う。最悪の中でも最悪のシナリオだ。特に、彼のような支配者たる者にとっては。

 でも民の側からすると、この話はここでは終わらない。アイルランドは独立を獲得して、それから何十年も経て、豊かな国になった。そして流出していった人々は、今でもその故郷を思っている。だから人口が完全には回復しないのが何故なのか、私には分からないのだけども。とにかく現実はそうなっている。

 元の世界の歴史について考えると、宗主国のイギリスが欲を出さず人道的配慮に勤めていれば全てはもっと良くなっていたと言い切れるのか、何があるべき歴史だったのかは分からない。一方の私たちにできることは、私たちの現在に執着して、一人でも多くの人間の命を守ろうと努めることだけだった。

「……失策、だな」

 そんな風に彼は呟く。小麦の生産に頼るこの国で、その状況に変化を与えるべくジャガイモの作付けを奨励したのは、リヒャルト様自身でもあった。

「そんなことは……ないです。ジャガイモの浸透自体は歴史の必然です。食糧計画を一つの作物に頼らないことは合理的でもある。ここでの問題は、それを作物の種類だけじゃなくて、一つの作物の中でも行わなければならなかったということ」

「どういう意味だ?」

「原産地で行われていたのは、いくつかの品種を常に撒いておくこと。一つの品種が病気にやられても、他の品種が生き残ってくれれば壊滅的な打撃にはなりません。たとえそれが美味しくない、生産性の低い品種であっても。多様性を確保することです、今の私たちにできるのは」

「原産国からいくつかの品種を輸入する、できることはそれだけか」

 鋭い目でリヒャルト様は呟く。私はそれに応じる。

「ええ。病原菌自体を排除する方法は、今の私たちは持っていませんから」

 それから明るい材料、気休めでしかないのかもしれないが、それを口にする。

「良いこともあります。私たちは、まだそんなにジャガイモには頼っていない。その国がそんなに悲惨なことになったのは、庶民がジャガイモしか口にできなかったから。多様性を確保するのは、どんな場合でも重要です」


 少しだけ気がかりなこともあった。ジャガイモ飢饉の原因となった疫病菌と、今回のジャガイモの病気の原因が同じかどうかは分からないことだ。だから私が未来予測が正しいのかどうかも、本当には私は分からない。分かるのは、疫病は必ずいつかなんらかの形で流行するということだけ。それに、今回の提案は、それが正しいのかどうか、合理的かどうかも、すぐには結果が判然としない。それは実は、結構な問題だった。


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