第12話 帰国の挨拶
「お邪魔いたします」
本日がランデフェルト公国に戻る、その出立日だった。馬車が使えるとは言え、十日以上を要する旅路である。
私は許可を得て、ヴィルヘルミーナ様の私室に通された。
「あら、あなたなの」
「お別れのご挨拶に参りました。私たちは本日戻ります」
そう言いながら、私はついつい、部屋に目をやる。
豪華なお部屋だった。それはもう、目が潰れそうなほどの。
ランデフェルト公宮も十分豪華だったけど、この豪華さはレベルが違う。格別に裕福だというリンスブルック領、そして、愛娘の寝所とあればまた力の入れようが違うようだ。前世でも今世でもずっと庶民だった私には、冷静に観察しようとすると情報量過多で脳がバグりそうなお部屋だった。
「……勘違いなさらないでね。別に、あなたのためじゃありませんことよ」
ツンとしてヴィルヘルミーナ様はそう言う。
「リヒャルト様は冷たいお方でした。苦しい規則を課して、それでご自身も、わたくしも、縛り付けることを至上の義務となさるお方でしたわ。……でも、今は違います」
いろいろな感情が私の脳裏を過ぎる。それなのに、うまいこと、それを表現する言葉が出てこない。
「あの方は今、ご自身にも熱い血が通っていることを感じる幸せを感じていらっしゃる。それなのに、またその冷たい規則に逆戻りする、なんておっしゃるから。わたくし、ひっぱたいてさしあげたのですわ」
私は苦笑いせざるを得なかった。
リヒャルト様と相対した時は、どんな場面でも気丈に振る舞わなければならない彼が可哀想だと、そのことだけ考えていたと思う。だけど、一つ見逃していた点があった。それだけでは、リヒャルト様がヴィルヘルミーナ様に冷たかった、その言い訳にはならない。
リヒャルト様は多分、理解されたくてたまらなくて、それを渇望していて、だけど理解してはもらえないと、そう思い込んでいた。だから、勝手に決められた伴侶のヴィルヘルミーナ様に不満だった。理解してほしいとは自分では言わず、ただ態度で突き放すだけだった。それは一人の男性として、感心できる精神性ではない。それは彼の、人からは容易に理解できない子供っぽさではあるのだが、伴侶であることを義務付けられたもう一方のヴィルヘルミーナ様にとってはそれでは済まない。誰も彼を子供としては扱わず、正すことも注意することもできないのだから、そんな状況がずっと続くことだって有り得た。
先日のあんな会話で、リヒャルト様は変わることができるのか? そんな簡単な話ではないだろう。彼はきっと、ちょっと言葉が過ぎるし、ちょっと冷たいし、絶望的に口下手なのはきっと、これからだって変わらない。それから、リヒャルト様がヴィルヘルミーナ様のことを、結婚してもいいと思うほど好きなのかと言ったら、多分そうではないんだろう、少なくとも今の時点では。ヴィルヘルミーナ様は愛らしい女の子だけど、だからリヒャルト様が愛さなければならないかというと、そんなことではない。そんな内心にまで口出しできる人間は誰一人としていない。
ただ一人の伴侶から、かけがえのない存在として愛されることは人生の至上の喜びなのかもしれない、今の私にはよく分からないけど。それでも、たまたまそこにいるだけの一人からどれだけ愛されるとか、それとも愛されないとか、そんな降って湧いた試練を逃れられない義務、至上命題にしなければならないのは、いかにも苦痛な人生だ。
そんな人生を選びたくない。私だってそう思う。
「わたくしも、熱い血が通う幸せを感じたい。でも、リヒャルト様のように、ではありませんことよ。わたくしはわたくしのやり方で、世界で一番幸せな女になってみせますわ!」
意気揚々とヴィルヘルミーナ様は宣言する。
みんな何か、勘違いしていたんだ。私はそう思った。
ヴィルヘルミーナ様は、リヒャルト様に愛されることを、じっと待っていたんじゃなかった。
愛は人間にとって最大のテーマであること、それはたぶん、否定しようがない。だとしても、政略結婚をすなわち女の幸せとするのは、女を愛の道具と見做しているのと変わらない。それは、愛というテーマ、それが投げかける問いかけの答えにはなっていない。幸せな政略結婚だってあるだろう。だけど、そうでなかったら、それ以外を選んだっていいはずだ。




