打ち萎れる 名訳 隠れ家
「運命」は、唐突に、それでいて勢いよく、扉をたたく。岩戸は会場全体の意識が自分の指揮棒に集中していくのを感じながら、それを一気に振り落とした。そうだ、その感じだ。運命はやはりこんな風に動き出さねば。音楽との戯れは永遠のような、一瞬のような、なんか不思議な感じだ。岩戸はオーケストラを導きながらぼんやりと自らの運命を思い浮かべた。
「何だね、今回の指揮は。」楽団マネージャーは、岩戸が入ってくるなり激怒した。それは岩戸に少なからず衝撃を与えた。「えっ…。お言葉ですが、私の指揮のどこがいけませんでしたか…?」「そうだな、まずはつまらん。お前のやっているそれはお前の演奏じゃない。楽譜をただなぞっただけだ。」岩戸には意味が分からなかった。楽団で初めての演奏、岩戸はそれなりに気合を入れて取り組んでいた。それなのに、「しばらく、お前には暇を与える。おれの言いたいことが分かったら、戻ってこい。」話は終わり、とばかりにマネージャーは岩戸に背を向けた。
それから1か月ほど、岩戸は自分の部屋に閉じこもって過ごした。自分が誰なのか。何をしているのか。しばらく音楽と関わりたくないのは確かだった。ある日、夕食を買いにスーパーへ行った帰り道、1人のストリートミュージシャンが弾き語りをしていた。その人の歌はところどころ外れていて、曲の解釈とも若干合っていない部分も多々見受けられたが、何故か生き生きしていた。そして、岩戸は気付けばそれに引き込まれていた。
2日後、岩戸は楽団に戻ってきた。「随分と時間がかかったな。やっと理解できたか?」「完全に理解できたかは…まだ分かりません。ですが、もうつまらないとは言わせません。」マネージャーは大きく息を吐き、満足したようにうなずいた。「それなら、お前の演奏をしてみろ。隠れていた分、しっかりと世界を照らしてもらうからな。」
指揮と翻訳は似ている。どちらも発信者の意図を理解しつつ、自分なりにそれを新たな形に組み立てなおさなければならない。だから、時には気分転換も大事なのかもしれない。新しい何かに気付けるから。ふと、ポケットから手を出す。その手にはギターのピックが握られていた。
打ち萎れる
意味:①植物などが生気を失くして弱る
②期待通りにならず元気がなくなる。しょんぼりする。
名訳
意味:優れた翻訳・解釈。名高い翻訳・解釈。
隠れ家
意味:①人に見つからないように暮らすための家や場所。
②多くの人に知られていない、落ち着いて過ごせる場所。