朝憲 靫蔓 女神
……世界には人間が増えすぎた。彼らを止める
力は、今の地球にはない。黒い靄が嘆いた。そし
て、傍らにいる美しい牝牛に語り掛けた。誘惑の
神よ、そなたの力で人間をある程度抑えることは
出来んか。牝牛はその姿を美しい人間の女性に変
え、ゆっくりと頷いた。
女神は地球の各大陸に1粒ずつ種を蒔いた。そ
の種は5年の月日を経て木の幹よりも太い芽を出
し、その体から、甘く、艶やかな匂いを出し始
め、その匂いは各々偏西風やら貿易風やらに乗せ
られ、やがて人里へ辿り着いた。人間は警戒心が
強いのか初めはその匂いに体中を愛撫されるよう
な思いを抱きながらも、決してその匂いの元を辿
ろうとはしなかった。種類によっては匂いにつら
れないようにお触れを出す種もいたほどだ。しか
し、それも長くは続かなかった。とある王様人間
が多額の報酬とともに働き人間へ匂いの調査を命
じたのだ。調査を命じられた働き人間改め旅人間
はいくらかの犠牲を出しながらもついにそれを見
つけてしまった。それは今まで地球に存在しなか
っただろうと言えるほど大きな巨大樹群とその地
面に一面に群生している2メートルほどの靫蔓だ
った。一頭、また一頭と自分から靫蔓の捕獣袋に
入っていく。王様人間の元へ戻ってこられたのは
一頭だけだった。その雄人間は大量の金や銀、油
を王様人間に献上した。その一報は瞬く間に世界
中に届けられた。世界中に旅人間が溢れかえっ
た。やがて、他の四つも見つかると、人間は各々
で自身の縄張りを主張し始めた。争いが始まり、
たくさんの人間が死んだ。しかし、それ以上に多
くの人間が旅人間となり、争いよりも多くの人間
が死んだ。人間の数が20億人を切ったころ、よ
うやく異変に気がついた王様人間が世界中の靫蔓
を混雑しにかかるが、根元には希少金属、茎を削
れば大量の油、袋の中の液体は万物の薬、近所に
植えておけば土地が肥える。そんな誘惑に人間は
勝てなかった。その王様人間が暗殺されたことを
きっかけに、世界中で法治国家の体制が瓦解、各
地で新たな王様人間が生まれるととともに元いた
王様人間が消えていく、弱肉強食の時代が始まっ
た。
黒い靄はその一部始終を感情なく見つめた後、
隣の百合の方を見た。……儚いな。後ろから金色
に光る矢が飛んできて、黒い靄に突き刺さる。靄
はうつ伏せに倒れこんだ。地上で最後の巨大靫蔓
を切り落とすのが見えた。靄はふっと笑みをこぼ
した。これだから生き物を作ることはやめられな
い。一瞬靄が1点に凝縮し、爆散した。残った1
億の人間はこの後も繁栄を続け、再び世界を牛耳
り、現在へ至る。
朝憲
意味:国を治める根本の決まり。憲法。
靫葛
意味:ウツボカズラ科の食虫植物。葉の先につぼのよ
うな形をした袋があり、中に落ちた虫を溶かして消化し、栄養分を取り入れる。東南アジアを中心とした熱帯地域に自生する。
女神
意味:女性の神。




