第二十七話 漆黒と白銀
「して、あの少年は」
闇に包まれた一室。
淡く燃ゆる蝋燭の光が、朧げに声の主の輪郭を照らした。
映るは絹の如き白肌。対照的な漆黒の長髪を床に垂らしながら——その『少女』は瞳を伏せつつ問うた。
「事は書の通りに進んでいる。問題はない」
対し、眼前の男は淡白にそう答える。袴を纏い、無精髭を生やした壮年の男だ。
両腰にあるは二対の刀。男は腕を組みながら、眼下の少女を見やった。
「そう警戒せずともよい。なに、取って食おうというわけではい」
そんな男の様子を見透かしているように少女が言う。
機微も見せぬ人形のような存在。男は沈黙で返す。
「ただ私は現状を憂いているだけだ」
それにと少女は続ける。
「お主とて同じはずだ——のう」
ゆっくりと少女の瞼が開かれる。
映ったのは、幾何学的な文様を宿した金色の瞳だった。おおよそ人間のそれとは思えない異常な両眼。少女は少し顔を上げると、小さく歪な笑みを作った。
「——斬崎我郎。王の最強の傀儡よ」
◾️
目の前の化け物達を、綾乃はどこか他人事のように見ていた。
こうなってしまったのは、僕の方法が間違っていたからだろうか。
確定された現実。どうしようもない悲劇。
「キ……リザキィ……ッ!!!」
地鳴りのような咆哮が轟く。怒りと憎しみを孕んだ絶叫に、他三体の神骸も共鳴した。
「グォォォォォォォァァァァァァアッッ!!!」
と、その時——突如踵を返した神骸が後方の一匹を喰らった。
続けて一匹、もう一匹と抵抗の様子もないまま、かつて真久部だったモノに取り込まれていった。
「オレハ……サイキョウノ……!」
断末魔の如き絶叫を上げながら、それは姿を変容させていく。
白亜の肢体に出現するは無数の目玉。赤黒い触手が増殖し、融合——計六つの翼となって固着。白に塗りつぶされた顔面に巨大な口腔が現れ、喉奥から四つの赤子の顔面がひしめき合うように姿を現した。
おおよそ十メートルはあろう巨躯が綾乃の眼前に立ちはだかった。
「……それが、君たちの答えなんだね」
綾乃は神骸を見上げ、ぽつりと言葉を溢した。
そうして先程から振動を続ける刀を見やる。鞘には亀裂が刻まれ、節々から蒼い焔が噴き出していた。それは荒れ狂う一種の暴力となり、問答無用で綾乃の皮膚を焦がしていく。
(そうかい……“君も”もう限界か)
このクラスの〈神骸〉の出現となれば、あと一時間もせずに機関の兵士達が事態の鎮静に駆けつけるだろう。
ただ、こればかりは彼らに任せるわけにはいかなかった。
せめて落とし前は、自分でつけないと。
「真久部くん、君を救えなくてごめん。君たちの気持ちを分かってやれなくてごめん」
振り上げられた巨腕が、今し方綾乃のいた場所に叩きつけられる。
綾乃は軽く宙返りをし、太陽を背に瓦礫の上に着地した。
続けて放たれた光線を鞘で弾き、両の手をもって柄と鞘を握り締めた。
「でも、もう人間じゃない」
ゆっくりと刀を抜き払う。眼前に迫った〈神骸〉の爪を躱し、勢いを殺さぬまま鋭い蹴りを見舞った。地面に叩きつけられる〈神骸〉、変わらず綾乃はそれを天上から見下ろしていた。
「それが君たちの答えなら——俺も容赦はしないよ」
今からやろうとしていることが、正しいことなのか、間違っていることなのか、今の綾乃には判別がつかなかった。
それでも、やらねばならない。
殺さねばならない。
僕が間違い、俺が間違い、私が間違ったのであれば。
最後は——
すうと息を吸い、綾乃は刀を軽く投げた。
「私の身体を、心を、今一度君に捧げる」
頭上に躍った刀の刀身を、綾乃は力の限り強く掴んだ。
噴き出る血飛沫。砕け散る刀身。
「答えをくれ——〈神殺しの竜王〉よ」
瞬間——眩い極光が、世界を覆った。
激しく繰り返す轟音と明滅。荒れ狂う蒼焔が、地を、空を、世界をも燃やし尽くさん勢いで噴き上がった。
眼前の〈神骸〉は雄叫びを上げながら光線を放ち続けるも、そのことごとくが見えない障壁によって阻まれる。
「グォォォォオオッッ!!!」
痺れを切らした〈神骸〉が地を蹴り飛び上がった。
背に生えた六つの翼を展開し、神速をもって肉薄を試みる。
が、刹那。
「——」
視界を遮っていた砂埃から、漆黒の腕が伸びた。
肉薄の寸前にそれは頭部を貫き、更に死角から伸びたナニカによって胴体と頭部が両断された。本能的な恐怖を感じた〈神骸〉が一歩引くその寸前に両腕が斬り落とされる。
バランスを崩した隙を逃さない。コアに繋がる目玉を全て潰し、今度は両脚を切断、宙を浮いた胴体を鷲掴みにし、ようやく蹂躙は止まった。
血と臓物が際限なく飛び散る惨劇が終わり、煙が晴れる。
「オ……マ、ェ……ハ」
そうして眼前に現れた姿に〈神骸〉——否、未だ臓物の隙間に頭部が残存していた真久部が恐怖に顔を引き攣らせた。
「——」
それは、人とも竜とも形容できぬ存在であった。
二足を以て大地に立ち、しかし身体の全てが漆黒の竜鱗に覆われている。
臀部より伸びた尾は血に塗れ、両手からは蒼焔が燃えあがっていた。
見えているはずなのに見えない。ノイズがかったような存在。
「やめ……て、くれ」
綾乃の頭部が歪に震える。
ばかんと、口が開いた。
「やめて……ころさ、ないで」
真久部がじたばたともがく。しかし既にほぼ一体化している身。逃げ場はなかった。
虚無が迫る。果てしない、闇の最奥が瞳を覆った。
「嫌——」
ぐちゃり。
問答無用。綾乃は、真久部の頭部ごとコアを喰らった。
身体全体が脈打つ。綾乃は咆哮を上げると、竜鱗の隙間から蒼焔を噴き上がらせ、周辺に飛び散った臓物を吸収した。
——思考がぼやける。
揺蕩う波。身体。
——僕は、何をしているのだろう。
とても眠い。
もう一度、微睡に沈んで、
「あ、綾乃……?」
ふと聞こえた声に、反射的に振り向く。
そこには、そこに……いたのは。
——マリア?
「何よ……それ」
その光が眩しくて。
彼女に差し出した手が、
「悪いけど、今日の分はもう終わりだよ」
そんな声と共に、呆気なく両断された。
声の方向は上方。視線を向けた先に、それはいた。
——白い、竜?
白銀の竜鱗を纏い、金色の槍を二対携えた姿。
陽光を背に受け、影を綾乃に落としていた。
「——」
すぐさま戦闘体制に入り、地を蹴り上げようとするも、
「王と聞いてワクワクしたのにな、まだ話になんないか」
いつの間にか両足に二対の槍が穿たれ、瞬きの間も無く四肢が切断された。
「あ、綾乃!」
「——」
「まぁいいさ。出来るだけ力をつけて、僕たちを楽しませてくれ」
じゃあねと言い残すと、白銀の竜は一瞬で姿を消した。
薄れゆく意識。
最後に見えたのは、慌てた様子でこちらに走り寄るマリアの姿。
(……)
辿り着く前に、意識は闇の奥へと引き摺り込まれていった。
次回から第二章です。




