幸運と親切と
最近、俺―谷本真はとてもラッキーだ。
大好物の桜餅の最後の1つを買えたり、懸賞でギフト券が当たったり、とにかく運がいい。
「お前もそう思うだろ!やっぱり神様は見ていてくれてたんだよ」
職場での休憩の時間。俺は後輩の小原泉と一緒に昼飯を食べつつ、ここ数日におきた出来事を話していた。
「はぁ、よかったですね」
少し投げやりに泉が言う。もう少し驚いてもよくないかとは伝えなかった。
「なんだよ、お前。先輩の話はもう少し真剣に聞いた方がいいと思うぞ」
「一応聞いてますって。そう言いますけど、真先輩は何か神様に褒められるようなことしたんですか?」
不意に泉が俺に尋ねる。褒められること、か。それなら心当たりがある。
「当たり前だ。この前倒れていた女の人を助けたんだよ」
へぇと泉が声をあげる。
「今、意外だとか思わなかったか?」
「すみません、少し……。救急車呼んだとかですか?」
「いいや、家の近くのベンチで少し休ませただけだよ。そこまで大げさにしたくないとかで」
確か、あの時は彼女が休んでいる間だけ世間話をしてすぐに別れたはすだ。この近所らしいからそこまで心配しなくてもいいだろうと思っての判断だった。
「……それだけだといいですね」
小声で何かを言ったような気がするが上手く聞き取れなかった。
「うん、泉、何か言ったか?」
「いえ、別に何も。空耳だと思いますよ」
気にはなったが、時計を見ると昼休みの終わりも近い。急いで弁当の残りを食べ、午後の仕事へと備えた。
「お疲れ様でした、お先に失礼します~」
理不尽な上司からの要求にも耐え、ようやく退勤することができたのは20時を過ぎた頃だった。
この時間から帰って飯を作るのも面倒だし、そもそも食器を洗ったかどうかも怪しい。そういえばシンクに置きっぱなしだった気がする。
「はぁ~、ダルい……」
思い出すだけで気が重くなってしまう。それでも明日も仕事だ。疲れを癒すためにも俺は家路を急いだ。
「ただいま~っと」
夕御飯は外で食べてきたし、今日はこのまま風呂に入って寝てしまおう。片付けてないものは後回しだ。とりあえず、スーツだけは脱いでしまおうとハンガーに手をのばす。
その時、ふと何気なくベランダの方を見た。洗濯物が干されている。夜も更けたのでもう取り込んでもいいだろう。
そんなことを考えたとき、思い出してしまった。
あれ、そもそも俺って洗濯物をいつ干したんだっけ……?
自分の記憶を必死に辿る。今朝じゃないのは確かだ。遅刻しそうだったのでそもそも洗濯機を使っていない。ギリギリで出社時間に間に合ったのは奇跡に近く、今日もラッキーだと内心で喜んでいたのを覚えている。
背中にじんわりと変な汗が伝う。
夜に洗濯機を回したことなんてないし、両親が俺の家にくるという連絡ももらっていない。他に合鍵を持ってる奴なんていないはずだ。
そこまで考えて軽くパニックになる。
待って、待ってくれ。今俺の頭の中には最悪のことしか思い付いていないぞ。
誰かが、俺の部屋に侵入している……?
ちょうどその瞬間、玄関から物音がした。
ぞくりと悪寒が駆け抜ける。嫌な予感しかいない。当然、鍵をかけたので扉は開かない。
「頼む、このまま何も起こらないでくれ……」
そんな願いも叶わず、ガチャガチャとこじ開けようとする音がした。
「ひっ………!」
思わず叫びそうになるのを慌てて抑え込む。とりあえずこの場所から逃げないといけない。
今もガタガタと音のしている玄関から震える手で靴をつかみとる。幸い部屋は一階だったので、ボロボロになりながらもベランダから脱出したのだった。
なんとか逃げだした俺は、慌ててスマホから泉の番号を呼び出す。
「……もしもし、どうしたんですか?」
「泉、今からお前の家に行くから泊めてくれ!」
「え、どういう……」
最後まで泉の言葉を聞かずに通話を切った俺はそのまま後輩の家まで全力疾走した。
気は動転していたがなんとか泉の部屋へと避難することに成功する。
「……と、突然悪かったな」
「別に構いませんけど、急にどうしたんですか? 僕、ネット動画見てたんですけど」
そう質問されて、俺はさっきの出来事を話すか迷った。嘘ではないが、すぐに信じられはしないだろう。それでもこうして迷惑をかけているのだから伝えるしかなかった。
「じ、実は、俺の家に不審者が……」
そう切り出し、一連のことを説明する。ずっと黙って聞いていた泉が呆れたようにため息をついた。
「それってストーカーじゃないですか。誰か心当たりの人……っていませんよね」
当然だ、そんな奴がいたら警戒だってするしとっくに警察に相談してる。
「そうなると、やっぱり助けた女性とかじゃないですか?」
「え、冗談だろ。どんな人かも覚えてないのに」
「それは先輩の話でしょう」
「じゃあ助けない方がよかったのか?」
「いいえ、僕も先輩のしたことは間違ってないと思います。ただ、それによって相手が好意を持ったんじゃないですか?」
一瞬、俺は泉が何を言ったのか理解できなかった。そんな漫画みたいな展開、自分には関係ないと思っていたから。
「嘘……だろ」
「そう考えるのが自然ですよ。もしかして世間話だからと家のことも少し話したんじゃないですか?」
図星だった。具体的な住所までは告げてないが部屋のことを伝えたのは覚えている。
その瞬間、彼の家に来客を告げるチャイムが鳴り響いた。泉が不思議そうな顔をする。
「おかしいな、宅配とかも頼んでないのに」
そう言いつつもインターフォンを見ようとしたとき、来客者が扉をドンドンと殴りはじめた。
これは普通の来客じゃない。直感的にそう思った俺らは思わず顔を見合わせる。俺の家とは違い上の階にあるここからは逃げることはできなかった。
だんだんと殴る回数が多くなり、とうとうガチャガチャとドアノブを回しだした。
「開けて……開けて……!」
もはや、悲鳴に近い声をあげ開けるように訴えてくる訪問者。警察に通報した方がいいんじゃないかと頭の中では理解していた。しかし、立て続けに恐怖を感じると人の身体は動かなくなるようだった。怯えながらも、奴を無視し続けること数十分。
声が小さくなり、完全にドアを殴る音も聞こえなくなった。どうやらいなくなったらしい。
念のため、泉にインターフォンを確認してもらい、誰もいないことを確かめてから俺達はようやくほっと一息ついた。その時に俺らは気がつかなかった。
扉の下に一枚のカードがあることを。
そこには赤い文字で『待っててね、真さん』と書かれていることも、知るよしもなかった。
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