『泥熱』沼地源五郎
木曜の帰りは唯一、圭と楓の授業の終わりが一緒な日だった。
圭と慎也のコンビと同じように、香奈と全く同じ授業を選択した楓は、圭と帰ると言い別れてからそそくさと待ち合わせ場所へと向かう。
そしてそこで待っていた圭と会った瞬間を、多くの学生が目撃していた。
二人は有名人だ。
ギルド所属でわざわざデフォルメキャラが作られた二人が待ち合わせて、なおかつ楓から積極的に腕を絡ませたシーンは、あらゆる人に衝撃を与えさせた。
ともあれここ数ヶ月間で散々注目を集め続けた圭はそれをつゆほども気にする様子を見せず、少しばかり周りをキョロキョロと見回す楓を促して帰路についた。
「大学どう?」
「まだ始めだし、なんとも。でも授業の取り方とかもようやく分かってきたわ」
「そ。まあどっちにしろ、すぐに慣れると思うよ」
「それにケイとバラバラなのも理解した。去年、ホントに単位あんなにたくさん取ったの?」
「専門分野以外の必要分は全部取ったよ。具体的な専攻は来年期からだから、どの道に進むか決めるまでは超絶暇」
「むむむ。なんか羨ましく感じる」
「それなりに頑張ったからね」
琴桐邸から大学までは自転車でおよそ15分程度。チラリと後ろをついてきている好奇心の強い人たちを目に収めてから、圭はペダルを強く踏み込んだ。
「もっとスピード出そう。もう隠す必要はないんだからさ」
「うん」
歩道から車道に出て加速する。身体強化でもすればその速度は自動車以上にすらなり得る。
隣を走る車から窓越しに写真を撮られながら、あっという間に家へとたどり着いた。
「そういえばケイ。あなた、依頼を始めたって言ってたわね。どんな内容なの?」
「ああ、依頼?まあバイト感覚ではあるんだけどさ」
ギルドの依頼も複数の種類がある。当然護衛依頼も承っているし、テレビ出演やライブのような場での魔術披露などもある。それに、アルバイト感覚で企業への協力を行うことも多々ある。
その中でも、圭が請け負った依頼は少し特殊なものだった。
「帝一大学と契約してるんだ。基本的に週3で、実験とかの協力をしてる。年度始めだから新たなテーマとして取り扱っていきたいらしい」
「ふーん、魔術の研究ねえ。でも、魔力は物には定着しないじゃない。研究の意味あるの?」
「なーに言ってんの。大有りだよ」
研究、と言われてピンと来ない人もいるかもしれない。
魔法陣の解明や新たな魔術の研究などを思い浮かべる人が大多数ではないだろうか。
しかし、魔術および魔力でも科学と融合した研究は可能だ。
「僕が魔術を扱うとき、あくまで感覚的ではあるけれど、常に一定量の効果を得られる。じゃあ例えば、どんな元素が魔力を通しやすいか。これは僕たちが物質をエンチャントして使う際には有用な知識だ。他にも、僕が思いつくだけでもいくらでもある」
例えば、普段使っている鉄はどうだろうか。
鉄一つとっても化学組成や結晶状態によって性質は大きく変化する。
例えば、よくアニメなどに用いられる刀。
これは加熱と冷却を繰り返すことにより、組織状態を微細化かつ複雑化させることで、本来の鉄よりも強く、しなやかにさせている。
もしかしたら、一定量以上の魔力を込めたら逆に強度が下がるかもしれない。
おそらくそんなことはないだろうが、それはあくまでも経験だ。
実験してみれば、その場その場での最適な魔力量が異なるせいで武器として使う際もさらに応用できる可能性もある。
他にも、魔力による強化が具体的に物質のどこに働いているかもよく分からない。単純に漫然と強化されているのか、それとも原子配列の中での電子の共有が強化されている、というように特定の部分に寄与している可能性もある。
さらには、魔術を元に理論物理は組み替え直さなければならない。
こう考えてみれば、魔術的性質の研究にだって、いくらでも研究題材は存在するのだ。
そして、大学機関の中でも一部の余裕のある研究者はそれに取り組もうと考えている。
圭としても、これが不利になることは一切ない。
それに、魔術をきっかけにさまざまな分野の研究に携われるのも非常に楽しいものだ。
「前みたいな1日酷使とかじゃなければ積極的に支援する。公的機関だから金払いもいい。それに、僕自身が大学に所属しているから、いろいろと融通も効く。僕としてはちょうどいい取引相手ってわけだ」
「……意外と奥が深いのね。魔術を使えるようになるのに精一杯だったから、今までそんなこと考えたことなかったわ」
「それでいいと思う。魔術自体がこの世界では不安定だ。無理に科学と融合して考える必要性は低い」
「そう」
ちなみにこの依頼料は、配属先によってまちまちではあるが、平均して日給五百万程度である。最大で週3回なので、スケジュール調整さえしておけば本当に楽なバイトだった。
「まあとにかく。研究室によっては夜まで活動してるところもあるからさ。帰りも遅くなったりする。それは勘弁な」
「……分かったわ。我慢する」
「それと、他にもいろいろとやることが増えてるから去年のようにはいかないけど、そこもよろしく」
「……」
ブツブツと呟く楓を見て一人でため息をついて、そそくさと自室へと戻っていった。
最近の圭の家での生活は、もっぱら自作の紙への取り組みに時間を割かれていた。
紙はいくらでも溢れている。しかし、魔力が定着するものは現在この世界には存在しない。
ただし、木を生やして操る能力者はいる。そして、その能力者によって作られた木は、多少なりとも魔力を定着させることが可能だった。
「まさか、魔術のために紙を作るとは思ってなかったなあ。まあ意外と楽しいし楽チンだからいいけどさ」
不思議なことに、この世界では物に魔力は定着しない。
圭が前の依頼で里村に渡したミサンガは、圭が自分の魔術により作り上げたもののため多少は魔術要素を維持できる。それでも数日で崩れていく。
ほかの例外として、結界魔術はあらゆるものに対して発動するので、強制的に効果を封じ込めることは可能だ。
だがそれも超高等テクニック。
これらの例外を除けば、魔力は魔術師および能力者以外には干渉しない。
「探知魔術も新しいやつ作りたいし、もう『闇夜の騎士団』の拠点を攻める頃合いだし……、今月が山場かな」
一度紙作りを中断してから、特になんの面白味もない天井に目を向ける。
やはり何度も考えさせられる。モヤモヤとしたものは消えるのか、消えないのか。何を決意したら解決するのかがイマイチ分からない。
どうしてもこのまとまらない思案が圭の私生活、そして楓との関係を少しだけ、複雑にさせてしまっていた。
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翌日
圭は単独で、とある街中にあるマンションに訪れていた。
「すいませーん」
ドアを叩いて声をかける。あまり治安の良くない地域の中でも一際ボロいマンションには、インターホンどころかチャイムもない。よく見れば扉の下の方には隙間が空いており、ゴキブリ程度なら簡単に不法侵入できそうだった。
一度声をかけても一切反応がないため、頭を掻いてもう一度扉を叩く。
「すいませーん、『泥熱』さん。いますかー?」
竹岡の情報では、『泥熱』はかなりの気分屋で、協力してくれるかは怪しいとのことだった。ランク6に位置するおかげでお金に困っているわけでもないのに、わざわざこんなオンボロマンションに住んでいる時点で変人なのは察しが付く。
実際どんな人なのかと考えながら、さらに三回ほどノックをしたあたりで、下の階から足音が聞こえてきた。
それはゆっくりと階段を上り、踊り場で折り返した時に、ちょうど圭と目があった。
「……ん、?」
「あ、どうも……うっ、」
見た目に関して言えば、とにかくだらしない格好だった。
無精髭がジョリジョリと言える範囲は当に超えており、いつから切っていないのか髪の毛は肩まで伸び切っている。
羽織るものは半纏、風呂に入っていないのかは分からないが、階段を上がるごとに激臭が漂ってきた。
「だれ、あんた」
「ど、どうも……『泥熱』さん、ですか?三鷹圭と言います」
「……あ、そ」
ゆっくりと扉に手をかけると、そのまま何を言うでもなく部屋に入っていった。
「え、あ、ちょっとっ!?あの、『泥熱』の沼地源五郎さんですよね?えと、お話をっ、」
慌ててもう一度声をかけると、ドアノブがゆっくりと周り、中からのっそりと先ほど見た小汚い顔が現れた。
「……話って、なにさ」
「話っていうのは、単純に言えば、あなたの力を借りたいんです」
「……あんた、何者?」
似たような質問を聞かれもう一度自分の名前を口にしかけたが、沼地の言葉の意味が先ほどとは少し違うことに気付く。
「半年くらい前にランク6になった、『奇術師』三鷹圭と言います」
「……少し待ってろ」
ゆっくりとした動作で姿を消し扉を閉める。それから何かゴチャゴチャと音がした後、その場で二十分ほど待たされてから、ようやく出迎えの準備が整ったようだった。
「おう、入れ」
「あ、はい。失礼しま……誰?」
声を聞いて開いた扉を潜ろうとした瞬間に、目の前の男が先ほどとは似ても似つかぬ男へと変貌していることに気がついた。
「え、えっ?沼地さん?」
「さっき話しただろうが。さっさと入れ」
「は、はぁ……」
髭はなくなり髪の毛も一部後ろにまとめられ、さっきまで着てた半纏は少しばかりカジュアルなシャツへと返信している。眠そうな顔もキリッとしており、この二十分間で可能な限り身なりを整えたことを察するのに時間がかかってしまった。
ただ、中に入るとやはり汚い。二部屋あるうちの片方は扉が固く閉ざされており、曇りガラスの奥に大量のゴミがあるのがなんとなく察しが付く。
それでもそこら中にホコリが溜まっており、キッチン周りなどは激しい異臭が漂ってきた。
「……外のカフェとか、行きませんか?」
「ん?金持ってねえから、お前の奢りな」
「べつに、構いませんけど……」
それからすぐ近くのチェーンのカフェへと移動し、コーヒーを二つ受け取ってから端の席に座る。
最初に見ただらしない姿を見なかったことにすれば、どっからどう見てもロン毛の好青年にしか見えない。たまに女性の視線も集めていた。
「あ、食いもんも頼んでいいか?」
「いいですよ」
「じゃ、遠慮なく。……すいません、ここからここまで全部」
「ぜ、っ!?」
たまたまフラッと歩いてきた女性店員に気軽にそう注文すると、「よろしく」とウインクを見せて手を振ってみせた。
その行動になんとなく納得がいかない圭であった。
「いやー、ありがてぇ。最近まともなメシ食ってなかったしなー」
「あの、これもまともな食事とは……」
「あー、いやそりゃそっちの基準だ。俺はこれがメシ」
「ちょ、ここ禁煙ですよっ!」
「あっ?別にいいだろ」
「良くないですって!追い出されたら堪りませんっ」
「チッ」
「あっ」
舌打ちをしながら火をつけ煙を吸う。そして肺に一気に溜め込んだ煙を、前にいる圭などお構いなしに正面に盛大に吹き付けた。
「ケホッケホッ、あーもう……」
別に圭もタバコを毛嫌いしているわけではないのだが、さすがに正面に煙を出されると腹も立つ。とはいえ、ここで何か不満を買えば交渉がおじゃんになる。
目の前の人間に少しずつフラストレーションが溜まり始めていた。
「んで?だれだっけ、あんた」
「三鷹圭です。これで三度目なんですけど」
「おおそうか。みた……みた、なおまえ」
「後一文字くらい……二文字なら『けい』とでも呼んでください」
それから少し話をしていると、なんとなくこの男、『泥熱』沼地源五郎の人物像が見えてきた。
有り体に言えば、究極のめんどくさがり屋だった。
まず普段の生活なのだが、ゴミを捨てるのがめんどくさくて部屋のそこらに放置しっぱなし。
食事は作るのも外に行くのもめんどくさいので通販でお菓子など簡単に食べられるものを買いだめ。
当然風呂も面倒なために入ることはなく、トイレに行くのもめんどくさいために尿瓶を買おうか迷っていたらしい。
他に外との関係もめんどくさいとのことで、年金や税金などは一切払っておらず、能対課などにも一切顔を出さない。通販の配送以外は対応するのもめんどくさいため全部無視。鍵も勝手に変えたので大家さんですら困り果てているらしい。
そしてなにより衝撃だったのがこの男、生活保護を受けているのだ。
能対課に行けば生活費なんていくらでももらえるのに、だ。
能対課にせびりに行けば、ずっとホテル暮らしをしたり、定期的に家政婦を呼ぶこともできる。
このゴミ屋敷からおさらばもできる。
しかもこれに関しては自由度が高いため大した手続きすら必要ない。
だが、それら全てを『めんどくさい』の一言で終わらせるのが、この『泥熱』沼地源五郎という男だった。
「で、用件は何」
「ああ、それなんですけど。沼地さん、闘いは好きですか?」
「闘い、だぁ?」
「はい。自分の能力で相手を好き勝手にできる、闘いです」
「タタカイ、ねぇ……」
しばらく髭が綺麗さっぱりなくなった顎を撫でながら外を眺める。たまに目の合った女の子にひらひらと手を振って笑いかけていた。
「めんどくせぇけど、まあその場になったら楽しいっちゃ楽しいか。ずっと能力使うのに抵抗もあったが、好きにふるえるんだろ?」
「ええ、まあ。……」
目を落とすと、手に取った角砂糖がなんの拍子もなくドロリと溶け始め、液体となってコーヒーの中へと入っていった。
そんな様子を見て、圭はふと気付いたことがあった。
「……そういえば僕のこと、沼地さん知ってました?」
「いんや、知らね」
「……じゃあ、魔術や能力が一般に知れ渡ってしまったことは、知ってますか?」
「それも、知らね」
「あ、はい。理解しました。で、今回話に来た理由なんですけど……」
この世界の魔力の定義は意外としっかりとしていまして、これに基づけば、強化しやすいものや魔力を流しやすいものは簡単に分かるようになっています。
なお、みんな大好き刀の強化は、かなり難しい部類に入ります。




