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超絶亀更新でごめんなさいm(__)m 読んで頂けたら幸いです
埃っぽい街道を通り、国境検問所のレンガ造りの建物が見えてくると、ボリスが馬を停めて振り返った。
「まさか、とは思うが、身分証は持っているよな?」
「もちろん。なければここには来ない」
エレノアが腰に下げたポシェットを一つ叩くとボリスは頷き、馬から降りた。
「一旦、馬を降りてくれ。少し話したい」
「わかった」
ボリスにそう言われ、シュヴァルから降りると、ボリスに続いて手綱を引き、街道沿いの茂みへ分け入り、木立の影で馬を休ませる。
「念のために聞いておくが。国を出る時は出る理由を聞かれ、入る時は入る理由を聞かれる。もちろん、理由はあるんだろうな?」
エレノアはコクリと頷く。
ーーー商家で准男爵の身分を持つ『ノルディス』家の三男坊という肩書を金で買って『エルマー・ノルディス』と言う名を手に入れた。ノルディス家は実在する商家で准男爵の称号も賜っているが、長男と長女しかおらず、元は平民と言う身分もあって付き合いのある貴族は限られている。エレノアのように、身分を偽るには好都合の事情を持つ家だった。
「外国で見聞を広めてくるよう、父上から言い付かっているんだ。その為にまずブレゲーネを目指しているんだが、何か問題でも?」
澱みなく答えると、ボリスは真剣な眼差しでエレノアの顔を見ていた。その黒い瞳を見ていると、自分の嘘を見透かされているようで目を反らしたくなるが、なんとか堪える。
「なるほどな、だが、そんな坊ちゃんが供も付けずに旅をしているのか?」
ボリスの言い分は尤もだが、それに対する言い訳ももちろん用意していた。
「父は私を甘やかしたと後悔して、供を付けることを良しとはしなかったんだ……そこまでお前に言わなくてはならないのか?」
暗にプライドを傷つけられたように装って、ボリスの視線から逃れる。ボリスに拗ねているように見せられればいいのだが。
「ブレゲーネに行く理由はわかった。だが、3レリーは大金だ。お前にはその価値がわかっているようには思えないんだが。俺は国境越えの案内をすると言ったが、ブレゲーネの国内を付いて回ってやるとは言ってないぞ?」
エレノアはその言葉を聞いてしまったと思った。最初に世話になった宿で1レリー金貨で支払った時、まじまじと顔を見られたことを忘れた訳ではなかったのだが、自分の甘さを露呈してしまったことを悔やむ。だが、この程度の不利な状況を覆すことぐらい、真実と虚構が入り混じる貴族社会で生きてきたエレノアにとっては、よくあることでもあった。一瞬虚を突かれたが、気を取り直してボリスの顔を見つめる。
「当然、ブレゲーネ王国内の、私の目的地までの案内だと解釈した。そうでなければ3レリーなど払うつもりはない。だから、ブレゲーネに渡った後で支払うと言ったんだ、それのどこがおかしい?」
エレノアが憮然とした表情で答えると、ボリスは突然笑い出した。
「はっはっはっはっ……」
「…………」
エレノアの冷たい視線を浴びても、ボリスは応えた様子もなく、まだ肩を揺らしている。
「悪かった、あんたを試すようなことを言って。案外しっかりしているんで安心したよ。ブレゲーネですっからかんになることもなさそうだな」
「……私を試したのか?」
「ああ、あんまりにもあっさり承諾したからな、世間を知らなさ過ぎて心配になったんだ」
「大きなお世話だ。いい加減日が暮れる、さっさと行くぞ」
エレノアはシュヴァルの手綱を引くと、街道へとさっさと歩き出した。
「悪かった、そんなに怒らないでくれ、エルマー坊ちゃん!」
ボリスは慌ててエレノアの後を追いかけてきた。エレノアは、ブレゲーネに着いたら出来るだけ早くボリスと離れたほうがよいだろうと考えていた。
*****
国境検問所のレンガ造りの建物内では、出国審査を待つ大勢の人が並んでいた。これだけ多くの人が渡るのならば、よほど怪しまれるような点がない限り、あっさりと審査は通るように思われる。
エレノアは腰のポシェットから折りたたまれた身分証を取り出し、検査官に提示した。検査官はジロジロ厳しい視線でとエレノアの身なりを確認し、隣国への出国理由を質問する。
「ブレゲーネ王国には、何の目的で行くのですか?」
「観光です」
「……わかりました、良い旅を」
検査官から出国の証明書を受け取ると、シュロール橋へと繋がる通路へ進んでいく。
ボリスはというと、いつの間にか見失ってしまっていたが、シュヴァルとボリスの馬は先に橋のたもとに移動されたはずだから、待っていれば来るだろう。
橋のたもとへ歩を進め、札を渡してシュヴァルを引き取って周囲を見渡すと、すでにボリスは待っていた。
「早かったんだな」
「ああ、俺はしょっちゅう行き来してるから、ここの検査官は顔見知りなんだ」
顔見知り程度で簡単に通してくれるものなのだろうか、エレノアにはわからないので頷くに留める。
橋の警備をしている兵に証明書を見せ、シュヴァルを引いてついにシュロール橋を渡り始めた。シュロール橋から眺めるリグリッツ川の美しい景色に圧倒される。
リグリッツ川の上流には山が連なり、山の上のほうはまだ白い部分が残っていて、ところどころ見える山筋の黒を際立たせている。そして祖国アールベルク王国側の岸には切り立った崖、ブレゲーネ王国側の岸には鬱蒼とした森が広がっていて、穏やかな川の流れは青く澄み渡っている。時折、鳥の鳴き声が風にのって微かに聞こえてくる以外、水音しか聞こえない。
この素晴らしい景色を立ち止まってゆっくり眺めていたいところだったが、後ろがつかえているので、ボリスに続いて反対の岸へと石橋を踏み締める。
ようやく橋を渡り終え、先ほどアールベルクでもらった出国証明書を見せて、ブレゲーネ王国へと無事入国を果たしたエレノアは、ボリスに声をかけてから持ってきた地図を広げた。
ここから王都があるシュタイムまでは、まだまだありそうだ。
「ここからシュタイムまで、何日ぐらいかかる?」
地図を見ながら、ボリスに尋ねる。
「そうさな、シュタイムまで俺一人なら五日もあれば。坊ちゃんはどこか寄りたいところはないのか?」
「……坊ちゃんはやめてもらえないか」
エレノアが睨みつけると、ボリスは肩をすくめて、ニヤリと笑った。
「見たところ、まだ14、5ってところじゃないのか?俺からみりゃ子供だよ」
エレノアはとっくに成人して今年19になるのだが……ボリスの言葉に、思わず自分のことを見下ろしてしまった。エレノアの様子を特段気にも留めずに、ボリスは続ける。
「その細っこい腕といい、脚といい、ちゃんと食ってるのか?食わなきゃ大きくなれんぞ」
その台詞を聞いて、思わず噴き出しそうになったが、俯いてぐっと堪える。
「おい、悔しくて泣いてるのか?……お前さんぐらいの年頃は、ガキに見られることに無性に腹が立つこともあるもんな、悪かったよ」
エレノアの肩に、厚みのある大きな手のひらがのせられた。
笑い出しそうになるのを堪えたせいで肩が震えていたのを、ボリスは泣いていると勘違いしたようだ。
「だ、大丈夫だ、泣いてなどいない」
この誤解を解かないのも面倒だと思ったエレノアは、右肩に置かれたボリスの手を左手でそっと外すと、見下ろすボリスの目を見ながら、ボソリと呟いた。
「お前は随分と世話好きなんだな」
エレノアの周囲の人間ーーー主に屋敷にいた使用人だが、エレノアに関心を持つ者はいなかった。皆、淡々と仕事をこなし、主である父に忠実に仕えるだけの存在。父である侯爵は、娘の目から見ても良い主人であったのだろうと思うが、エレノアのことを気にかけることはなかったし、そんな主人に習い、乳母だったアーニャや乳姉妹のターニャを除いて、使用人たちも殊更エレノアを気にかけてくれることはなかったように思う。
そんな境遇で育ったエレノアの目には、ボリスのような人間は新鮮に映った。出会ったばかりの、愛想のない少年に対し、身内のように心配する男。
「世話好き?……いや、そうでもないと思うが」
エレノアの言葉に、ボリスは首を捻る。
「かなりの世話好きだと思うが。それより、王都に行くにはどのルートがいいんだ?」
地図に目を落としたエレノアは、話を元に戻そうとボリスに尋ねる。
王都であるシュタイムへ行くには、主に三つの街道があったが、どの街道が安全で早いのか、エレノアにはわからない。この国をしょっちゅう訪れているというボリスの意見を聞きたかった。
「そうだな、この街道を行くのがいいんじゃないか」
ボリスが示したのは、地図で見る限り、一番遠回りに見えるルートだった。
「この街道より、こちらが近い」
エレノアが反論すると、ボリスは大真面目な顔をして言った。
「これだから心配なんだ……この国について、どれほど知っているかは知らんが、こっちの街道を通るには、あそこの森を抜けなきゃならん。昼でも薄暗い森の中を通るのは素人じゃ危険だ」
「なるほど、ではこちらは何がまずいんだ」
もう一本の街道を指さして尋ねる。
「こっちは……ちーっと訳ありの土地を通らなきゃならん。遠回りに見えても、こっちがいい。で、お前さんはシュタイムに行きたいんだな」
「ああ、王都を見ておきたい。色んな商家があるだろうし」
本当の理由をボリスに話す必要はないので、ノルディス家の三男坊としては模範的な解答だろうと思われた。
「偶然だな、俺もシュタイムに用がある。3レリー分の働きはしてやるよ」
「助かる」
エレノアは素直にそう言うと、腰のポシェットから金貨の入った革袋を取り出そうとして、ボリスに止められた。
「代金は王都に着いてからでかまわん、十日ぐらいかかるだろうが、かまわないな?」
「十日もかかるのか……」
エレノアの落胆した様子を見ても、ボリスは淡々と告げた。
「その馬、替えるつもりはないんだろう?」
「シュヴァルは大切な家族だ、連れていきたい」
「なら、日数がかかっても仕方ない。そこは諦めるんだな」
「……わかった」
シュヴァルを置いていくことは出来ないのだから、日数が余分にかかっても致し方ない。さすがに隣国まで家から追ってくることはないだろうという気持ちもあった。
「じゃ、行くか。宿を早いとこ決めちまわないとな」
ボリスはそう言うと、馬に跨りゆっくりと歩を進める。置いていかれないように、エレノアもシュヴァルに跨ってその後に続いた。
****
ブレゲーネでの最初の宿に着き、無事に二部屋借りることが出来(ボリスには散々嫌みを言われたが、ここは譲れないとエレノアは死守した)ボリスと夕食を摂った。
「もっと食え、だからお前さんは細っこいんだ」
ボリスは自分の皿から肉を一切れ、エレノアの皿に載せる。
「元々食が細いんだ。無理して食べると碌なことにならない」
エレノアは皿に載せられた肉を見て、少々げんなりした顔をした。
「俺がお前さんの年頃は今の倍は食ってたがな」
フォークを振り回しながら言うボリスの台詞を聞いて、胸やけしそうになる。ここの宿の夕食はボリュームたっぷりで、ただでさえ見ているだけで腹が膨れそうだというのに、更に倍を食べていたとは。
「倍……」
エレノアは自分の皿を見て絶望感に襲われた。減る気がしない、寧ろ増えている気さえして、思わずフォークをテーブルに置いた。
「……ん?食わねぇの?」
「無理だ」
「もったいねぇな。そんじゃ、後は俺が引き受けてやるよ」
「え……」
思わずボリスの顔をまじまじと見てしまったが、ボリスは自分の皿の食事をさっさと片付けると、エレノアの皿を引き寄せた。
貴族では考えられないその行動に、エレノアは驚いて固まるが、ボリスはエレノアの分の食事を黙々と片付けている。
綺麗に平らげたボリスは、宿の女将にお茶を頼んでくれた。
出されたお茶を飲んでいると、ボリスがボソッと呟く。
「商人の息子ならわかってんだろうが、食事ってのは色んな人間の手がかかってんだ。粗末にするもんじゃねぇぞ」
「すまない、粗末にするつもりはなかったんだ」
エレノアが素直に謝ると、ボリスは満足そうに笑う。
「ま、ちっとばかしここは量が多かったけどな、さすがに俺も腹がいっぱいだ。ところで、明日はどこまで行くつもりだ?」
地図を急いで広げたエレノアは、クレムスと書かれた街を指す。
「ここまで行こうと思う。どうだろう?」
「ああ、馬にも負担にならない距離だな、いいんじゃないか。クレムスはいいところだぞ、酒は美味いし……」
ボリスの話を聞きながら、エレノアは考えていた。
一人だったら、確実にあの森を抜ける街道を選んでいただろうし、シュヴァルに負担をかけていたかもしれないーーー信じることは出来ないが、感謝はしなくてはならないだろう、と。