魔物の街 148
要はしばらく沈黙した。
三郎と過ごした東都での工作活動任務中の日々。思い出しても割り切ることが出来るほど軽くはなかった。身体を任せたからと言うわけではなく、非正規部隊の隊員として任務遂行の為に近づいた野心に燃えていた三郎。だが、その任務が終わっても要は三郎と会う日々を過ごしていた。
お互い会う必要など無かったのに、いつの間にか当然のように二人は同じときを過ごした。東都の租界でのシンジケート同士の抗争が激化し、同盟軍の部隊が侵攻した。押されていた東都警察の包囲網が完成し、同盟機構の司法局員が駐留するようになって胡州軍は東都の権益を諦めて彼女にも帰国命令が出た。その時もぼんやりとチンピラ扱いされていた境遇から抜け出して喜ぶ三郎のことを考えていたのは確かだった。
「確かに……東都といえば、まずアイツを思い出します」
弱弱しくしか吐き出せない言葉に要は自分でも驚いていた。
「この街に再びやってきて、アイツと会おうと思ったこともあります……」
ここまで言葉を繋げてようやく要にも心の余裕が出来た。視線を上げると涙を浮かべる老人が要を見つめていた。
「でも……もう会えませんでした。何も再びここに来た時の身分が正規部隊の隊員だったからと言うわけじゃないんです。アイツがあのまま変わらなかった。むしろ以前は反吐が出ると言った組織幹部に成り上がったのが裏切られたと思っていたのは事実ですけど……でも……もう終わったことだったので……」
「そうでしょう。それでよかったんですよ」
老人の目は優しく要を見つめていた。先ほどまで息子を殺された被害者の目だったそれが、優しく要のことを見守っている父親の目に変わっていた。
「今回の出来事もアイツの自業自得ですよ。ただ、アイツのことをこれからも心にかけてくれるのなら……おかしい話ですね。今のあなたは立派な将校さんだ。本当はアイツのことなんか忘れてもらいたいと言うのに……親馬鹿って奴ですか」
力なく笑う老人に要も無理に笑顔を作って見せる。老人は取って置きの白いジャケットからハンカチを出して涙を拭った。
「そうだ!私は商売人ですから。この前……東和政府から租界を出るための居住許可が出たんですよ」
租界から東都に渡るには多種多様な事務手続きが必要だった。要もその手続きに2~3年の時間がかかることを知っていた。我慢していた涙腺の疼きを笑顔が凌駕したおかげで少しばかり安心しながら頷く。
「それで、実は新港に弟夫婦がいましてね。店舗の建物だけあるんだがって話が来てまして……」
「お店、移るんですね」
ようやく救われたような話を聞いた要は溜まった涙を素早くふき取った。
「ええ、新港ですから。確か……保安隊の運用艦は新港を母港にしていましたよね?」
老人もようやくさっぱりとした表情で要に笑いかけてくる。要もまたそんな老人を見てようやく落ち込んだ気持ちから救われる気がした。
「じゃあ食べに行っても良いですよね」
「もちろんですよ!それにそちらの技術者さん達が新港にもいるそうじゃないですか?」
笑顔の老人が言葉を飲み込んだのは、こつりと何かが当たってテーブルが動いたからだった。要はつい反射で腰の拳銃に手を伸ばした。
再び机が動く。そして開け放たれたカーテンの下になにか丸いものが動いているのが目に入った。
「あれ、何でしょうかね……」
老人も気がついたように日向に動く丸みを帯びた物体に目を向けていた。




