魔物の街 147
「本当にこのたびは……」
応接用のソファーに腰掛けた要。目の前の老人がおどおどとしている様を見て自分の胡州帝国宰相の娘、次期四大公筆頭候補と言う身分が恨めしく感じられた。
黙っている老人。事件の始まりに彼のところを尋ねたときは彼女のそんな素性も知らずにうどん屋の亭主と客と言う関係だったと言うのに、この老人の息子、志村三郎の葬儀で老人が手にしている金色のカードを渡した時からどことなくぎこちない関係になってしまったことを後悔した。
「これ……なんですけど」
カードをテーブルに置いて要に差し出す老人。そのカードは胡州中央銀行の手形だった。
「一度……差し上げたものです。受け取れません」
そのカードは1億円の手形。恐らくこの様子を盗撮しているだろう吉田達はどよめいていることだろうと想像すると、要には苦い笑みが浮かぶ。
「でも……こんなことをしていただくことは……」
「私と三郎さんが付き合っていたのは事実ですから」
そう言って笑顔を作っているが、老人はただテーブルの上のカードをさらに押し出すために手を伸ばすだけだった。
「ですから……私としても」
「じゃあ、これを貰えば息子が帰ってくるんですか?」
老人の言葉に要は言葉が詰まった。要にははじめての経験だが、叔父の嵯峨の前に詰め寄る彼の部下の親達の姿でいつか自分も同じことを言われるだろうと思っていた言葉。実際にそれをぶつけられて初めて要は目が覚めたような気がした。
「知っていますよ。警察の人が来てアイツが何をしていたかはわかっていますから。じゃあなおさらこれはいただけません。人様のものは盗むな。商売は信用が大事だ。弱いものの気持ちを分かれ。いろんなことを教えましたが奴は一つだって守れないままなりばかりでかくなって……」
そう言う老人の目に涙が浮かぶ。要もようやく諦めてカードに手を添えて自分の手元に寄せた。
「アイツのしたことが許されないことだとはわかっています。命で償うような悪いことだって事も……でも奴はワシのたった一人の息子なのも事実ですから……」
老人が似合わない白いジャケットの袖で涙を拭う。要は何も言えないまま黙って老人を見つめていた。
「わかりました。これは受け取れないんですね」
要の言葉に静かに老人は頷いた。ようやく気持ちを切り替えたように唇をかみ締めたまま無理のある笑みを浮かべる老人。
「でも一つだけ……一つだけ教えていただけませんか?」
遠慮がちに老人が口を開いた。ためらいがちに要も頷く。
「アイツは死ぬ前の日にうちの店に来て……突然、『俺は幸せなのかもしれないな』なんて言ったんですよ。アイツが……明らかに死ぬ前の数日。あなたと再会してからアイツは表情が変わったんです。そんな奴にとって……あなたにとって……あの馬鹿息子はどんな存在になりますか?」
老人の視線が痛く要に突き刺さった。要は黙ったまましばらく志村三郎という存在について考えてみた。




