魔物の街 145
ぼんやりとした視線で自分を見上げている嵯峨の顔を見て、ハッとしたのは安城だった。
「嵯峨さんにはわからないかもね。ずっと平和とは無縁に生きてきた人ですもの」
その遠慮してオブラートに包んだような安城の言葉に嵯峨は首をひねった。
「どういうこと?まあ俺の周りじゃあ刃傷沙汰が絶えなかったのは事実だけどね。餓鬼の頃は遼南の皇位継承権をめぐって、負けて胡州に行けばさっそく地球相手に大戦争だ。そしてまた戻ってみれば遼南は内戦状態。平和より戦争状態のほうが俺にとっては普通のことだからな」
そう言うと嵯峨は引き出しを開けた。そして湯飲み茶碗の隣にかりんとうの袋を置く。空の湯のみに気を利かせた明華が茶を注いだ。
「平和な時代だと自分の手が汚れていることに気づかないものよ。他人を傷つけるのに戦争なら国家や正義とか言う第三者に思考をゆだねて被害者ぶれば確かに自分が正しいことをしているとでも思いこめるけど、立ち止まって考えてみれば自分の手が汚れていることに気づく。でも……」
安城の言葉に明らかにそれがわからないというような顔でかりんとうの袋を開ける嵯峨。彼女は視線を高梨に向けるが文官の高梨はただ困ったような笑顔を向けるだけだった。
「俺が言いたいのはさ、自分の正義で勝手に人を解剖するのはやめて欲しいってことなんだよ。理系の人にはわからないかなあ」
「私も技術者ですけど何か?」
「いやあ、明華はいいんだよ」
「神前曹長からすればもっとたちが悪いかも知れないわよ」
そう言って嵯峨の目の前のかりんとうの袋に手を入れる。取って置きを取られた嵯峨が悲しそうな視線を明華に向けた。
「技術が進んでも人は分かり合えない。そう言うことなんじゃないですか?別に平和とか戦争とか関係ないでしょ」
一言、高梨がつぶやいて湯飲みに手を伸ばす。嵯峨はかりんとうを口に入れて噛み砕く。
「そうかもしれないわね。結局、人は他人の痛みをわかることは出来ない。でも、想像するくらいのことは出来るわよね」
「それくらい考えてもらわねえと困るよなあ。でもまあ……俺も人のことは言えねえか」
いつもの皮肉るような笑顔が嵯峨の顔に宿る。そして嵯峨は気がついたように後ろから差し込む冬を感じる弱弱しい太陽を見上げた。
「ああ、まぶしいねえ。俺にはちょっと太陽はまぶしすぎるよ……で、思うんだけどさ秀美さん」
突然名前を呼ばれて安城は太陽をさえぎるように手を当てながら両目を天井に向けている嵯峨に目をやる。
「この世で一番罪深いのは想像力の不足じゃないかと思うんだよね。今回の件でもそうだ。生きたまま生体プラントに取り込まれる被験者の気持ちを想像できなかった。その連中の想像力の欠乏が一番のこの事件で断罪されるべきところだったんじゃないかなあ」
その言葉に安城は微笑んだ。
「そうね、これから裁かれる彼らにはそれをわかって欲しいわよね。でもそんな私達もたとえ想像が及んだとしても相手に情けをかけることが許されない仕事を選んだわけだし。そんな私達はどう断罪されるのかしら?」
苦笑いを浮かべる嵯峨。
「因果な商売だねえ」
そして嵯峨は頭を掻きながらいつものようにうまそうに茶を啜って見せた。
「あいつらもそのうちこんなことを考えるようになるのかねえ」
嵯峨の冬の日差しを見上げる姿に珍しく安城は素直な笑顔を浮かべていた。




