魔物の街 135
「引き際を間違えると大変だねえ」
嵯峨は画面に映る憔悴した細野陸幕長を眺めた。明らかに会議漬けと言う髪は乱れ、口の前に手を組んだまま目だけが画面を見つめていた。
『引き際?私達がいつ君達と対立したのかね?』
ようやく開かれた口には明らかに力強さが欠けていた。それを満足げに見つめる上司を見て、アイシャも白髪交じりの指揮官に同情を感じてしまっていた。
「07式の厚生局への導入。あれはやりすぎましたよ。薬物シンジケートの重武装化の問題を司法局抜きで解決しようって言うのはどうもねえ。わざとらしいというか……」
そう言いながらタバコをくわえる嵯峨。
『導入を決めたのは厚生局と同盟本部だ。私達は機種選定の資料を提出しただけで何もやましいことは無い』
ぼそぼそとつぶやくように話す東和陸軍のトップ。それをあざ笑うような下卑た笑顔で追求しようとする司法機関の幹部である上司の嵯峨。
『やっぱり敵に回したくない人物一位になるわけだわ』
そう思いながら間を計る上官をアイシャは見つめた。
しばらく沈黙した後、嵯峨は肩からかけているコートのポケットから一枚のディスクを取り出して兵士が持つ端末のスロットに差し込んだ。
「じゃあ、コイツを見てからはどうお答えになりますか?」
嵯峨の目に狂気が浮かんでいるように見えたのは気のせいだろうか?そう思いながらアイシャの見ている画面では手元の別画面に目を移してすぐに驚きの表情を浮かべる初老の男の姿があった。
『これは……どこにも出していないだろうね?』
急に陸幕長の声が穏やかになったのを見て嵯峨の笑みが顔全体に広がるのをアイシャは見つめている。
「当然!信用第一が保安隊の売りですよ」
『……やったわね』
アイシャは心の中で舌打ちした。そのディスクの中身が先日のベルルカン大陸での独裁者エミール・カント将軍波政府の壊滅作戦の時に入手した情報が入っていることは推測が付いた。アイシャも保安隊の幹部である以上、一隊員扱いのカウラや要、新人の誠などよりは重要な機密事項に触れる機会は多かった。
同盟加盟国の中での離脱運動を支持する政治家、軍人、官僚、ジャーナリスト。彼等の活動資金としてばら撒かれる非合法取引で得られた莫大な資金の裏づけを目の前の悪党としか表現できない男が握っていることに恐怖を感じるアイシャ。そしてその人物が自分の上官であるということも否定できない事実だと知るとむしろ笑いがこみ上げてくるのを感じていた。
『それでは……大事な話だ。君一人で来てくれ給え』
しぶしぶ、不承不承、どんな表現を使えばいいのかとアイシャが悩むほどの諦めを言葉にしたような感じでつぶやいた将軍に同情しながらアイシャは二人の歩哨に目をやった。
そこには不思議な生き物に遭遇したようなぽかんと口をあけているただの若者がいた。
「案内。頼むよ」
嵯峨の一言にようやく気がついた背の低い兵士が扉を開ける。
「残念ながら嵯峨隊長一人でと言うことなので」
「ああ、車乗って帰っていいよ」
裏口のドアから顔を出した嵯峨の姿を呆然と見送りながらアイシャはただ立ち尽くしていた。




