第五話「BUY MORE③」
前提として、《BUY MORE》で得られる売上の八割以上は家主であるレベッカの手に渡る。
そして《BUY MORE》がひと月に得られる売上は経営状況などを見れば分かる通り、たかが知れている。
つまり結果的にレイティアドール、シルビア、霧熊の三人の元に入ってくるのは多くても小学生のお小遣い程度しかないのだ。
そのため、食費やその他の娯楽に費やす資金は別の方法で調達しなくてはならない。
それが、《BUY MORE》のもう一つの顔。
『なんでも屋』と呼ばれる彼女らの本来の所以。
それこそ下のリサイクルショップより月の来客数は少ないが、一度の仕事で得られる報酬は依頼人との話し合いで決まる。
そして極めつけは、その報酬は100%三人の手元へ渡る、ということだ。
つまり、巧みな話術を行使して一度の仕事で相手に断られるギリギリのラインで契約を結んで資金を得られるか否かが、三人の一ヶ月の晩御飯のメニューを左右する超重要事項なのである!!
「報酬は100万円よ!」
「このばかちん」
金に飢えた亡者レイティアドール=ロンバルドのギラッギラした形相を抑制するべく、軽く頭を小突くシルビア。
二人はガラステーブルを挟む革のソファの片方に並んで腰かけている。
向かいに座る黒スーツに身を包んだ30代くらいの男は、
霧熊が運んできた湯呑みを一瞥するが、手を伸ばしはしなかった。
当の霧熊はというと、二人が茶色いソファに腰掛けていることをいいことに、
社長室にある机のように豪勢な飴色のデスクに備わる黒のレザーチェアにどっかりと腰を掛ている。
お行儀よく手を太ももの上に置いて背をピンと伸ばしながらも、何故かキリリとしたご満悦な表情を作っていた。
「どうやら、金を積めばなんでもやるってのは単なる噂ではなかったようだ」
男は足元に置いていたジュラルミンケースをガラステーブルの上にそっと置く。
「……ッ!? な、な、な……ッ!!」
顔を覗かせたのは、隙間を埋めるように敷き詰められた札束。
一ヶ月の晩飯のメニューどころか豪華なフランス料理のフルコースを一日三食揃えても痛くも痒くもないほどの大金が、目の前にあった。
「こ、これだから『なんでも屋』はやめられねえ」
「ち、ちょっと待ってください。確かに私たちはお金さえもらえれば極力なんでもしますけど、
しかしお仕事の内容によってはお断りさせていただきますよ」
今にもよだれが垂れそうなレイティアに対し、シルビアは至って冷静に対応する。
こんな大金を差し出すからには、それなりの仕事を要求されるということだ。
改めて男の容姿を窺うと、その黒いスーツはしっかりと手入れされているように見えて、
しかしところどころ薄く白い汚れがついていたり、肩のあたりにほつれがあるのが分かった。
あまり裕福な家庭から出向いてきましたという雰囲気は感じられない。
だとするとそんな身分の人間が、こんな大金を積んででも達成したい『なにか』が必ず存在するということだ。
もしかしたら、どこかの研究所の人間なのかもしれない、とシルビアは警戒を強める。
「俺がアンタらに頼みたい仕事は二つ」
男はあくまで三人の反応を窺った上で、質問されたことについて淡々と答える。
その表情に笑顔などはなく、つねに真剣……、というよりは何やら無機質なものが見て取れた。
「ひとつは《ソロモンの鐘》という魔導書の入手。そしてもうひとつは、《柘榴石の原石》の強奪だ」
淡々と。
それはもうまるで呼吸でもするように、プリンターが用紙を吐き出すように、
淡々と男は口から言葉を紡いだ。そこに感情は込められていなかった。
シルビアはそんな男の様子を怪訝な顔で窺うが、どうも男の考えていることがいまいちわからない。
「貴方がなにを意図してそのような依頼をしに来たのかは知りませんが、どうやらお請けすることはできそうにありませんね」
シルビアはあくまで男の考えを探ろうと、とりあえず男に言葉を紡がせるために敢えて引く。
そんないつもより威圧的な態度に、レイティアドールと霧熊はただ黙ってシルビアの声を耳に収めることに徹する。
しかしシルビアはでたらめに男の話を全て否定しようというわけではなく、
断るにはそれ相応の理由というものがある。
「まず一つ。《ソロモンの鐘》の原典は現在行方不明です。
欲しているからには調べがついているとは思いますが、
《ソロモンの鐘》とは、72柱の悪魔の召喚とその使役法が記載されている魔導書です。
その中には《魔王》に次ぐ《副王》を召喚するものも載っています。
そのため、大変危険な魔導書として禁書に指定されるほどの危険な書物なんですよ?
今では《アガレア》にある《大禁書図書館》に保管されていると聞いたことがありますが、
それも確かな情報かは定かではありません」
話を聞いているのかいないのか分からない霧熊は、
未だに高級なレザーチェアに背筋ピン両手太もも握りこぶしでキリっとした表情を崩さない。
レイティアはシルビアの話に飽きたのか、その白い脚を組んで優雅に紅茶を口に含んだ。
「そんな現在位置も分からないような物を入手だなんて、非現実的過ぎませんか?」
男は核心に触れているはずのシルビアの声に対して一切表情を崩さない。
二人の間にしばしの沈黙が訪れるが、男が口を開こうとしないのを見てシルビアはさらに追い詰めるように口を開いた。
「……、そして二つ。もちろん柘榴石も含んだことですが、
『光石には魔力を抑制する力がある』と、とある大学の研究発表があって以来、
世界中の鉱山などの光石の鉱脈はくまなく国の管理下になっていいます。
今となっては天然の原石を見つけることはほぼ不可能とされているのは貴方もご存じでしょう?
こちらについても《ソロモンの鐘》同様、入手経路が全く確立できません。
そういった不明瞭な内容の依頼は、お断りせざるを得ない」
シルビアと男の視線がぶつかる。
押し引きのやりとり。
思えば、シルビアがそういった戦術に一番長けていたのかもしれない。
(おかしいですね……。この男、こちらが探りを入れているのにもかかわらず、まるで私の方が逆になにか探られているような感覚があります)
「ま、なんにしたって依頼人と話し合って仕事の方針を決めた方がいいでしょ。
初めっから出来ないの一点張りでないがしろにするんじゃなくて、まずは話を聞きましょうか」
そこで、口を開いたのはレイティアドールだった。
さらには、今まで鼻高々とキメ顔で高級レザーチェアに行儀よく座っていた霧熊が、
ついに飽きたのかグダっと飴色の机に突っ伏しながら口を開いた。
「というか、そんな話を持ってきたってことはお客さんには初めからなにか考えがあるんでしょー?
軽く二千万はある大金を用意しちゃうくらいの人が、なんの考えなしに『なんでも屋』に押しつけて後は人任せーなんてことはないと思うけどー」
霧熊は机から顔を上げない。
しかし、霧熊からは常に宙を目で追っているような弛緩した雰囲気は読み取れなかった。
「手筈は既に整っている」
端的に。男は口を開いた。
「こんな話を、聞いたことはないか?
《ソロモンの鐘》の本質は悪魔の召喚方法ではなく、その儀式を行う際に使用する数多くの魔術法円を記載した魔導書である、と」
「……、確かに、そんな話も聞いたことはあります。
あなたの目的はその魔術法円であると?」
「……、そこまで答える義務はないはずだが」
そこで、レイティアドールがすかさず、
「そうね。私たちはあくまで報酬分の仕事を遂行するだけよ。その内容や依頼人の意図にまで口出しする義理はないわ」
と口を挟んだ。
「そ、そうですね……、しかし、具体的に《ソロモンの鐘》の入手方法が確立されたわけではありません。アレの原典は《アガレア》の《大禁書図書館》に保管されています」
「それも、数ある噂話の一つだとしたら?」
男は言葉を紡ぐ。あくまで機械的に、表情を一切変えずに唇だけを淡々と動かしながら。
「そもそも《ソロモンの鐘》は禁書などには指定されていない。
その実態は、まだ世に出ていない数多くの魔術法円が記載されているだけの魔導書だ。
まあ、その過程で悪魔の召喚法を記載した部分もなくはないがな。
しかもこの魔導書は昔、一部の地域で教本として扱われていた時代もあったせいで、
その時期に量産された莫大な数の写本が、世に出回ってしまったんだ」
「……、ということは」
「そう。《ソロモンの鐘》は、連鎖的にたくさんの紛い物が流出した結果、
その内容にも大幅な齟齬が生まれた。
あるものは杖の一振りで世界中の戦争を終焉させられるほどの力を手に入れられる魔術が記載された物や、
あるものはあらゆる傷や病をたちまちに治癒し、永遠の命を得る方法が記載された物など、数えきれないほどの偽物がな。
ということは、だ。アンタが言う世界のどこかの大図書館に保管された原典だって、必ずしも本物という保証はないんじゃないのか?」
「…………ッ」
シルビアは言葉が見つからなかった。
今までかなりの量の学術的資料や様々な分野の魔導書などに目を通してきたが、そんな可能性を見抜くことが出来なかった。
しかし逆にそれは、シルビアの内にある何かを奮い立たせるに足る情報が、目の前に現れたということだ。
シルビア=ローゼンクロイツとは、底知れぬ探究心の持ち主である。
自分の知識にないものが目の前に現れると、無我夢中でそれに食いつき、
自らが納得する結論を導くまで研究と考察を繰り返す。
その影響で全世界のあらゆる魔導書を読み漁り、
その知識の幅の広さは、並大抵の少女のソレとは桁違いだった。
そんなシルビアでさえ未だ知り得なかった領域。
前人未到の領域を前に、彼女は高鳴る鼓動をどうにか抑える。
「我々が調査した結果、とある文献から《ソロモンの鐘》の原典が最後に見られたのはこの天都だということが分かった。
都市部から離れた《ステラの森》の中にある、廃墟と化した教会……、
それが、《ソロモンの鐘》の原典が今も眠っている場所だ」
所々が薄汚れた黒スーツに身を包む男はシルビアの目をしっかりと捉えながら、
一言ひとことを淡々と紡ぐ。
すると、レイティアドールは茶色い革のソファの上であぐらを掻き、
膝の上で頬杖をつきながら、口を開く。
「《ソロモンの鐘》ってのは分かったわ。そこにまだあるという確証はないけどね。
で、《柘榴石の原石》ってのはどうするの? 私たちに鉱夫でもさせるつもり?」
「初めに言ったはずだが。《柘榴石の原石》については、採取ではなく強奪だ。
天都南部の住宅街、その中にある小さな美術館に先日《柘榴石の原石》が搬入された。
それを、盗み出してほしい」
「……、なるほど。確かに様々な国を敵に回して世界中の鉱山をせっせと掘りまわすよりは効率的ね」
「この美術館は基本的に、《色彩魔法》を使った近代的な絵画や彫刻を展覧しているが、
最近では別の分野を取り入れる運動として、近年注目され始めた《光石》に目を付けたわけだ。
しかも小規模な美術館だから、警備やセキュリティ面も他のと比べれば段違いに手薄になってる」
「なんて無防備な……、まあ最新のハイテクなセキュリティに、
館内にいるゴキブリの居場所を把握されてるトンデモ博物館を奇襲するよりは断然楽だからいいんだけど」
「日程は三日後の金曜。週末は警備員の数が極端に少なくなる。そこを突いて館内に忍び込めばいい」
「決行はー、閉館直後がいいねー」
レイティアドールと男の打ち合わせに、突如として机に突っ伏す霧熊が割って入った。
「理由を聞かせてもらえるか」
「単純な話、警備員のシフトが交代するであろう時間帯が閉館直後ってことでしょ」
答えたのはレイティアドールだった。
霧熊のゆったりペースは話し合いに向かないというのは彼女がよく知っている。
「なるほど。人が入れ替わる時間帯を見計らって館内に侵入するわけだな。
だがそれからどうする? 確かに閉館後は閉館前より警備員の数も減るだろう。
だが、入口から《柘榴石の原石》が展示されているホールまでには様々なセキュリティトラップが張り巡らされている。
警備員だってただ中央管理室で煙草をふかしているだけとは限らない」
「館内の見取り図、監視カメラやその他諸々、館内に導入されているセキュリティの数、
種類および配置図、警備員のシフト表……、これくらい用意してもらわないと目途が立たないわ。
それと、いくらなんでも三日じゃ準備期間としては不十分すぎる。一週間は見積もってもらわないと」
「……、いいだろう。では十日だ。来週の金曜に作戦を決行してもらう。
任務に必要な書類はすでに作成済みだ。今夜にでもそちらに送信しよう」
沈黙が、空間を支配した。
その場にいる全員が互いに視線を交わして、これ以上議論の余地があるかを確かめる。
皆はしばらく口を開かなかった。
シルビアと霧熊は、レイティアドールへと自然と視線を集める。
あとは彼女がゴーサインを出すだけでいい。
「決まりね。決行は十日後。依頼の内容は《柘榴石の原石》を盗み出すこと、
および《ソロモンの鐘》の回収」
「その仕事は、一度にこなしてもらいたい。だから、二手に分かれてもらう必要がある」
「……、それも依頼?」
「ああそうだ」
「……、分かったわ。それなら私とシルビィは美術館に…………」
「な、なーんでわたしを見るのー」
自分の言葉に猛烈な抵抗を感じ、片方の眉をひくつかせながらジトっとした目を向けるレイティアドールに対し、霧熊は頬を膨らませながら飴色の机をバンバンと叩く。
「アンタを一人で行動させるのってかなり危険な気がするのよね」
「そんなことないよー。わたしはいざって言うときはちゃーんとやるんだからー」
「えー……」
うっそだーと言わんばかりに疑いの目を霧熊へと向けるレイティアドールだったが、
そこで隣に座っているシルビアが口を開いた。
「レイ、私は教会に行くよ」
その黒縁メガネの奥には、初めて水族館にきた子供のような、純真な光が宿っていた。
こうなっては、シルビアはもう誰にも止められない。
自らの知らない知識が、《ソロモンの鐘》という一冊の魔導書の中に詰まっている。
原典にはどんな内容が刻まれているのか。
正直、シルビアは男の言ったことを信用しきっていなかった。
男は過去に大量の偽物が世に流出し、その中に原典も埋まってしまった、
と言っていたが、それなら男の言う『未だ知られていない《魔術法円》が数多く記載されているのが原典』という情報も、甚だ信じ難いものがある。
しかしだからこそ、シルビアはその目で真相を確かめたかった。
ギラギラと、どうしようもなく瞳を輝かせたシルビアに、レイティアドールは少し困ったように頭を掻く。
「ううーん……、シルビィなら絶対そう言うと思ったけど……、
《柘榴石の原石》強奪には最低でも二人はいないとキツイだろうしな……、
ホントに一人で行っちゃうの?」
「うんっ! それにほら、迅速な行動といざという時の自衛の術がないと強奪作戦には向かないでしょ? 私がいったら逆にレイたちの足手まといになっちゃうから」
上目づかいで迫るレイティアだったが、シルビアは至極当然といった感じで力強く二回ほど頷いた。
ハァ、と深く息を吐くと、レイティアドールは目を細めて嫌そうに霧熊を見た。
「なーんーだーよー。わたしだってちゃんと役に立つんだからー」
バンバンバンバンバンと、口を尖らせながら飴色の机に小さな両手を叩きつける霧熊だった。
「アンタ、足だけは引っ張んないでよ」
「あたぼーよー」
「それじゃあ、決まりってことでいいのか?」
男が、最終確認を取る。
「私と霞美は《柘榴石の原石》へ。
シルビィは……、少し心配だけど《ソロモンの鐘》入手のために《ステラの森》へ。
決行は十日後の金曜。時刻は《柘榴石の原石》が展示されている美術館の閉館時間」
「交渉成立だ。仕事の成果が出次第、報酬は渡そう」
男は二千万の入ったジュラルミンケースをバタンと閉じると、二つの施錠をしていく。
そのままなにも言わずに去ろうとしたその時、ガシッ!! とレイティアに腕を掴まれた。
「……、なんだ」
「……、はん」
「?」
「今日の!! 晩御飯!! パンの耳!! せめて!! 十日分の!! 食費!!」
今にも目じりから零れそうになる涙を必死に抑えながらレイティアは訴えた。
思えば初めてだったかもしれない。
今まで何の表情も見せず、ただ淡々と取り引きをしていた男の顔が、ひきつっていた。
男は黙って自分のポケットへ手をしのばせると、一万円札をレイティアに渡し、
足早にその場を去った。リサイクルショップの鍵を開けるために、霧熊も一緒に下へと降りていく。
小さな両手で茶色い紙幣を天井に掲げる白い幼女が見せた笑顔は、
それはもう純真無垢な子供のようなものだったと、後のシルビアは語る。