第四話「BUY MORE②」
「もうお昼すぎかー……、そろそろ交代のじーかーんーだー」
ベタっと、霧熊霞美はレジに突っ伏しながらダラダラと言う。
先ほどの客以外、本日来店数ゼロ。
この店自体、もともとはとある現役のホステスが趣味で営んでいたものだが、
身寄りのない三人に寝床を提供する代わりに、そのまま店も譲り受けたのだ。
なので、さほど売上などは気にしなくてもいいのだが……、やはりここまで暇だといささか不安になったりもする。
まあ、どちらにせよ霧熊の知ったことではなかった。
霧熊がシルビアと店番の交代を申し出ようと奥へ行こうとしたところで、本日二回目の入店ベルが鳴った。
店内に敷かれた、長い月日を経て黄ばんだ絨毯の上を革靴で歩く音が店内に響く。
入店したのは、黒のスーツに身を包んだ三十代ほどの男だった。
男は店内を見て回ることはせず、直接レジの前に向かう。
その手には、銀色に光るジュラルミンケースがあった。
「あー……、なにかご注文ですかー? それともご注文の品をお受け取りですかー?」
霧熊の問いに、男は首を横に振った。
たったそれだけの行為だけで、霧熊はもはや言葉を発さなかった。
霧熊の呆けた表情が、何かを的確に見据える野生の動物のように鋭いものになる。
霧熊は静かに店の出入り口へ向かって自動ドアのスイッチを切ると、
下部に取り付けられた二つの鍵を閉めた。
OPENと書かれた札をCLOSEに変えると改めて客の方へ振り返る。
「奥へご案内しますねー」
霧熊の後をついていくようにスーツの男はレジ奥の扉をくぐり、そこから二階へ続く階段を登っていく。
《BUY MORE》の二階部分は、普通の居住空間だ。
階段を上がると一直線の廊下が広がり、奥の小窓から陽が差し込んでいる。
一番手前にある扉を開くと、そこは応接間になっていた。
部屋の奥にはベランダへと通じる窓があり、それを背にして豪勢な飴色の机が置かれていた。
その手前にはガラステーブルと、それを挟むように二つのソファが置かれている。
革のソファに腰掛けているのはシルビア=ローゼンクロイツ。
サラサラの黒い短髪にチョコレートのような褐色肌を持つ少女は、
自分の家にいるにも関わらず、どこかの高校の女子制服のようなブレザー姿に眼鏡をかけた真面目(に見せかけた)な女の子である。
そんなシルビアは薄いタブレット型の液晶に視線を落としていた。
そこには、契約している新聞社から毎日送られてくる朝刊の記事が映し出されている。
その一面はこうだ。
『聖なる誉またもやお手柄! 第六位「小さな創造主」、三七個目の神の文字開発に成功!!』
大仰な見出しの割に内容がそんなにないという特徴は、今も昔もさほど変わりはない。
《聖なる誉》というのは、世界でも7人しか存在しない【S判定】のタレントを有する魔法使いたちの総称である。
そんな貴重な集団の中の一人が、また何かしらの偉業を成し遂げたに過ぎない。
一昔前では誰しもが鼻で笑っていたようなことに真剣に取り組み、ごく普通に実現してみせる。
それが、『科学』という技術に迫害されてきた『魔法』を認め、取り組み、実現した現代の世界の姿である。
全ては、百年前に勃発した《センターラ侵攻大戦》が引き金となった。
あの大戦争が起きなければ、おそらく現代でも何も変わらない、
退屈な『日常』が悠々と世界を覆っていたことだろう。
しかし、そんな決定的な分岐点でさえ、
今では年寄りたちの思い出話程度にしか思われていない。
シルビアはササッと一面に目を通すと、片手に持っている乳白色の大理石で造られた《杖》の先端をタブレットの画面にあて、横へスライドさせる。
するとその一面が液晶から飛び出し、宙を舞った。
次の文面も、また次の文面も、杖の先端でなぞるように横へスライドさせると、
ただ液晶の画面が切り替わるだけではなく、まるで埃を手で払ったように液晶からその文章が宙に浮かんでいった。
これが、魔法。
タブレット型の液晶は科学そのものであるが、液晶の大画面で記事を読みながら、
一度読んだ記事をすぐに空中から選択できるシステムは、魔法の技術によって実現されたものであった。
空中の所々に局所的な濃霧を発生させ、映画のスクリーンの要領でそこに光を当てることで宙に画像を固定する技術だ。
「世界は今日もおめでたい平和で溢れていました、と」
最後のテレビ欄を見ずに、シルビアはタブレット型のディスプレイを杖の先端で二度優しく叩く。
すると、宙を漂っていた濃霧が一気に霧散し、跡形もなく消え去る。
シルビアがタブレットをガラステーブルの上へ置き、
その脇に置いてあった分厚い古本を手に取ったタイミングで、ベランダへと通ずる窓のそばにある木製の扉が開かれる。
そこから姿を現したのは、眠気眼をこすって大きなあくびをする純白の幼女。
大人の色香を感じさせる黒のネグリジェから伸びる四肢は透き通るような白で、
窓から差し込む鋭い日差しに優しくヴェールで包んだような白髪からは、甘い香りが漂ってきそうだった。
おぼつかない足取りで飴色の机に向かい、レザーチェアにどっかりと腰を下ろすと、
レイティアドール=ロンバルドは、そのザクロのような真紅の瞳をシルビアへと向ける。
「おはようシルビィ」
「おはよう、レイ。もう昼過ぎですけど」
「むしろ、明け方までキャバクラで働いてたってのに、アンタはよく平然と起きてられるわね」
「そうですか? これでも三時間ほど寝たのですが」
「アンタ、早死するわよ」
「レイに言われると説得力がありますね。もっとも、今では私以上に生力が溢れているようですが」
ぐぅ、となにかを訴えるおなかに手を起きながらレイティアドールは眉根を寄せる。
「というか、私のお腹が空くのも、睡眠を必要とするのも、そもそもアンタが私をこういうふうに作ったんでしょ」
「フフ、それもそうですね」
レイティアドールは社長室にあるような豪勢な飴色の机の引き出しを開け、
そこに詰め込んでいたスナック菓子を取り出してつまむ。
「ところでシルビィ、今日の仕事は?」
「ありませんよ。明日も明後日も明々後日も、仕事の予定はありません」
本に視線を落としながら淡々と答えるシルビアは、ページをめくりながら答えた。
そんな平坦なシルビアに対して、レイティアドールはその手に持っていたスナック菓子をポトリと机の上に落としてしまう。
「なん……、ですって……? あー非常にマズイ。
それは非っ常にマズイわ。資金が底をつきかけている。
水道光熱費はレベッカがまるっとそのまま払ってくれてるからいいけど、
食費やらなにやらはこの仕事で稼がなきゃなんないしめちゃくちゃヤヴァイ。
まったくもうこんな物騒なご時世なんだから皆どうしても解決できない悩みの一つでも抱えてなさいよ!
この女神様が慈悲深い微笑みと共に頭でも撫でてやるからアタッシュケースに大金詰めて持ってきなさいよぉ!!」
せっかく整えたウェーブのかかった白髪を、ワシャワシャとしながらレイティアドールは嘆いた。
とはいえ、このままでは本格的にやばいのは目に見えている。
接客業とか絶対即クビになるし内職でもするかと本気で考え始めるレイティアドールだったが、
その思考は突如として断ち切られる。
勢い良く唐突に応接間の扉が開かれたのだ。
頭のあちこちに寝癖の残る霧熊霞美がその垂れ目をぱちくりさせながら、片手をピンと挙げている。
「おきゃくさーん」