第三話「BUY MORE①」
《レフタイル大陸》の最東端にある島国《大和》には、四季がある。
季節は秋。九月のカレンダーを破り捨てたのが記憶に新しい十月の上旬。
街中の木々が夏の青さを捨て、オレンジ、黄色、茶色といった風情と落ち着きのある色で天都を染めようとしていた。
時刻は昼前。平凡な社会生活を送っている者ならとっくに職場や学校に赴き、
住宅街などは静けさに支配されている頃。
ここは駅前から少し離れた大通り。
車やトラックが行きかうその大通り沿いには、
コンビニや雑居ビル、サイクルショップやゲームセンターなどが存在する。
しかしそんな中でも、年中暇を持て余している店舗が一軒存在した。
二階建てのビルの一階は歩道に面した壁がガラス張りになっており、
両開きの自動ドアはその開閉が少なすぎるからか、溝に埃が溜まっている。
極めつけはそのガラス張りの上のコンクリートに取り付けられた、
《BUY MORE》とデカデカと書かれたネオン看板だ。
店内には大小様々な棚やラックが並び、古本やCDやフィギュア、ギターやスピーカーといったホビー製品から、コピー機やスキャナ、ヘッドセットやディスプレイといったPCの周辺機器などが乱雑なようで実は整頓されて並んでいる。
洗濯機や電子レンジ、扇風機や冷蔵庫といった大型家電が並ぶスペースもあり、
商品の全てにカラフルな付箋が貼られ、手書きで適当な値段が書かれていた。
客から買い取った商品を棚に並べたり、時には客から注文を受けたものを幅広い範囲で仕入れたりもする。いわゆる古物商というやつだ。
「…………、んあー……」
レジに立つ霧熊霞美は、商品棚からフワリと舞った埃を目でボーッと追う。
埃よりもフワフワした雰囲気を醸し出す霧熊は、入店を知らせるベルが鳴ったことに気がつかない。
レジに頬杖をつきながら、傍らに落ちた埃を何気なく指で弾く。
彼女の口からは、『暇だ』なんて言葉はおそらく出ないだろう。
いかなる暇な時間さえも彼女の中では何かしらの世界が広がり、
常人より遥かに楽しい人生を謳歌しているに違いない。
「すみません」
霧熊は目の前に来た二十代前半の男が発した声で、初めて店内に人がいることに気づいた。
「あ、はうぃっひ!!」
唐突な人間の出現に、硬直するとともに訳の分からない声が捻り出された。
自分でもこんな声出たんだなと関心しつつ、霧熊は接客モードへと移行する。
「あの、この前この店に鉛を注文していた坂内ですが」
目の前に立つ大柄の男の頭には、弱々しく垂れ下がった獣耳が生えていた。
よく見ると体毛も人間に比べると長い。
森の妖精と同様、百年前の大戦でその存在が明らかとなり、
後に人類との親和協定を結んだ異種族の者か。
名前が大和風なのは、おそらくは大和人と異種族のハーフか。
「……、あ、あー……、あーん」
頭の中でグルグルと考えを巡らせる内に硬直した姿勢が段々と緩くなっていく。
霧熊は人差し指を顎に当てて大きく首をかしげた。
数十秒考え込むと、何かを思い出したかのように手を叩き、レジの下に用意されていた紙袋を二つレジへ置く。
「えーと。これですねー?」
「ん。お、そうそう。いくらだっけ?」
男はふわふわの尻尾を振って紙袋の中身を確認すると、ズボンのポケットから長財布を取り出した。
「100グラムの鉛が100個で――」
ベテランのコンビニ店員のように片手で高速に打ち込むようなものではなく、
指一本でボタン一つひとつを確認しながらゆっくり押すような、
まるで駄菓子屋のおばあちゃんのようなレジ打ちの音が、埃臭い店内に響く。
「うーん……、それにしてもお客さん、純度の高い鉛をこんなに、なにに使うんですかー?」
会計処理を終えた霧熊の前から、そそくさと紙袋を持って立ち去ろうとする男へと何気なく問を投げかけてみた。
「ははは。なあに、錬金術の練習さ。鉛を金に変えて一儲けしてやろうっていう老いぼれの楽しみなんだよ」
「へぇ~。なんだかむつかしそうなお話ですねー」
「錬金術は普通の魔術系統とは少し違うものだからな! お嬢ちゃんにはちと早かったみたいだ。
それじゃ、またよろしく頼むよ」
「はーい。またこんどー……、あっそうだお客さん」
紙袋を両手で抱え、意気揚々と店を後にしようとした半獣人族の男を霧熊は呼び止めた。
そして何故かそのとき、冷たい風が吹いた気がした。
「んっ? どうしたんだい?」
「《スラム》の方で近々、バカな人たちが戦争を起こそうって、
今必死に武器の原材料となる鉛をせっせこ集めてるっていう噂を聞いたことがあるからお客さんも気をつけてねー」
「…………、あ、あぁ、気をつけるよ」
今までの陽気な笑顔とは裏腹にひきつった笑みを浮かべながら、半獣人族の男は足早にその場を去ってしまった。
霧熊はその垂れた大きな目をパチクリさせながら、再び商品棚から舞い落ちた埃を目で追いかけていた。
※
《タレント》という概念が存在する。
世界の魔術的事象の定義や基準点を定める《国際魔法工科学会》が提唱するには、
人間の身体には生まれつき《魔力》が存在する、とされている。
外部からある一定の刺激を与えることで生じる魔力の波紋の波形には個人差があり、全く一致するものは存在しない。
ゆえに、手足の指紋や眼球にある虹彩に並ぶ非常に優秀な生体認証として広く使われている。
その魔力を体内から体外へ抽出し、あらゆる超自然的現象を引き起こすことを、
《魔法》もしくは《魔術》と呼ぶ。
そして体内から体外へ魔力を抽出する働きを持つものが、《タレント》と呼ばれるものである。
国際魔法工科学会が定めるところによると、このタレントの性能は以下のように七段階にランク分けされている。
【A判定】~【F判定】
一般的に分類されるランク。
【X判定】
魔力を身体に宿しながらそれを全く引き出せない。
【S判定】
最も優れ、世界各国あらゆる研究機関から協力を要請される。
【X判定】は世界的に見ても比較的少なく、最高ランクである【S判定】は、
世界でも未だたった7人しかその存在が確認されていない。
どちらにしても、世界的に希少価値な両極端だ。
そして。
そんな、生まれ持った潜在的な能力に価値観を付与してしまったら、
必然的に、個々の格差を明瞭化させてしまうと言えないだろうか。
少し、昔の話をしよう。
「おい欠陥品」
誰かが、誰かを、そう呼んだ。
ここは多くの子供たちが勉学に励む学びの園。
今日は年に一度の健康診断。
多くの男子が自分の身長をまるで期末テストの一番よかった点数を自慢げに掲げるように言い合ったり、
多くの女子が自分の胸板に手を当てて大きなため息とともに肩を落とす、
そんな微笑ましく暖かい日常風景が、そこにはなかった。
ピリピリとした空気。
誰かがその空気の中で声をあげれば一気に爆発してしまいそうな、危険な空間。
皆の注目は、A4用紙一枚分に羅列された健康診断の結果。
しかし思春期の彼らの明確なステータスとなるのは、身長や体重、胸囲などではなかった。
《タレント》。
健康診断では魔力の質や量、タレントのランク付けなども一緒に行われる。
クラスの多くの子供たちが【F判定】から【D判定】と評価されていて、
全ての子供たちが平均的なランクであれば問題はなかったのかもしれない。
しかし不幸にもこのクラスには一人、【X判定】の烙印を押された少女がいた。
人間とは理性の発達した生き物であるがゆえに、
他者を蹴落とすことで自らの地位を底上げしようとする残酷な生き物だ。
まあ、今となっては人間に限った話ではなくなってきているが。
理性や思想、善と悪の判別が曖昧な年頃の集団の中には、
一人の弱者を蔑み、一時的な優越に浸るという群集心理が存在する。
多くの場合は、そういった行為をイジメと呼ぶ。
タレントのランクが上がるといった現象は実際に世界各地で観測されていて、教育機関ではその向上を目指している。
そのため、こういった定期的に行われる健康診断などでタレントの評価が実施されている。
しかしそんな世界の技術発展の裏には、こういった闇が実在する事を決して忘れてはいけない。
「オラ!! なんとか言ってみろよ最低評価!!」
誰かの手で生み出された海水の塊が、少女の小さな顔に当たった。
その塊は弾け、少女の制服をベットリとした液体で濡らす。
言葉は明確に少女の心を抉り、魔法という存在は明確に少女の光を奪う。
虚無感と自己嫌悪に苛まれた少女は、ふと、こんなことを思った。
消えてしまいたい。
死去ではなく、消去。
心にポッカリと穴が空いた少女は次第に自分の存在価値を見失っていった。
無意識の内に、まるで空いた穴を埋めるように少女は自分の心を黒く、黒く、黒く塗りつぶした。
そしてある日を境に、自らのベッドの上から目を覚まさなくなったという。